accoの人生を振り返る、

acco's プロフィールブログ、その②。

 

 

 

その①は、こちら↓

 acco's プロフィール①【誕生〜幼少期】

 

 

 

幼心に、

 

・親や大人の期待に応えること

・他者からの目

・友達とうまく付き合う方法

・世の中には自分より絵が上手な子がいること

 

を知った私。

 

 

 

 

幼稚園卒園を機に

世田谷から、緑の多い杉並へとお引越し。

 

 

 

こちらも同じく父の会社の社宅だったのだけど

当時の社宅って、いい場所に作られていて

 

狭いながらも良い環境でした。

 

 

 

休日は決まって

父親と善福寺川沿いをサイクリング。

 

 

 

ずいぶん遠くまで行ったこともありました。

 

 

すぎ丸マガジンっていう集いの、

珍しいブロック塀やマンホールを探すツアーとかも大好きでした。

ご存知の方、いらっしゃるかな^^

 

 

↓こういう人様のお宅の塀を見ながら、ひたすら歩いて回るのですが

たくさんレアブロックがあって、奥深い世界なのです。

 

 

夕飯の後は

毎日、父親の膝に座って、父の仕事の裏紙に絵を描いていました。

 

 

 

 

小学校低学年のころの学校生活は

なにしてたっけ。というくらい記憶が断片的。

 

 

 

のびのびとした校風で宿題がなかったのもあって、

勉強はほとんどしなかった低学年時代。

 

 

テストは隣の子の答えをみて書くのが当たり前。

カンニングって言葉も知らなかったほど!笑

 

 

 

 

鮮明に覚えている記憶は

 

 

1年生のとき、

初めて好きになった子がいたのだけど

 

 

母親がその子のお母さんにバラして

もう絶対、お母さんに好きな子を教えたりしない!と心に誓ったこと。

 

 

 

 

しばらくして、

 

父の転勤が決まり、大阪に引っ越すことに。

 

3年生の、夏休みの出来事でした。

 

 

 

 

ボーっとしている自覚はあったので

 

引越しを機に

 

勉強も運動もできる転校生になろう!と

まずは毎日鏡の前でコッソリ挨拶の練習をしていました。

 

 

 

大阪弁の本を片手に、

ほんとにこんな話し方するんだろうか、と半信半疑で話してみたり。笑

 

 

初めての遠くへの引っ越しに、未知なる期待で満ちておりました。

 

 

 

引越しってよくわからなかったから、

友達にもろくに別れも言わずに引越しとなり

 

 

 

大阪の南寄りの

工業地帯のある、小さな町に住むことに。

 

 

 

 

市の面積の半分がコンビナートの町。

工場が たまに爆発したり、父が当直に行ったりで、ちょっと怖かった記憶。

こんなに綺麗な夜景だったなんて。

※画像はネットよりお借りしました。

 

 

 

 

さて。

 

 

 

引っ越した翌朝から、

カルチャーショックは大音量のクマゼミの鳴き声!

 

 

初めて聞く音にビビって起きた、大阪初日。

 

 

夜はウシガエルの大合唱。

 

 

 

 

 

予想をはるかに上回ってた方言も、

こどもって適応能力が高いもので、すぐに慣れて話せるように。

 

 

話し方でバカにされるのは絶対イヤだったので

意地でも覚えました。

 

 

 

勉強も運動も、いろいろ頑張って

いつの間にかカンニングしないでも点数が取れるようになりましたw

 

 

 

相変わらず絵が好きで

入選したり、表彰されることが多かったのだけど

 

選ばれる絵を描かなきゃと思って描いてる自覚もありました。

 

 

 

やっぱりここでも

絵が上手な子がいて

 

同じくいつも入選したり表彰されてて

 

 

 

色使いも、構図も、筆のタッチも

無欲に軽やかに描いているような様子も

 

自分にはないものだったから

 

すごいなあっていう気持ちと、嫉妬と、

両方たくさん味わったのを鮮明に覚えています。

 

 

 

 

私生活では

 

 

家族で旅行によく行っていました。

国内も、海外も。

 

だけどもどこにいっても

大人の中に子どもは私ひとり。

海外では、ひとりキッズクラブという名の託児所に預けられたり。涙

 

 

どこに行っても

きょうだいがいる家族が羨ましくて

 

けれども平気なフリしてた。

 

 

 

友達とは関西弁、家族とは標準語。

 

 

外で家族と標準語で話すのが恥ずかしかったのもあり

家族と出かけるのがあまり好きではなくなっていき

 

土日は もっぱら子供会のキックベースに参加して1日を過ごす日々に。

 

 

 

いつの間にか

父親とサイクリングに行くこともなくなった。

 

 

 

大阪に来てからは、

父の膝の上で絵を描くこともなくなっていました。

 

 

 

念願の一人部屋で、ひたすら漫画を読んでいました。

 

好みは、りぼんと別冊マーガレット。

ときめきトゥナイトから漫画にハマって

最終的に、いくえみ綾派に。

 

 

ノートに自分で漫画を描いてみたり

友達と、交換日記ならぬ交換漫画(交代でストーリーの続きを作っていくもの)をやっていました。

 

 

 

友達と毎日のように遊んで

 

たこ焼きを買い食いしたり

一向に上達しないキックベースに

エンジェルさん(コックリさんみたいなもの)・・

 

 

関西ならではの、ノリとお笑い精神。

 

そんな日々は大好きだったけど

 

 

学区の中学校には

どうしても行きたくなくて

 

コッソリ受験をすることに。

 

 

 

2教科だと厳しいけど

4教科受験ならナントカ点数が取れそう、という

 

根拠のない自信で

 

当時大阪で3番目に入るくらいの女子校を受け、

奇跡的に合格。

 

 

 

友達とは ココロの距離ができてしまったけど

 

可愛い制服と、電車通学に胸ふくらませ

小学校を卒業。

 

 

 

 

阪神大震災もあって、

関西は、波乱の年でした。

 

 

 

 

そんな小学校時代でした。

 

 

 

 

 

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