Subterranian Homesick Blues
I know this is killing me.
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金子光晴「絶望の精神史」について。

金子光晴のエッセイ「絶望の精神史」を読了した。
金子光晴は詩人だ。詩を書くことは、絵を描くことに似ている。

戦前・戦中・戦後の絶望した人間や狂気を冷静な、詩人の目で見つめ、それを描いている。
冷静であることはやさしさだと思う。残酷なまでのやさしさだ。

以下に少し抜粋---
もっとも身近い僕の実父は、百万円の産を作る誓いを立てて、七十年間悪戦苦闘し、ついに果たすことができなくて、四国に渡り、貧しい漁村の裏山にある空寺の番人をして、絶望の一生を終わった。また、僕の叔父にあたる男は、鹿児島の海上で枝珊瑚の栽培を計画し、失敗して自殺した。妻の不倫を憤って、コレラ菌をのんで死んだ知人の医者もあったし、才能の不足を嘆いて、自分の指を断ち切って仕事への野心を断念した友人の彫刻家もあった。
そんな人たちを一人ひとりさがすまでもなく、人間に死のあることが、そもそも、えこ贔屓なく、だれでもがもっている絶望と言わねばなるまい。
(中略)
僕がこの本で試みようとしていることは、われわれのまえにぽっかり口をあける奈落、おもいがけぬ破滅の種々相を並べて、人を驚かそうというのでもなければ、振幅の少ない僕の貧弱な人生から、絶望から身をかわすテクニックを講義しようというつもりでもない。
(中略)
僕がこの本を書いた目的は、犠牲者たちをそこに追いこんだ、特別な環境、風土や、時代的性格と、彼らとの関係をながめてみたかったのだ。
----1 絶望の風土・日本 東洋の孤島が培ったもの より

このように彼は語っている。
そして本文に展開されるのは"振幅の少ない僕の貧弱な人生"などではなく、戦争をまたいで洋行して出会った数々の時代を生きる人々やいわゆる文化人と出会ったりして見聞きしたことを生々しく伝え、その"文化人"たちの主体性のなさなどを見てあきれたりするような体験を言葉巧みに伝えてくれる。
この書を読んだのは素晴らしい体験だった。

最後に、金子光晴氏の詩を一編書き出しておこう。

ゆらりゆらりとおちていきながら
目をつぶり
双つの足うらをすりあはせて、わたしは祈る。
「神さま。
どうぞ。まちがひなく、ふるさとの楽土につきますやうに。
風のまにまに、海上にふきながされてゆきませんように。
足のしたが、刹那にかききえる夢であつたりしませんやうに。
万一、地球の引力にそつぽむかれて、落ちても、落ちても、着くところがないやうな、悲しいことになりませんやうに。」
----詩集『落下傘』より

憧れの味、電気ブラン

浅草の神谷バーが文化財指定される動きがあるというニュースを見た。
神谷バーといえば、電気ブラン。
電気ブランといえば、太宰治の人間失格。
劇中、悪友の堀木から「安く早く酔うにはこれが一番良い」と勧められる酒だ。

太宰の破滅への快楽に憧れがあったぼくはその名前を覚えたが、なかなか試す機会がなかった。
ある夜浅草で痛飲した、そのときいっしょに居た地元の人に連れて行かれたバー。神谷バーではなく、雑然とした、地元に人気のあるジャズバンドの根城になっている小さなバーだった。そこで初めて電気ブランに出会った。

味がどうの、といった飲み方はしなかったように思う。ただ、キツくて形容しがたい複雑な味がしたような気がする。あとは、人間失格の世界に一歩足を踏み入れたような満足感と。
イキオイでかぱかぱっと何杯かやっつけたのでその場はとても盛り上がり、着物を着ていた店のおねえさんに「その着物は自前のですか」などとカラみはじめたところでその場はお開きとなった。

