「旧街道」を歩いてみよう ①そもそも旧街道って何?? | ふるさとを調べてみよう

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「旧街道」とは、江戸時代以前から存在した主要な幹線道路、とひとくちにいえばいいでしょうか。今でも私たちが毎日通る道かもしれませんし、あるいは近代的な建物に遮られすでに存在しない道かもしれません。

明治維新の以前には、峠を越え谷川沿いを歩くなど自然の地形に逆らうことなく拓かれた道にそって交通網がつくられていました。明治以降、徐々に建設技術が発展し橋やトンネルが造られ、さらに鉄道の普及も影響してより便利な道路交通網が整備されていき、交通事情は時代と共に複雑に変化していきました。交通の便利な場所には人や建物が集中し、不便な場所はさびれていきました。道は社会の血管とでもいうものか、人口の変化など地域の事情は交通網の影響を大きく受けるようなのです。

 

話を「旧街道」に戻すと、山口県の主要街道にはまず畿内~瀬戸内~九州を結ぶ「山陽道(奈良時代からの主要街道)」があり、それに通じる萩往還、石州街道、赤間関街道、山代街道などがよく知られるところとなっています。これらは江戸年間~明治にかけて交通量も多く、現在でいうところの国道級に整備された街道でありました。現在では「歴史の道」として市町村や観光協会により石碑や案内板、ガイドマップなどわかりやすく作成され、誰もが気軽に文明開化以前の道筋をたどることができます。

 

「秋穂街道」という名前は、大内氏時代の「西の京」への玄関口であり、大内輝弘の乱や脱隊騒動など山口の歴史的事件に関わった道として、近年の山口市の歴史に関する読み物などにたびたび登場します。この「秋穂街道」を歩いてみるため、郷土史に全く知識の無かったド素人はまず、図書館やインターネットなどで旧街道の歩き方を探るところからスタートしました。

 

 

↑やまぐちの街道ウォーキング用パンフレットの一部

 ほかにもいろいろ充実してますよ~

 

2024.6.2