acco'sプロフィールブログ。

 

 

次男との、突然のお別れからのこと。

 

そして

 

夫婦関係を再構築していった時期の、お話。

 

 

 

 

これまでの記事はコチラから。

↓↓

acco's プロフィール①【誕生〜幼少期】

 

 

 

 

 

次男を亡くした悲しみは

 

果てしなく、

 

 

 

泣いて暮らす日々が続きました。

 

 

 

けれども

 

他人から、不幸そうだとか可哀相だとか

思われたくない一心で

 

外では笑顔で過ごしていました。

 

夜になって

旦那さんと二人になって やっと泣ける、毎日。

 

 

 

 

何もかも気力が湧かなくて

 

 

立ち直ることすら

他人任せで

 

誰かに助けてもらいたくて

いろんな人に会いに行っていました。

 

 

 

次男を取り上げてくれた

助産院の院長先生には

 

 

「絵を描いてみるといいよ」と

いわれてもいたのだけど

 

 

なんの絵を描いていいかもわからず

手が止まって何も描けませんでした。

 

 

 

 

 

また赤ちゃんを授かれば、

立ち直れるのかもしれない。と

 

 

赤ちゃんを望んでも、流産。

 

 

 

 

 

 

どんどん暗闇に突き落とされる始末。

 

 

 

 

 

もう、這い上がれないよ。と、

 

 

 

心も身体も、

悲鳴を上げ始めました。

 

 

 

ありえないくらいの肌荒れに、咳。

 

 

誰にも会いたくないし

 

 

長引く咳は肺炎になって

 

身動きするのも

息をするのさえも、激痛が走るほどに。

 

 

 

 

あんなに

次男のそばに行きたいと言っていたくせに

 

 

いざ、

もしかしたら死ぬのかもという思いが頭をよぎると

 

 

 

怖くて怖くて たまりませんでした。

 

 

 

 

こんなに辛いことばかりでも

やっぱり私は生きていきたいんだ。ということを

思い知りました。

 

 

 

 

 

 

次男の他界後

二度目の妊娠は

 

 

胎内記憶第一人者で産婦人科医の

池川明先生の半年間に渡る講座を受講中のことでした。

 

 

 

 

またも結果は流産で

 

 

 

どうして私ばっかり!!と

 

 

 

旦那さんの前で

 

手がつけられないくらい

荒れ狂って泣いて、叫んで。

 

 

 

次男を亡くした時ですら

こどもの手前、取り乱して泣くことは、なかったのに。

 

 

 

 

その後の講義で

 

流産したということを

池川先生に報告したら

 

 

 

「安産の流産だったんですね。よかったですね」という

 

 

 

思いもよらないビックリなお返事が返ってきて。

 

 

さらには

「流産は、ちいさなお産」とまでおっしゃるではありませんか。

 

 

 

!!!!

 

 

 

わたしはその言葉に、目からウロコ。

 

 

 

心底、救われた気がしたのでした。

 

 

 

 

わたしが「死」や「流産」に対しての

マイナスなイメージが変わったのは

 

この言葉を聞いてから。

 

 

 

 

死について話すことはタブーだと決めつけ

ひた隠しにしたり

 

死別について

同情を乞うような言い方をするのを辞めたのも

 

この時からでした。

 

 

 

 

多くの人が経験しないことばかりかもしれないけれど

 

 

わたしたち家族にとっては

 

これがうちの家族のカタチだ、と

胸を張って 思えるようになっていきました。

 

 

 

 

 

 

同じ頃

参加したアートセラピー講座では

 

 

絵を描くことで

自分の心がどんどん癒されていくのを体感しました。

 

 

 

 

そして

その日から私は

 

また絵を描き始めるようになりました。

 

 

 

 

描きながら

たくさんたくさん涙が流れて

 

 

どんどん傷が癒えていきました。

 

 

 

その頃描いた絵は、

天使の絵や、母子の絵。

 

 

 このblogを始めたのも、ちょうどこの頃。

 

 

 

自分の叶えたかった未来を絵に託しながら、

 

ひたすら描いて、描いて、描きました。

 

 

 

 

 

 

話は戻り。

 

 

 

次男を亡くして しばらく経った頃から

 

 

 

いろんな

 

蓋をしていたもの

我慢していたもの

見ないようにしていたもの、が

 

 

露わになっていって

 

 

結果、

 

旦那さんとの関係が

どんどん崩れていきました。

 

 

 

 

そうして浮き彫りになった

 

私から彼への

いちばんの不満は

 

 

家族との時間が少なすぎること。でした。

 

 

 

接客業のため

土日勤務は当たり前、

 

連休はほぼなく、

 

夜も遅い。

 

 

 

 

彼が こどもと過ごす時間なんて

 

朝の1時間くらいしかありませんでした。

 

 

 

 

なんのために働いてるんだろう。

 

いつになったら

ゆっくり家族で過ごせるんだろう。という疑問と

 

 

 

子育てと 家のことを全部任されてることにも

 

耐えられなくなっていきました。

 

 

 

こどものために。とか

正しく育てなきゃ。とか

母は太陽のように笑ってなきゃ、

パパが不在だから父親役も頑張らなきゃ、とか

 

もう、あたまがパンパンで

 

あんなに悲しいことが立て続けにあったのに

 

その気持ちすら

奥底に押し込んで

 

感情ってものが何かも、わからなくなっていたように思います。

 

怒りは幻であったのだけど。

 

 

 

 

そんな矢先。

 

 

 

15年来の友人が

セラピストになっていることを知って

 

久しぶりに連絡をとって

 

会って、話す機会がありました。

 

 

 

禅問答のような会話ののち

 

 

 

わたしの末期的な死にかけた感情が徐々に蘇ってきました。

 

 

 

 

それからは、

 

 

抑え込んでた感情が

 

弾丸のように放出されて

 

 

旦那さんはじめ、家族がドン引きするほど。。。

 

 

 

 

だけど

 

 

 

感情的になりながらも

旦那さんに伝え続けたことがひとつだけありました。

 

 

 

 

それは、

 

 

 

「寂しい」という気持ち。

 

 

 

 

そう。

 

 

 

たくさんたくさん怒りや不満をぶちまけたけど

 

 

 

ほんとのほんとは

 

 

寂しくて

 

 

もっと一緒にいたくて

 

 

触れ合いたかっただけでした。

 

 

 

友人との禅問答で

あぶり出された感情は、これだったのです。

 

 

 

 

ほどなく、

彼もその友人に会うことになって

 

 

 

一転、

 

 

 

家族との時間を第一に

営業時間の大幅短縮を決行。

 

 

 

そして

 

毎晩、家族一緒に夕飯を食べたり

 

休日にも遊びに出かけられるようになりました。

 

 

 

不思議なことに、

営業時間を短くしたのに

 

売り上げは伸び、お客様も増えたのです。

 

 

 

心がふわっと緩んだ、そのすぐあと。

 

 

 

 

また

 

 

赤ちゃんが

私の元へ、きてくれました。

 

 

 

 

 

 

 

つづく。

 

 

 

 

acco