「靖国神社法案」挫折から半世紀 | MTFのAkemiのblog イタリア児童文学・皆既日食・足摺岬が好き

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私は、イタリア児童文学が大好きで、皆既日食も大好きで、足摺岬も大好きな、団塊の世代に属する元大学教員で、性別はMTFです。季節の話題、お買い物の話題、イタリア語の勉強のしかた、新しく見つけたイタリアの楽しい本の話題などを、気楽に書いていこうと思っています。

一昨日気がついたのですが、2024年5月25日は、戦後私立の宗教法人として存続してきた靖国神社を再び戦前のように「国のもの」とすることを狙って国会に上程された「靖国神社法案」が、衆議院を通過した日(1974年5月25日)から、ちょうど半世紀でした。

 

そのときの可決は、提案者の顔を立てるための義理チョコ的可決にすぎず、衆議院通過の段階ですでにこの法案は参議院では廃案にすることが、与野党間で了解済みだったと言われています。そして実際6月3日に廃案となり、以後、同じ法案は二度と国会には上程されていません。

 

しかしその後も、「靖国神社は実質上国家的、公的な神社であり、それゆえ国の高官が公式に表敬するのは許されるはずだ」という主張は残り続け、そのことの合憲・違憲について問わないまま、外国からその行為に対してクレームがついた(1985年)という別の事実にだけ光を当てる「論点ずらし」がまかり通るようになって、今に至っています。

 

近年に至っては、評論家としてけっこう名の通っている人でも、そのときの事情にまったく疎いまま、外国のクレームが何たらかんたら、A級戦犯が祀られていることが何たらかんたら、というような余計なことばかり論じたあげく、「靖国問題のいちばんすっきりした解決は特殊法人化でしょう」などと、手垢のつききった案をさも創意に満ちた案であるかのように開陳する人がいたりして、歴史をきちんと知ったうえで発言することのむずかしさを、あらためて感じさせられます。

 

これにつき、拙著『間違いだらけの靖国論議』

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では、それがいかに過去の靖国神社法案をめぐる経緯を知らない無知な発言であるかを明らかにしていますから、ぜひご参照ください。

 

     *     *     *

 

(以下引用)

 

 靖国神社国家護持運動は、占領下で一九四七年に組織された「日本遺族厚生連盟」の後身「財団法人日本遺族会」(一九五三年三月認可)が、改組後まもなくスローガンとして掲げて以来、ずっと続けられてきた運動です。具体的には靖国神社を私法人から日本放送協会などと同様の特殊法人へと改組し、公然と国の支援を受けられる組織にしようというものです。この運動は日本遺族会が自由民主党の国会議員と協力してまとめた「靖国神社法案」へと結実し、一九六九年から五回にわたってそれが国会に上程されるまでになりました。

 しかし、同文の法案が毎年上程されては審議にも入れないまま廃案となることが四回くり返されました。五回目の一九七三年に継続審査とされたあと、翌一九七四年五月二十五日に衆議院だけを通過しましたが(資料【四七四】)、参議院では審議に入れないまま廃案となりました。以後、この法案は二度と上程されていません。

 「国のために死んだ者を祀る施設を、国が公的に遇して何が悪い。ごく自然なことではないか」といった、一見わかりやすそうに思える考え方を盛った法案が、どうして自民党が過半数を制している国会で通らなかったのか?――ここにこそ、靖国問題を考える際に必ず踏まえねばならないキーポイントがあります。

 この論点をなおざりにしたまま、中曽根参拝を機に外国がどうクレームをつけたとか、それが正当か不当かなどという論点を靖国問題の主要論点だと取り違えているところに、昨今の靖国論議の不毛さがあります。

 

   [中略]

 

 靖国神社法案は一九六九年以降四回にわたって審議未了・廃案をくり返した後、一九七三年四月二十七日に五度目に上程されたものが会期末に継続審査と決まり、その年の十二月一日に召集された通常国会で審議凍結が解除となり、一九七四年四月十二日に衆議院内閣委員会でようやく初めて委員会レベルで可決されました。そして本会議に付託されて五月二十五日には衆議院を通過するのですが、じつはその時にはすでに、これは提案者の顔を立てるための義理チョコ的な可決にすぎず、参議院に付託されても通過はさせないことが、関係者のあいだでは了解済みだったと言われています。翌日の朝日新聞朝刊三面には「『了解ずみ』の〝靖国〟可決」との見出しが見られます。

 というのは、委員会での可決から本会議での可決に至る中間の五月十三日付で衆議院法制局によって示された「靖国神社法案の合憲性」という文書(旧資料集一七一~一七五頁)には、この法案は現行の靖国神社の神道的諸儀式を排し、世俗的なものへと置き換えることで初めて合憲になるという趣旨のことが、正直に書かれており、当の靖国神社自身および神道家の立場から法案を支持してきた人々がこれに反発し、そのような法案ならたとえ国会を通過しても意味はないとの態度へと転じたからです。

 

    [中略]

 

 つまり靖国神社法案は、軍国主義復活反対という政治的な観点からの反対のほかに、政教分離をしっかり守れという宗教界からの反対、およびこんなかたちでの国家護持ならば意味がないとする靖国神社自身の反対という、三種類の反対があって不成立に終わったものなのです。

 以来、もともとは国家護持運動に大いに情熱を燃やしてきたという人であればあるほど、事情をよく知っているがゆえに、靖国神社法案をもう一度蒸し返して成立を期することは無理だということを、本音を言える場では明言します。代表的な例として、靖国神社に対して県費からの玉串料支出をくり返し、愛媛玉串料訴訟の被告となった白石春樹元愛媛県知事の場合があります。

 

    [中略]

 

 このようなわけで、「靖国神社を特殊法人にして、国が心おきなく面倒を見られる組織にすることこそが、赤紙一枚で召し出して命を捧げさせた戦没者に対し国の示すせめてもの誠意の証である」といった一見わかりやすい命題は、靖国神社のもつ宗教団体としての性格を考慮したとき、そう簡単に肯定できるものではないことがわかってきたのです。

 

    [中略]

 

 二十一世紀に入って以降、靖国神社が中韓との外交的摩擦の原因になっている状況に直面して初めてこの問題に関心を持ったような人は、評論家として知名度のある人でさえ、「根本的解決は特殊法人化じゃないでしょうか」などと能天気なことを言う場合がありますが、そういう人は、ここで紹介した歴史を勉強していないのだと思います。

 

(引用終わり)

 

     *     *     *

 

自己宣伝で恐縮ですが、この問題にご関心のおありの方は、ぜひ拙著をお買い求めください。

 

 

↓これらのこともご参考まで。

 

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