今年の目標は、感情を表さないで、穏やかにあり続けることだと思う今日この頃です。
自分を突き動かすのは、怒りや復讐心のたぐいなのだと感じていました。
感情をぶつけない静かな世界に存在したいが、好きなものに、怒りをぶつけてしまう。
愛してるからこそ、そのたぐいの怒りをぶつける。
お互いに傷つけあって、ぼろぼろになることを望んでいるように、子供みたいなことをしてしまう。
物足りない気持ちは、どこにもって行けばよいのかわからないが、突き詰めて行くと、感情をなくすことが、最終形態になる。
それは淋しいこと、悲しいことにも思えるが、正しいことなのだと思う。
穏やかとは、成長だとも言えるのかもしれませんね。
誰かを挑発したり、挑発されたりしないこと。
静かな世界に存在すること。
出家する人はきっと、そんな想いを抱くのだろうか。
子供の頃にした、スカートめくりのように、そこから、何も変わってない気がする。今したら犯罪ですが(笑)
ひらひらと、なびいているから、気になって仕方がない。スカートは今世紀最大の発明かもね。
凧上げは、自宅の後ろがたんぼだったので、正月になるといつもしていた。
ひらひらと空たかく舞い上がって、なびいている。凧糸を持つ手を離してみたいと思った。
子供には凧は高級品だから、そんなことはできなかったが、風に煽られると、最後には壊れてしまうのです。
なんだか、その頃のことを思い出しました。
お正月休みには、毎年バイクで帰省していた。
この寒いなかバイクで走ると、風という風が、全身に入り込んでくる。寒さに、体の芯まで脅かされる。
少しも隙間をつくらないように、防寒する。高速道路ではさらに体感が異なる。
いつか壊れるのではないか、バラバラにバイクが分解して、散らばって飛び散って行くようなイメージが脳を支配する。
それを越えると、風と空と体が、バイクによって繋がってゆくのです。
そして、バンドルを握る手を離してみたいと、そんな思いにかられる。離したら死だ。
そしてまた、イメージに脳が支配される。
ぎしぎしと震えるように、バイクが音をたてる。振動がさらに、音をたてて圧迫してくる。
一つのネジの緩みさえも、バイクは赦してはくれない。
風や他の車から煽りを受けて、スピードをおとすと、さらに煽られる。恐怖感から、スピードを下げるが、それが逆なのです。
恐怖を打ち消すためには、アクセルをまわし、スピードを上げないと、バランスが保てない。強風を抑え込めないのだ。
煽りは、やがてどこかに消えてゆく。
バイクとはそんな乗り物だ。心理的な、乗り物なのです。
ひらひらしているものは、なぜか人の心をときめかせる。
Android携帯からの投稿