鉄馬とひらひら | 同じ月をみてる

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44歳おやじの日記

今年の目標は、感情を表さないで、穏やかにあり続けることだと思う今日この頃です。

自分を突き動かすのは、怒りや復讐心のたぐいなのだと感じていました。

感情をぶつけない静かな世界に存在したいが、好きなものに、怒りをぶつけてしまう。

愛してるからこそ、そのたぐいの怒りをぶつける。

お互いに傷つけあって、ぼろぼろになることを望んでいるように、子供みたいなことをしてしまう。

物足りない気持ちは、どこにもって行けばよいのかわからないが、突き詰めて行くと、感情をなくすことが、最終形態になる。

それは淋しいこと、悲しいことにも思えるが、正しいことなのだと思う。

穏やかとは、成長だとも言えるのかもしれませんね。


誰かを挑発したり、挑発されたりしないこと。


静かな世界に存在すること。


出家する人はきっと、そんな想いを抱くのだろうか。


子供の頃にした、スカートめくりのように、そこから、何も変わってない気がする。今したら犯罪ですが(笑)


ひらひらと、なびいているから、気になって仕方がない。スカートは今世紀最大の発明かもね。


凧上げは、自宅の後ろがたんぼだったので、正月になるといつもしていた。

ひらひらと空たかく舞い上がって、なびいている。凧糸を持つ手を離してみたいと思った。

子供には凧は高級品だから、そんなことはできなかったが、風に煽られると、最後には壊れてしまうのです。

なんだか、その頃のことを思い出しました。

お正月休みには、毎年バイクで帰省していた。

この寒いなかバイクで走ると、風という風が、全身に入り込んでくる。寒さに、体の芯まで脅かされる。

少しも隙間をつくらないように、防寒する。高速道路ではさらに体感が異なる。

いつか壊れるのではないか、バラバラにバイクが分解して、散らばって飛び散って行くようなイメージが脳を支配する。

それを越えると、風と空と体が、バイクによって繋がってゆくのです。

そして、バンドルを握る手を離してみたいと、そんな思いにかられる。離したら死だ。

そしてまた、イメージに脳が支配される。

ぎしぎしと震えるように、バイクが音をたてる。振動がさらに、音をたてて圧迫してくる。

一つのネジの緩みさえも、バイクは赦してはくれない。

風や他の車から煽りを受けて、スピードをおとすと、さらに煽られる。恐怖感から、スピードを下げるが、それが逆なのです。

恐怖を打ち消すためには、アクセルをまわし、スピードを上げないと、バランスが保てない。強風を抑え込めないのだ。

煽りは、やがてどこかに消えてゆく。

バイクとはそんな乗り物だ。心理的な、乗り物なのです。

ひらひらしているものは、なぜか人の心をときめかせる。















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