心に光と彩りを。

光を届けるアーティスト、accoです。

 

 

改めまして、

プロフィールブログを書いていきたいと思います。

 

 

長くなりますので数回に分けてご紹介していきます。

 

どうぞお付き合いくださいね^^

 

 

 

今回は《誕生〜幼少期》。

 

 

 

1982年12月22日、冬至生まれ。

 

本名は暁子と書きます。

 

 

あかつき、という字だから

明け方に生まれたんだと長らく思っていたのですが、

実は11時生まれだったと知ったのは、つい最近。笑

 

 

『あっこ』と呼びたくて暁子と名付けたらしく、

両親からは未だに『あきこ』と呼ばれたことがありません。

 

 

 

ひとりっこで

かつ、母方の祖父母にとっては唯一の孫

さらに父方も、長男の子、ということで

それはそれはチヤホヤされて大切に育てられました。

 

 

 

最初の記憶は、

昼下がりの明るい部屋に差し込むぼんやりとした温かな、ひかり。

 

 

 

 

そのあとは

幼稚園の時くらいまであまり記憶がなく。

 

 

 

成城に近い世田谷に住んでいたけれど

社宅の古い平家の一軒家で、なんとトイレがボットンでした。

 

 

 

親の趣味でショートカット&スボンが定番だった私、

 

幼稚園での最初の記憶は

『あっこちゃん、おとこのこみたい!』と友達に言われたこと。

 

 

初めて、他人からの目、っていうのを意識した瞬間でした。

 

 

次の日からズボンは封印。

 

小学校の遠足で仕方なく履くくらいで、

自分で履こうと思ったのは、高3の夏に、やっと。

 

トラウマすぎて、見るのもイヤだったのをよく記憶しています。

 

 

髪の毛が伸びるまでは、せめてもと、結ってもらっていました。

 

 

 

キリスト教の幼稚園で

絵をよく描かせてくれて

 

その時に先生に褒められるのが嬉しくて

毎回、はりきって描いていました。

 

 

いつも同じく褒められる子がいて

幼心にライバル視をしていたのですが

 

その子の描く絵は私にはないダイナミックさがあって凄いなと

同じく幼心に感じていたのをよく覚えています。

 

 

 

普段の生活でも、

紙とえんぴつが友達。

 

 

ひとりっこなのもあって、

大人の都合で出かけたり食事に行ったりが多かったので

 

そんなときも

紙とえんぴつさえあれば平気と思われていたし、自分でもそう振る舞っていました。

 

 

 

もちろん自分でも

絵を描くのが楽しかったし好きでした。

 

 

けれども

 

周りに、絵を褒めてくれる人や

絵を喜んでくれる大人がたくさんいたこと

 

幼いながらに、まわりの期待に応えたいということが

 

 

当時の私が絵を描いていた大きな理由だったんじゃないかなと

今は思います。

 

 

 

そしてもうひとつ、

友達、といえば。

 

 

紙と鉛筆のほかに、空想の友達がいて

 

それは『ハル』という名前だったのだけれど

よく『はるーー』って呼んで探していたのを覚えています。

 

 

両親は

目に見えないものを見て会話している私をちょっぴり怖く思っていたのでしょうか、

 

もうすぐバイバイできるかな?的なことを言われて

 

ある時自分から、

『ハル、ばいばーい!』と

 

大きな声で別れを告げ、

それをとても褒められたように記憶しています。

 

 

 

あと、お風呂のフタの内側につく、水滴を見るのが好きでした。

 

 

 

現実世界での出来事より

空想の世界での感覚的な記憶のほうが

 

より濃く鮮明に残っている気がします。

  

 

 

人間関係では

 

大人に囲まれた環境で育ったから

同じくらいの年の子とどう付き合っていいかがよくわからず

 

子供同士のケンカは私生活では無縁だったのもあり

友達と言い合うなんて、恐ろしすぎて

 

 

嫌われないようにと常に思いながら

ブラックな自分は なるべく隠して過ごしていました。

(おかあさんごっこでは、いつも赤ちゃんかペット。)

 

 

 

結果、どんなグループの子にも可愛がられて

無事卒園。

 

 

 

そんな幼少期でした。

 

 

 

 

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