抗ガン剤特許のケイ素水 | 世界はそれを愛と呼ぶんだぜ♡愛୨୧祈り * ❁*❁神聖曼陀羅❁* ❁*

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❁*古代から続く生命のシンボルとされる神聖幾何学模様を中心に配し、あなたのための曼陀羅をお描きします。古代の叡智、神聖なる波動を秘めた高次元エネルギーを貴方のもとに… ❁*



子宮頸がん・乳がんと向き合っている わたしの友人達には〝シリカエナジー〟〝けいそのちから〟を摂るように勧めています。

1人でも多くの方に ケイ素のことを知ってもらいたいのでken2さんのブログをリブログさせていただきました。


わたしの母は肺癌にかかり60歳で亡くなっています。
気づいた時には 末期でしたので 手の施しようがなく、
病院ではなにも治療をしていません。

その時の診断では 

『余命 2ヶ月。いつ亡くなってもおかしくない。』

と言われましたが、
NK細胞療法を受けたのが幸いしたのか、
それとも ただ単にそれが母の寿命だったのかはわかりませんが、
余命は1年に延びました。

その時にケイ素のことを知っていたら また違ったかもしれません。

長年 母のことを恨み憎んできましたが、
母が亡くなるまでの1年間、
母を自宅に引き取り
わたしが介護をしました。

その頃  息子が小3、娘は小1でしたので
娘の通院もしながら介護をするのは本当に大変でした。

いつも時間に追われていました。

そして 一番苦しんだのは
母の治療に関して 養父と何度も喧嘩になったこと。
わたしは母の望む治療をしてあげたかったし、
それは 何より 母が 望んでいることなのに
全く耳を貸そうとしなかった養父。

この1年の間に 養父のことを 本気で殺してやろうと思ったことが何度もありましたし、
母への恨みも倍増しました。

わたしにとっては地獄の1年間でしたが、
母にとっても地獄の1年だったでしょうね。

痛みと闘い
死の恐怖とも闘い(母は癌も死も受け入れようとはしていませんでしたので)
わたしに対しては 毎日
『申し訳ない』と
思っていたでしょうから…

母には可哀想なことをしてしまいました。


今ならわかります。
毎日毎日
養父から暴力を振るわれていた わたしと妹の姿に、
母は どれほど 心を痛めていたでしょう。

母が庇ってくれないことに対して
わたしは母の愛がわたしたちには全く注がれていないのだ…と思い込んでいましたが、

養父に逆らわず
養父のもとで生活を続けることが 
わたしたちの暮らしを守ることになると、
母はそう思っていたのでしょう。
それこそが わたしたちへの母の愛だったのかもしれない…と、
今ならそう思えます。

母も
養父からは家政婦のようにしか扱われていませんでした。

明るい性格の母でしたが、
養父と再婚してからは 笑顔も明るいおしゃべりも
消えてしまい、
養父の顔色ばかりうかがっていました。

母の肺癌は、そんな生活を20年続けた結果だと思います。

タバコもお酒も口にしたことがないのに癌になるなんて。


笑顔で過ごすこと


これがどんなに大事なことか
母の20年を振り返ってみて あらためて感じました。

ケイ素やミネラルをバランスよく摂り、
よく食べて、よく笑い  感謝しよう!

あらためてそう思いました。


東先生に検査していただいた わたしの血液…

ゴミとかいっぱいあったので 

よく食べて、よく笑い、感謝します 
ケイ素は娘に飲ませます
わたしはバランスの良い食事を作ること、心がけます。

早寝早起きも大事。

今夜もありがとうございました。

暖かくなさって  おやすみなさい

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いつかのお月さま