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本人は味方として「是々非々」の一環で批判してるつもりでも、その批判が批判として間違っていたらそれは却って味方を妨害しているのと同じです。これは批判者に自覚が無い分、敵からの妨害よりもタチが悪いかもしれませんね。

 

アベノミクスに対する正しい批判の仕方

https://www2.monex.co.jp/maintenance/pdf/economic_20140314_1.pdf

2014/3/14 村上尚己

 

3月5日レポートでは、アベノミクス批判がメディアで増えており、機関投資家でも話題になっていることを紹介した。実際には2014年初から日本株市場が冴えないから、後講釈的にアベノミクスへの批判が語られるようになった面が大きい、と筆者は考えている。今週、再び日経平均が14000円台半ばまで下落した。主たる要因は海外にあるが、こうした相場が続く限り「流行りもの」としてのアベノミクス批判は、繰り返されるのかもしれない。

 

筆者は、日本経済・金融市場の正常化をもたらすという意味で、アベノミクスを総じて高く評価してきた。だから、アベノミクス発動で、「金融市場の姿が劇的に変わる」という考えを一貫してお伝えしてきた(12月30日レポート)。ただ、「アベノミクスは100%正しいとする応援団」であるかと言えば、それはかなり違う。

 

アベノミクスの第一の矢、つまり金融緩和強化は、脱デフレと経済正常化に直結する最重要政策である。これについては、現時点では、ほぼ満点をつけてよいと筆者は考えている。そして、筆者がアベノミクスとして高く評価しているのは、この部分だけである。

 

実際、それ以外については批判されてもやむを得ない面も多い。第二の矢(財政政策)、第三の矢(成長戦略)については、政策メニューの効果、実効性、重要性、副作用、など様々な観点から分析できる。以下では、第二の矢に焦点を絞って考えてみよう。

 

第二の矢によって、政府による投資や消費が増えれば(お金を使えば)、その分総需要を増やすので、脱デフレを後押しする効果がある。筆者は、脱デフレの「サポートツール」としての財政政策は有効と考えている。ただ、アベノミクスで実現している第二の矢には、いくつか大きな問題がある。

 

まずは、財政政策による景気刺激策には、減税を含め様々な選択肢があるにも関わらず、アベノミクスでは、政府歳出増加、特に公共事業拡大に偏っている点だ。もちろん、公共工事が増えた分は、直接GDPを押し上げるなど表面的にはその効果は分かり易い。

 

ただ、報道でも頻繁に伝えられているとおり、東日本大震災の復興需要もあり、土木建設業では人材や資材が不足している。こうした中で、公共投資が追加的に行われても、土木建設業における供給制約の問題が深刻になる。10月28日レポートでもお伝えしたが、公共投資が増えても、建設業の就業者は減少し続けている。

 

3月9日の日経新聞では、小売・飲食業が、建設費高騰を理由に新規出店を抑制している、という報道がなされている。脱デフレは、民間の消費や投資の持続的拡大により実現する。政府の公共投資が資源配分を歪め、民間の投資という最も重要な需要を阻むという弊害すら、現れているわけである。

 

アベノミクスの主たる目的が脱デフレで、そのために財政政策を使うならば、消費増税を先送りするのが最もシンプルな選択だっただろう。「増税と一体になった公共事業拡大」という第二の矢が、どういう目的で行われているのか筆者には理解しかねる

 

金融緩和政策の弊害を心配する前に、「第一の矢」を除いて、アベノミクスはあまり機能していない、と認識した方が良いだろう。それが、アベノミクスに対する正しい批判の仕方である。

 

(引用ここまで)

 

偉そうに論評できる立場でもなければその能力もありませんが、私はこのレポートに全面的に賛成です。

 

このタイミングでの消費増税は明らかに(トータルの結果はともかくとして)失策ですし、公共事業偏重の「第二の矢」が現状で採れるベストな方策でないことは明らかでしょう。特に建設業について、官需による民需の圧迫が現実として発生している以上、実行面に難のある公共事業を今以上に積み増しても効果は期待できないでしょう。

 

そもそも、建設業の供給力拡大は“長期的な課題”であり、それには“長期に渡る方策”(例えば、国土強靱化計画をより具体化して、関係業界の“期待”を醸成する)が必要です。“短期の目的(例えば、消費増税のショック緩和や、デフレ脱却)のための方策”として公共事業を位置づけてしまうと、却って建設業界に「消費増税のショックをやり過ごしたら、デフレ脱却したら、また公共事業予算は減るんだな」と思わせることに繋がり、本来の目的(供給力拡大)は達せられなくなります。

 

「第一の矢」が効いている現状において、確かに財政政策は経済成長に対して有効な一手であることは間違いないでしょう。しかしながら、公共事業だけが財政政策でないこともまた事実。直面している課題に対して柔軟に対応することこそが肝要なのであって、現実を踏まえればどう考えても「公共事業万能論」は成り立たないのです。

 

実際に機能している金融緩和政策の内の些末な弊害を殊更強調する一方で、財政政策(≒公共事業)のメリットばかりを強調して現実に起きている不具合を無視または矮小化したり、その対策としてさらに間違ったことを提案したりするのは現政権の足を引っ張ることにはなってもサポートすることにはならないと思います。さらには、それに同調しないことを理由に過激な政府批判を始めたり他の論調を貶めたりするのは、もはや内部撹乱工作と変わりません

 

 

 

ここでは例として経済政策について取り上げましたが、他の分野に関しても同じです。

 

例えば、外交上の課題を多く抱えている特定の国家について、感情論先行で「国際社会の一員である」という認識を欠いた言動をする人が散見されますが、そういう行き過ぎた行動がこちらへの批判の口実にされかねないということをよく認識すべきですし、それを理由に同調しない(できない)政府を批判したりするのはお門違いです。

 

あえて辛辣な物言いをすれば、「馬鹿の考え、休むに似たり」と言うように、使えない提案なら初めからしてもらわない方が面倒がなくていいですし、「それ、使えないよ?」と指摘されて逆ギレする(=議論できない)ような人は却ってこの国の為にならないので黙っていてもらいたいですね。無能な味方は有能な敵よりも怖ろしい

 

常に現状(※いろんな事情で「やりたくてもできない」というのも“現状”の要素には含まれる)に合わせた“最善”を模索し続けるのが本来の保守であるはずで、「俺の意見に同意できないヤツはみんな敵だ!」なんて言い出す人は保守を名乗るべきではない。

 

また、「味方だから」「同じ日本人だから」という理由で“最善”を模索することを放棄することは回り回って自国のためにならない、ということも肝に銘じておかなくてはなりません。味方でもダメなものはダメ、日本人でも間違っていることは間違っていると指摘できなければ、敵対勢力の間違いを批判できません(後々ブーメランになりかねないため)。

 

何か重大な事件や不祥事が起こると必ずと言っていい程、「アイツは在日だ!」「やっぱり?俺もそうだと思ってた」などと無根拠に言い始める人を見かけるのですが、ハッキリ言ってそれ、外国人差別以外の何者でもありませんからね?自ら他国に批判される材料をバラ撒く味方と“敵”とでは一体何が違うでしょうか?むしろ、味方にこそ間違っていることは迅速に正してもらわないと、後々迷惑するのは味方である我々なんですよ。

 

気に入らない連中を全否定して身内で盛り上がってるだけで良いのは非主流派でいる間だけです。「日本派」だかなんだか知りませんが、この国の主流派になりたいのなら常に議論を尽くして双方の同意を形成する努力ができなければ話になりません。この努力ができずして「主流派になれない」ことに対する恨み言を吐く資格はありません。