価値観の押しつけ | 同じ月をみてる

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44歳おやじの日記

自分の子供も守れないのに、他人の子など守れるのかと思う今日この頃です。

誰とは言いませんが(笑)ちょっとそれはどうかなと、野球選手としては大好きなのですが、どうなんだろうと考えさせられました。
ほんとどうでもいい話なんですが。。語るまでもない話なんですが、「価値観の押しつけ」にぐっときました。

離婚間もない女と、それは価値観の押しつけなのか?何もかも表に出せばいいってものではないです。わかっていても周囲が知っていても、自分の口から言わない方がよいこともあります。創造や知らなくても、聞かなくてもよいこともある。

一番恐ろしいことは、自分が正しいと開き直った人間をみることです。他人の意見は自分がそう思っていても、聞く耳を持つことが大切だとそう思います。自分が間違っていることもあるし、間違っているとわかっていても進まなければならないこともある。

でも開き直りとは別の物です。

「価値観は押しつけるものだろう」ある意味そうだろう。また「一般常識」ともいうのかもしれませんね。わからないやつには、時には押し付けることも意味があるのではないかと、自分はそう考えています。常識とは、ひとそれぞれ物差しが異なりますが、子供が絡んだ場合のみ、それは第三者の価値観を聞いてみてもいいのではないでしょうか?なぜなら一人で生きているわけではないからです。当人同士の問題で済まないことと、二人だけの問題で済むのであればだれも何もいいません。

なぜなら子供も、第三者の目線で親や物事を考えるからです。

幸せとは、もしかしたら、誰か他人の犠牲で成り立つものかも知れないですね。

これ以上語っても仕方ないので終わります。



さて、おれも自分の価値観をある女性にいつも押し付けていたのですが、一般常識論です。例えば髪の毛が赤いママがいるかとか、家に帰らないバカがいるかとか、ちゃんとしろとか、自分が聖者でもないのに、好きな子には聖者であって欲しいというか、最低限の常識はわきまえていてほしい。

というか、どちらかといえば、願いのような、そんな心境でした。でも子供に誇れる母親であってほしいと、これが真意でした。そう何があってもその超えてはいけないラインは、そこでそうあって欲しい願いでした。

そんなことばかり言っていたので、相手は逃げるのですが(笑)



別の話を書きたかったのですが、どうしてかこうなってしまいました。


子供に誇れる母親であってほしい


子供に誇れる父親であってほしい




人間みんな弱いけど、ルールはやぶるが、マナーは守る



自分もたくさんの罪と罰を犯してきたのですが、全然関係ないのですが、子供の期待だけは幻滅させないでほしいと


なんだか、そう思うんですよね。


都合のいい話で申し訳ないのですが、価値観を押し付ける人は、そういうことが真意なのではないかと思うんです。



皆さん体に気をつけて

自分を大切にしてください