20世紀最後にやってきた教え | 星の砂漠から愛にかえる旅

星の砂漠から愛にかえる旅

潜在意識を探求しながら ルーツにもどる旅の途中
光のタロット・ヒプノセラピー・レイキティ―チャー そしてユダヤの秘教カバラの実践者
『こころの平安』をテーマに様々な心理学やセラピーを開拓中

日本人は無宗教の方が多いですが、世界には沢山の宗教があります。
今現在、私自身宗教とはあまり縁がありません。


でも過去、世界の様々な場所に暮らしていた時には、その土地に合った宗教を信仰していたはずです。(過去世でね)

排他的な今の宗教を考えると、記憶があれば、生まれ変わるたびにその土地・民族の宗教を信仰するなんてありえないでしょ。
そう考えると、宗教自体に何か共通点があるだろうなと思いますよね。

そんなスタンスですね。
しかもとても感覚的に書いています~<(_ _)>

宗教には
顕教 と 秘教 
この二つがあるようです。

顕教と言う言葉は主に仏教で使われるようです。

人民を一つの形でまとめ上げる為に作られた宗教を顕教だとすると、 
例えばモーゼの十戒のように、その民族や地域で、集団生活をしていく為の教えや救いを解いたものかな。

 

昔から文字や教えにあらわされ、目に見える世界を統括する必要性の為にある気がします。


表と裏と言う言い方をするとすれば、

顕教は表=顕れている(表現されている)宗教
秘教は裏=隠された秘密の宗教

 

顕教の裏、またはその先にある精神性のような、目に見えない世界に繋がるような教えが、秘教とでもいうのでしょうか。
英語で秘教=エソテリックは『奥義的な』という意味があるのですね。

秘教には密教とか、カバラとかいろいろな表現があるようですが、
他の世界の宗教の中にも、秘教は沢山あるのでしょう。

普通の宗教の教えを越えて生きる人々の為に、秘教があるのではないかと思います。

人間は身体だけではないと、なんとなく気づいている人たちの為?

顕教以上のものを探し求めてる人がたどり着く教え、と考えてもいいのかな。
でも、秘教が存在しているということは、宗教の顕教の裏にはほぼ必ず秘教があるのでは?

一見日常生活に必要なだけの顕教の教えも、その解釈によってどんなレベルの人にも対応できたりする。

 

これって、ちょっとわくわくものではないでしょうか。

一生懸命に働いて、食べて、人生を楽しんで生きる以上に、この人生には何か意味があるのではないか。

人間とは何か、生きることに目的があるのか、
神とは何か、この世界の仕組みは?

そんなことを考えている人々って、何時の時代にもいたのでしょうね。

ちょっと前まで、人生50年。

その時代には、一生懸命に働いて、家族を食べさせて、世代交代をしたころは、もう寿命になっていた。

 

でも今は第二の人生が当たり前ですよね。

食べるために働いて、仕事をやり遂げた。
家族の為に働いたり、誰かの介護や面倒をみたり、社会で人はそれぞれ様々な役割を果たしたりしてきた。

 

第二の人生は、ご自分の趣味やボランティア活動を一生懸命したり、お金の為に働くのも、それでももちろん良いのです。

 

でも、あるところまで歩いてきて、今までの役目を終えて、こんな疑問が浮かんできたら。

自分は何の為に生まれてきたのか。
何処から来て、どこに行くのか。
人間とは?
人生とは?
宇宙とは?
神とは?

 

昔はそんなところまで達する前に寿命が尽きてしまったり、毎日が精いっぱいだったりして、そんな疑問を持つ人はほんの一握りだったのでしょう。


時代は海王星うお座(スピリチュアル)だし、2000年を超えてみずがめ座の時代(アクエリアス)に入っているし、秘教や悟りの方面を向いてみるのも良いですよ。

・・・というか、今はもう目覚めないとね・・・

 

前にご紹介したウエイン・ダイア―さんも言っていますよね。
人生にはUターンする必要がある時期が来る人もいるよって。


自分は何故ここに居なくてはいけないのか。

私の場合は、生まれた時から、そういう思いを抱えたまま生きてきましたね。

 

早く消えたい=文字通りです、消えたかったんだゎ。

でも、どうしてそんな風に感じているのかは解らない。

 

そんな風に生きてきたので、この人生には何か目的があるのかどうかなど、探ってみたい気持ちは深いところにはあったけれど、この世界から逃げたいという思いの方が非常に強かった。

そうしているうちに、人間なので(笑)肉体を維持するために、社会に出ることになり、すっかりそうした疑問を潜在意識の中に入れ、蓋をしてしまった。

その後、なんとなく、する予定のない結婚・出産を経て、色々とさまよいながらも今ここに居ます。

でも、今は逃げたかった気持ちが大きく変化しています。
今までの道を経てきたことも、意味があったと解ったからなんです。

ほんの少しだけ、自分のことが解ってきて、生きる心構えが変わりました。

今はこの人生をもう少し、楽しんで還りたい。
そんな気持ちになっています。

ここまでには、沢山の本や、セミナー、セラピー、自己ワークなどを経験してきました。

 

色々経験したことから得てきた、沢山の情報や、事実のぼんやりとした輪郭が形になって繋がって、目の前に現れたのがこの本でした。

『奇跡のコース』

私にとっての秘教。
肉体として生きてきた、私たちの本当の目的地について書いてある。
内容は簡単、でもとても難しい・・・(笑) 様に感じる。

それは、肉体を持つ私たちが生きてきた常識からは、遠く離れた情報だからでしょう。
今、熱く秘教が必要とされ、カバラなども、もう秘教というジャンルではなくなってきているのではないかと感じます。

私たちは何処から、何をしにここに来たのか?

それを知るためのツールが、20世紀の最後に、あるアメリカ人心理学者の女性にイエス・キリストからの教えとしてチャネリングで降ろされました。

 

伝え方自体はチャネリングなので、かなり怪しい部類に入れられてしまうかもしれませんね。

でもその内容は、世界各地の秘教の教えとエッセンスが同じなのです。

 

私は一度、途中まで読み進んで挫折しています。
読んでいてもまったく意味が解らず、頭に入らず断念しました(笑)

そんなこんなと、色々経て、今また学習者として読み進んでいるのです。
それも、大きく時代が変化しつつある今だからなのではないかと思います。

 

注)私が使う『奇跡のコース』の日本語原本は上記写真の『奇跡講座』です。

 他にも『奇跡のコース』『奇跡の道』など翻訳者によって題名が違います。