accoの人生を振り返る、

acco's プロフィールブログ。

 

本日は、その③。

 
 

 

これまでの記事はコチラ。

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acco's プロフィール①【誕生〜幼少期】

 

acco's プロフィール②【人生の転機 其の一、東京から大阪へ】

 

 

 

人生初めての転機、

東京から大阪への引越しを経て

 

 

《家での自分》と、《外の世界での自分》が生まれ

 

親よりも友達、ひとりで過ごす時間が増えた、小学校後期。

 

 

 

いつも頑張っていたし

期待に応えようと思って過ごしてたこともあり

 

身内からは良くできる子だと褒められていたけれど

 

 

大して良くできる方でもないということが、わかってきた頃でもありました。

 

 

もっとすごい子なんて、

たくさんたくさん、いるのに、と。

 

家の中って、なんて狭い世界なんだろう、と。

 

 

 

身内に褒められるほどに、

空虚さ、さらには嫌悪感さえ感じるようになりました。

 

 

 

そして

もっともっと外の世界に出て行きたいと、思うようになりました。

 

 

 

今回は、そんな思いを抱えつつ迎えた、

【中学時代】のお話です。

 

 

 

 

自分で合格を勝ち取った学校に

電車で通う生活は、

 

まるでわたしに自由と自立を与えてくれたようでした。

 

 

 

家からも、家族からも遠い場所に、

自分の居場所ができた喜び。

 

 

 

夢にまで見た女子校ライフ。

 

想像していた清楚なイメージ通りの生活は、最初の半年くらいだったかな笑

 

 

とにかく自由で

やりたい放題、怖いものなしで

 

それはそれは楽しい日々でありました。

 

 

 

比較的校則が緩かったので

 

メイクをしたり

パーマをかけたり

こっそりピアスをあけたり

 

学校帰りに寄り道をしてプリクラ撮ったり。

 

 

 

若い先生をからかったり

休み時間にキャアキャア言いながらここでは書けないような雑誌を見たりしてました。笑

 

 

 

女子だけの世界ともあり

 

友達との付き合いも濃く

人生で初めての、なんでもさらけ出せるような友達がたくさんできました。

 

 

 

吹奏楽部が有名な学校で

 

楽譜なんて読める自信は全くなかったものの

友達と なんとなく体験にいったらとても楽しくて

 

そのまま入部することに。

 

 

父親も高校時代に吹奏楽でフルートをやっていて

入部を喜んで応援してくれたのをよく覚えています。

 

 

 

わたしの担当楽器はアルトサックス。

 

 

値段も知らずに楽器をねだり

高いと文句を言われつつも買ってもらったセルマーのアルトサックス、彫刻&シリアル付。

もう、しばらく吹いていないけれど今でも大切な宝物です。

 

 

 

 

放課後は毎日部活に明け暮れて

 

休日も長期休みもほぼ部活の日々が始まりました。

 

 

 

音楽好きだった両親も応援してくれて

演奏会やコンクールは必ず来てくれました。

 

 

わたしが選択したもの、を通して

両親との距離が縮まった感じがして、嬉しかったな。

 

 

 

音大や、

吹奏楽の盛んな大学に行く先輩もいて

 

そんな進路もいいなあなんて思うほど

どっぷり音楽に浸かってた日々。

 

 

 

顧問の先生は、

人生で初めての《恩師》と呼べる存在の人でした。

 

 

 

 

遊ぶ暇なんてあまりなかったし、

 

乗り換え駅のホームで見かける男子校の男の子と恋に落ちる方法を

友達と真剣に語り合うほどの花畑っぷりだったけれど

 

 

ごくごくたまに

合コンしたりもしてました。

 

 

小学校の時に好きだった彼に映画に誘われて

人生で初めてデートしたのも、中学の時でした^^

 

 

 

そんなバラ色の中学生活も中間を迎えた、

中二の夏休み。

 

 

 

またしても、

父親の転勤が決まり

 

東京に戻ることに。

 

 

 

みんなとこのまま一緒の高校に行きたい。という願いは届かず

 

泣いて泣いて、どうしても中学卒業までは居たいと懇願し

 

 

 

父だけが先に単身赴任、

中学卒業後に、わたしと母も引っ越す、というカタチに収まりました。

 

 

 

けれども家の中は、

 

たくさんのギクシャクと

喧嘩や、不満が、たくさん生まれていきました。

 

 

 

赴任後、父は毎日仕事から帰ると

『ただいま』って家に電話してきたのだけど

 

私が電話に出たことは一度もありませんでした。

もっとも、母宛の電話では、あったのだけども。

 

 

 

父は月に一度くらいの頻度で

帰ってきたりしていたのかな。

 

それすら記憶があまりありません。

 

 

 

親の都合で人生をめちゃくちゃにされたような気がして

父のことが、許せずにいました。

 

 

 

楽しく、濃い毎日は

どんどん過ぎ去って、

 

あっという間に卒業の日を迎え

 

 

ほとんどの子が内部進学する中、

他の学校に行くのは二人だけ。

 

 

 

生まれて初めて

自分の力ではどうすることもできない『別れ』を

痛感した日となりました。

 

 

 

日々の礼拝やクリスマス、行事はいつも聖歌とともにあり

歌と音楽に溢れた、大好きな中学校生活でした。

 

 

 

 

そんな中、

 

友人以外で

転校をとても惜しんでくれたのは

 

顧問でも担任でもなく、

中1の時の担任だった、美術の先生でした。

  

 

 

その先生は武蔵美を出ている方で

(前述の、からかった先生はこの人だったのですが

実は卒業制作でとても優秀な賞をとっていたという凄い人だったと後々知りました)

 

 

 

『本気で美大に行きたいなら

予備校にいかなアカンよ。厳しい世界やからね。(長崎なまり)』と

 

熱く語りながら

東京の美大予備校のパンフレットを手渡してくれたのでした。

 

 

 

美術の授業中、

わたしの作品から未来への可能性を見出してくださって

 

何度も

美術の道を進んでみてはと、真剣に勧めてくれたので

 

わたしも、

イラストレーターになりたい、なんて言ってみたような気もしたのだけれど

 

 

まさか覚えていて、

しかも本気だと思われていたなんて。と、びっくり。

 

 

 

高校生活のこともわからないのに、

大学なんて考えられない。と思いつつ

 

 

そんな世界もあるんだ、

自分には関係ないと思っていたけれど、そうでもないのかな、と

 

 

選択肢のひとつとして『美大』っていう存在が

わたしの中に加わった瞬間でした。

 

 

 

家族や身内以外から

可能性を見出してもらったのは、

 

おそらく人生で初めてのこと。

 

 

 

涙で滲んだ卒業の日の、

嬉しい出来事でした。

 

 

 

まるで

未来へのチケットをもらったような瞬間でした。

 

 

 

 

 

淡くて濃い、

短くも永遠に続いていくような

中学校時代が幕を閉じました。

 

 

 

 

 

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【高校&美大予備校時代】暗黒期&反抗期、到来。

 

 

 

 

 

 

お読みいただき

ありがとうございました。

 

 

 

 

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