看板娘 | 同じ月をみてる

同じ月をみてる

44歳おやじの日記

看板娘にちゃんとなっているか、気になる今日この頃です。

ある人に、ちゃんと看板娘になればと言ったことがありました。本人は嫌だと言っていたけど、たぶんその笑顔で接客すればお客さんもたくさん来てくれて、それが似合うと思ったからです。普通に店頭に立てば2割は売上が上がるだろう。実家の肉屋を継げではないけど、母の気持ちを考慮し手伝って欲しかったのです。

たぶんそれが、彼女の本当の姿です。  君に届けです!!

たぶん本人は自分の価値を過小評価しているのですね。すぐそうなることは難しいかもしれないが、その笑顔ならお客様はついてきます。

男の子が二人いたので、そのどちらかでも継ぐかもしれないし、その下地を母が作っておければ、そうした方がいいとそう伝えました。そんなタイプではないですが笑 若かったからだんだんとその子も、考えも変わるし、自分のプライドもあるけど、いろいろ想いはあるだろうが、おれはそれを進めました。今どうしてるか、会うことはできないけれど、ずっと心に残っています。看板娘になってたら嬉しいです。



最近は妙に社会のことが気になったり、他人のことをどうのこうのなんて、言える立場ではないのですが、最終的にはそういうことが理想かなと思います。

たまに憂さ晴らししたいとかそんなつもりはないのですが、攻撃的になったりするときもあるのですが、やっぱり皆の幸せというか、自分だけ良ければいいという考えは歳と共に自然と消えてゆくものですね。七不思議のひとつですよ(笑)



「PUB白夜行」が始動します。

やる自信はないです。何も決めてない。ただ18の頃東京に一人で上京したんです。その時は恐怖はあったけど、生まれたからには花の都大東京住んでみたいじゃないですか?誰も知らない宛さえもないところで、一人行ったのです。

大東京ですから(笑)赤帽に荷物を頼んで、一人で三鷹まで行きました。福島くんだりから、いわき市から飛び出して、帰る切符も持ってはいなかったです。会社の寮に入ったのです。飲食業などやったことはなかったです。

バイトはセブンとヨークのレジと、結婚式場の裏方をやってきましたが、トレンチお盆さえも持てないし、何もかもがぶっつけ本番でした。

いつも出たとこ勝負で、ぶっつけ本番で怒られるわ、できないわ、ひどいけどなんとかやってきました。。。。。

電車に乗ったこともないけど、改札でも迷ってました。はじめは二人部屋でベット以外は4畳半でした。寮だから仕方ないけど、なんだかわからいけど、東京に行きたかった。行かなければ魂が納得しないというか、自分の目で物事を現実を見たかった。

たった一人、一人ぼっちでした。でも楽しかったです。妙な希望と勢いがあったのかなああ。。

その時に比べれば、今は全然、そうとうましですWW


あの時を想えば、怖いものなどはない。人生経験は積みました。でも怖がりなので、ビビッてるんですが(笑)

そういうすべてが、今の支えです。


自分を奮い立たせるために、こんなこと書いてるのですが、付き合わせて申し訳ないです。


皆さん体に気をつけて

自分を大切にしてください