最近、瞑想をしていると
涙やあくび、うっすらとした悲しみや寂しさが出てくるようになりました。
それも毎回、毎日。
それぐらいなら、まぁそういうこともあるかなと思ってたんですが
突然、泣き叫ばずにいられなくなったりする時も出てきて
ちょっとびっくり。
鍼の先生は、瞑想の達人でもあるので
対処方法を確認して、ひと安心。
今までも、号泣するような昔の感情が出てきて
それについてセルフワークすることはありましたが
もっと何か出るぞ出るぞって予兆がありました。
それとはちょっと雰囲気が違ってたので、戸惑いました。
わーっと泣いて、お腹から出てきたのは
【もう頑張れない】という思いでした。
いまは特に何かを必死で我慢してるとか、頑張ってるわけではないので、昔の感情が出てきたんだと思います。
よく人からは「自由だよね」とか言われるので
自分でもそうなんだと思ってました。
何も我慢なんてしていない、と。
でも、わーっと出てきた【もう頑張れない】をみていくと
親の期待に応えるために
頑張って頑張って、
我慢して我慢して、
頑張り抜いてきた
幼児の頃からの自分がたくさん出てきました。
自分の記憶にはないけれど、母から聞いた2歳手前のエピソードからすると
肝心なところでものすごく抑え込むんだな、と分かりました。
その頃、母の手術とその後の養生のため
半年ぐらい乳児院に預けられてました。
母が面会に来ると、「せっかくだから一緒に」とおやつを一緒に過ごしたらしいのですが、
泣くとか、帰りたいというとか、甘えることも怒ることもせず
ただお行儀よく黙って食べてたんだそうです。
わたしには子どもがいませんが、乳児院で2年ぐらいボランティアをしていた時があり
そこで幼児のことはわりと理解したつもりです。
びっくりしたのが、幼児ってこんなにすぐ泣くのか!ということです。
言葉が十分発達してないと、嫌なことには基本泣いて反応する。
それなのに、面会にきた母親が帰る時も泣かない。
帰りたい素振りも見せない。
それが、小さな体と小さな心にとって
どれだけの我慢であったか。
乳児院の子どもといると、ごくたまに、
幼児ながらに何かを察して、その小さい心と体には大きすぎる我慢を抱える場面にも遭遇しました。
心が潰れそうになるの必死で耐えてる、あの孤独と我慢の顔。
あの子たちと、全く同じ子どもが
自分の中にもいて
しかも長年放置されてた。
我慢し過ぎている
頑張っている
人に弱みを見せられない
今までは、これらを人に指摘されてもあんまりぴんと来ていませんでした💧
でもようやく、ほんとうに何故そこまで??と思うほど
親の期待通りであろうと頑張って、頑張って、頑張り抜いてきた自分がリアルに感じられるようになってきました。
もう頑張れない、を認めたら
もうほんとに何もできなくなってしまう気がしていました。
だから、それを出せるようになるのに
ものすごく時間がかかりました。
わたしにとって、母が勧めてきたままになった作業療法士は
親の期待と不安の象徴という一面がありました。
それを完全に辞めて一年経って、ようやく【もう頑張れない】を出せた。
それを受け入れられたら、また別の側面も見えてきました。
2歳にならない時に、親を困らせたくない、笑って欲しいって思いだけで
そんな行動が取れる力のある子どもだったってことだな。
その胆力と愛の深さが発揮されたら、なんでも出来るんじゃないか。
別に全然行きたくないし、親の都合で行かされてるだけって分かってる、
塾のすごく難しい宿題を毎日毎日やりぬく行動力。
底力あるなー!
諸々のストレスで体を壊しまくりながらも
その仕事を通していろんなことを感じたり、物事を見抜いたりする力をつけた。
すごい賢いってことじゃないかー!
などなど。
もう頑張れない、を認めても
全然大丈夫だった⸜(๑⃙⃘'ᵕ'๑⃙⃘)⸝⋆︎*
今は正直、ちょっとスローペースで日々を過ごしてますが
それがいいかなって思います。
やっと出てきてくれた、我慢、頑張ってきた自分を
ねぎらって休ませる時間。
そのための、本格的な扉を開いてくれたのは
やっぱり去年のスリランカ🇱🇰でのパンチャカルマだな〜。
今年は行きませんでしたが、来年は必ず行こう。
よくよく休む、立ち止まることで見えるもの
わかるものは、たくさんある。
