公人の靖国参拝に関する批判的声明のようなものをウェブ検索していたら、日本基督教団から一昨年の八月に出された↓こんな声明が目にはいりました。
国会議員の靖国神社参拝に憂慮する声明 | 日本基督教団公式サイト (uccj.org)
念のため全文を書き出しておけば以下のとおりです。
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国会議員の靖国神社参拝に憂慮する声明
8月15日は1945年に帝国主義下にあった日本がポツダム宣言を受領し、第二次世界大戦が終結するに至った日です。私どもは、この日に多くの国会議員が靖国神社に参拝することを憂慮し、反対します。
靖国神社にはこの侵略戦争を指導し、A級戦犯とされた人々が祀られています。彼ら指導者たちは大東亜共栄圏構想の下、韓国を武力によって支配し、満州国に対して傀儡し、そこの人々の自由を奪い、人権を蹂躙してきました。また、国内においても思想信条の自由を奪い、将来ある若者たちを戦場に駆り立て、尊い命が犠牲になることを強いてまいりました。とりわけ沖縄においては、生きて恥を晒すなとの思想を強いて、多くの市民を自死に追い込むカルト的なものでもありました。私どもはそのような指導者たちの姿を到底受け入れることができず、また国家の指導的な人々がそれらに崇敬の念を抱くことは断じて受け入れられません。そのようなことは世界に誇るべき憲法9条の精神からもあり得ないことです。
また、靖国神社は2013年に統一協会とともに慰霊祭を行い、統一協会と友好的な立場と見られています。その観点からも国家指導者たちが、賢明に靖国神社と距離をとり、参拝すべきではありません。
ここに私たちは国会議員の靖国神社参拝を憂慮し、反対します。
2022年8月8日
日本基督教団 宣教委員会委員長 岸 憲秀
社会委員会委員長 森下 耕
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現代の日本で政治論争のレベルで出される声明としては、常識的なものです。
わたしも個人的には「靖国神社のもつ思想内容からして、自分はそこに表敬することは控えたい」と思う者ではあります。
にもかかわらず、これが宗教者の声明であるかぎりにおいては、わたしはやや不満を覚え、全面的には賛同しかねるものを感じます。
これだと「靖国神社という宗教の中身が悪いから……、わがキリスト教のような〝正しい宗教〟とは反対のものであるから」という理由づけ(宗教の品定め)によって憂慮を表明している印象を与え、さらには「自分たちの奉ずるような宗教ならば、平和を尊ぶ宗教だから、政治を浄化するために大いに政治にかかわってもいいんだが……」と言っているかのごとき誤解を与えかねないという問題点があります。
憲法二十条が定める公人の宗教へのかかわりの禁止は「中身がどういう宗教であるから」という理由を超えたものです。そこのところがわかっているのかいないのか。
これだと「侵略戦争の責任者であるA級戦犯まで祀ってあるところに国会議員ともあろうものが表敬するとは……、中国や韓国の人が怒るのはあたりまえじゃないか」という、世俗次元の「歴史認識」論と、どこが違うのか?
同じくキリスト者であられた同志社大学の幸日出男先生の、中曽根公式参拝に対して発せられた憂慮の言葉の水準を、きちんと踏まえているのか?
1985年まで戻って考え直そう | MTFのAkemiのblog イタリア児童文学・皆既日食・足摺岬が好き (ameblo.jp)