陽のあたる場所 | 同じ月をみてる

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44歳おやじの日記

久し振りに、気が変になるまで、飲み続けたら、体がもたない今日この頃です。

朝までは、もうきついですガーン

そしてそれが、心地よいとは、思わなくなりました。

昔は週一は朝まで昼まで、飲んだりしていました。


そろそろ人生を考えなければならない時です。


墜落している人間、悲しいそんな人間、破滅して行く過程、そんな女にひかれる。

今日消えてしまう飲み方をしても、朝がきて、夜がきて、現実があり、支払いがあり、生活がある。

現実がある

歳もとる


ざわめきのなかよりも、穏やかな、陽のあたる場所を望んでいます。

そうならなければ、ならないと、今は考えています。

夜三時を過ぎると、酒場には悲しいわけありな人間が集う。

淋しさをぶつけてるような、孤独な住人

自分もそのなかの一人でした。

勿論淋しさを受けるのが、夜の商売なのでしょう。ここでも、需要と供給がある。


久し振りに感じたことは、そんなことでした。寂しさをぶつけてはいけない。




以前のようには、もうなれませんでした。



そのなかで、生きることを否定してきました。責め立ててきました。


責めるということは、お互いにとって、よくないことでしたが、今思えば、愛していた証拠なのかもしれません。


今はそれがなくなりました。


責めないことは、何かが変わった。

あの頃の愛情を持てなくなってしまったようです。

それに気づいた帰り道でした。




彼女には彼女の生き方人生がある


その道はたぶん自分とはつながってない




新しい道を探そうと、新しい恋に、そう、それも悲しいものだけど、先を考え、大人になる時期だよな。


温かい場所


それは家庭なのかな

温かいやすらぎのある人のもとに

いきたいです






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