人と話すのは好きだし、
関わることも嫌いじゃない。
だけど、
「大人数の前で話す」となると
一気に苦手意識が強くなる。
特に「意見を求められる場面」が怖い。
今日はそんな自分の特性について、深掘りしてみたいと思う。
幼い頃から「聞き手」の自分
私は小さい頃から人見知りで、
おとなしい性格だった。
仲良くなると少しずつ話すようにはなるけれど、
基本的には聞き手に回ることが多かった。
少人数での会話は好き。
でも、大人数の中では緊張して話せなくなる。
なぜだろう?
視線が集まると、頭が真っ白になる
人前で話すのが苦手な理由は、
「自分に注目が集まること」が怖いから
だと思う。
たくさんの視線が一気に自分に集まると、
途端に
自分の容姿や声、話す内容まで
気になり始める。
「おかしくないかな」
「変なこと言ってないかな」
そんな不安で頭がいっぱいになってしまう。
特に急に意見を求められたときは最悪で、
焦って、
何を話してるのかわからなくなってしまう。
事前に聞かれることがわかっていたら、
準備ができるのに…。
学生時代も、授業中ずっと祈っていた
思い返せば、
私は昔から「授業中に当てられること」
が苦手だった。
日直が日付を合算して順番に当てる先生や、
名簿順の先生…。
そのパターンを毎回予測して、
心の中で「どうか当たりませんように」と祈っていた。
わからないから答えたくない、というよりも
「間違えたらどうしよう」
「変な子だと思われたらどうしよう」
「目立ちたくない」
そんな気持ちが強かった。
改めて考えると、
「間違えることそのものが怖かった」
からだった。
では、どうしてそんなに怖かったのか。
ここから少し深掘りしてみたいと思う。
間違えたらどうしよう…
→恥ずかしい。
間違えると頭が悪いと思われるのではないか。
陰口を言われるのではないか。
クラスの人に嫌われるのではないか。
自分の考えを否定されることが、自分の存在も否定されているような気持ちにもなる。
自分の考えを否定されると、「違うよ」と言われたその言葉だけでなく、
「私自身が間違ってるって思われたのかも」と感じてしまう。
そんな風に、意見=自分そのもののように捉えてしまっていた。
変な子だと思われたらどうしよう…
→変な子と思われたら
仲間はずれにされるのではないか。
孤立してしまうのではないか。
いじめられるのではないか。
目立ちたくない
→とにかく注目されたくなかった。
クラスや集団の中で浮きたくなかった。孤立するのが怖かった。
書き出してみて気づいたことは、
孤立するのが不安で怖い、ということ。
皆と違うことで嫌われて、
仲間はずれにされたり、
浮いてしまうんじゃないか。
そんな気持ちばかり。
極度に集団の中で孤立することへの恐怖が強く、
周囲の目を気にしていることに気づいた。
思い返せば、
人と話す時はいつも相手の顔色を窺っていたし、
話を聞く時も、自分の意見は言わず、
相手の意見に合わせることがほとんどだった。
自分の意見を言うのが怖かった。
いつも、
相手に嫌われないように。
変な人だと思われないように。
目立って、誰かに注目されたり標的にされないように。
ひっそりと、人に合わせながら生きてきた。
だからこそ、
今も人前で話すのは怖いし、
特に意見を求められることに怖さを感じているのだと思う。
話したら、
ボロが出るんじゃないかって
思ってしまう。
でも、社会人になってから、
仕事という形で、
「私はこう思うんだけど、あきさんはどう思う?」と
問いかけてもらえる機会が増えた。
相手の人から、
「あなたの意見を言っていいよ」
「意見が聞きたい」と言ってもらえる。
学校の授業みたいに、当てられるのではなく、
相手から意見を求めてもらえること。
そうしてもらえることで、
安心して自分の言葉を伝えることができるようになった。
つまり、
「話してもいい、と相手から保障してもらえること」で、
はじめて
少しずつ自分の気持ちを考えるようになり
自分の意見として
相手に伝えることができるようになったのだと思う。
そう思えるまで、すごく時間はかかったけど
少しずつ成長できている…
ようやく、最近はそう思えるようになった。
まだまだ、課題はあるけれど
自分の気持ちや考えを持って、しっかりと相手に伝えられるようになりたい。