そして次の日、猛烈な二日酔いに七転八倒することになった。きっとお姉さんにカラんだバチが当たったのだろう。
それがぼくの電気ブラン初体験である。

その後、しばらくは電気ブランを避けていたぼくだったが、やけくそな気分になったときには再び口をつけることもあった。
ストレートの電気ブランにビールをチェイサーで。これが「通」な飲み方だと教わって。たしかにアルコールの味をアルコールで洗うというこの飲み方は、電気ブランの背徳的な魅力を引き出しているような気がした。


この機会に関西でも飲めるところを探そうかしらん。

nothing more than just a day

ベベチオというデュオのアルバムを買った。
シンプルなギターサウンドが心地いい。
くるりより少し年がいっていて安定感がある。キリンジよりポップで低体温。そんな感じのサウンドだ。

アルバムの一曲目、“bit”という曲を聞いたとき、あるしあわせな夏の日の思い出が鮮やかによみがえった。

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10年前のその日、ぼくは留学して一人暮らしを始めたばかりだった。

地元大学の寮が夏休みで空く間、短期間そこに住まわせてもらうことになった。

スーツケースひとつで転がりこんだぼくは、すぐに環境に慣れて快適に過ごしていた。

夏の昼下がり、太陽がかっと照りつけるのに日陰はやけに涼しく、中庭の窓沿いのデスクにノートパソコンをおいてゲームやなんかをしていると、どこからか耳馴れない言葉が聞こえてくる。

窓から窓へ、大きな声でおしゃべりをする女性たち。

この響きはスペイン語かな、などと乏しい自分の知識を探りながらカーテンをそっとずらす。

空は抜けるような青でとても高い。スペイン女性たちの笑い声は底抜けに明るく、大きく響く。

アイスコーヒーが飲みたくなる。そうだ、スターバックスにいってコーヒーを飲もう。ついでに映画も見てこよう。

スペイン女性たちのおしゃべりは続くが、彼女たちの姿は見えない。楽しいおしゃべりは青い空に抜けていく。照りつける太陽、部屋には一人。ここが何処だかわからなくなる。
ああ、アイスコーヒーが飲みたいな、、、

Hold your head up high.



When you walk through a storm
嵐の中を行くときは
hold your head up high
顔を上げていこう
and don't be afraid of the dark
暗闇を怖れないで
at the end of the storm
嵐の終わりには
there's a golden sky
黄金の空が広がっている
and the sweet silver song of a lark
そしてやさしいヒバリの歌が聞こえてくる
walk on through the wind,
風の中を行こう
walk on through the rain
雨の中を行こう
though your dreams be tossed and brown,
たとえあなたの夢破れようとも
walk on, walk on
歩いていこう 歩いていこう
with hope in your heart,
希望を胸に
and you'll never walk alone
きみはひとりじゃない
you'll never walk alone
きみはひとりじゃない

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今回の震災で多く(知る限り全て)のサッカークラブが哀悼の意を表した。
そんな中、クローズアップされたのがこの曲。
リバプールFC、セルティックFC、ボルシアドルトムント、アイルランド代表、FC東京、etcetc...
数多くのクラブがこの曲を団結の象徴として使っている。
サッカーファンとしては胸にぐっとくる。

ごめんねニースチェさん

2週間ほど前にニーチェ(綴りから、ニースチェとも言うらしい)の「善悪の彼岸」文庫版を買ってきたのだが、思いっきり挫折してしまった。
調べてみるとどうもこの文章は彼が精神を病み始めたときに書かれた作品のようだ。
とにかく文章が大仰で読みづらい。ドイツ語がわかればけっこう面白いのかもしれないが、日本語に約して読むのはちとつらいものがある。

先に「人間的な、あまりに人間的な」を読むべきなのかしらん。
とりあえずニースチェ、すまん。ちょっと、これは横に置かせてもらうわ。

かわりに「イスラム教」という本と、中島らものエッセイなどを読んでいる。
とても読みやすい。いい感じだ。

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昨年末からはじめたダイエットだが5-6kg減で下げ止まった。
あと1-2kgは痩せたいが、とにかく最低でも現状維持。
筋トレによる代謝量増加が効果的、な、気がする。

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