ファティマの聖母出現のときの「太陽の奇跡」(1917年10月13日に起こったとされる)の話は有名ですが、
似たような「奇跡まがい」なら悪魔でも起こせるらしいと推測させる情報を、私はひとつ知っています。
それは、とある、仏教だと称する新宗教でのこと。
その「教え」の実態は、マルチ商法まがいの「人狩り(新規勧誘のノルマ化)」と、「霊能者」による霊感判断を毎月受けさせることによって信者を麻薬中毒的な教団依存症患者にすること。入信して、修行とやらが進むほど、信者はおしりに火をつけられたような焦慮と不安のとりこになって、「ああ、まだ修行が足りないのだ。先祖の因縁が切れていないのだ。もっと精進しなければいけないのだ」と感じて、ますます自虐的に深入りすることになります。(そして、ある日洗脳が解けて「夢から覚める」と、「ああ、なんとくだらないことに時間とエネルギーとお金をつぎ込んでしまったのだろう!」と、みずからの軌跡を省みて唖然となる。)
そのような問題だらけの教団でも、いっちょまえの「奇跡まがい」のことは起こせるらしいのです。
それは、ある年の教主誕生祭のときの出来事。桜の季節で、その日のお天気は穏やかな花曇り。施設に入りきれなかった信者が多数屋外に集まっていると、薄雲を透かして目視に堪える程度の柔らかい光になっていたその日の太陽(つまり円盤型の光の集まり)が、式のクライマックスと時を合わせて、空の中をグルグルと回転し、居合わせた信者たちが、みんな一斉に空を指さして「あ! 太陽が動いた!」と歓声を上げたそうです。
この話は、その教団のマルチ商法まがいのやり口に愛想が尽きて、きっぱり脱会してきたという人が、脱会後に「それにしても、あれは、不思議だった」と語ったのだから、嘘ではないと思います。少なくとも、同じ場所にいた多くの信者が、集団催眠かもしれないけども、とにもかくにも「同床異夢」でない「同床同夢」を見た、ということだと思います。
こういう話を聞き知ると、たとえ奇跡めいたことが起こったところで「それが何?」と冷静に構えることが必要だと、あらためて感じます。