等々力四丁目の思い出 | MTFのAkemiのblog イタリア児童文学・皆既日食・足摺岬が好き

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私は、イタリア児童文学が大好きで、皆既日食も大好きで、足摺岬も大好きな、団塊の世代に属する元大学教員で、性別はMTFです。季節の話題、お買い物の話題、イタリア語の勉強のしかた、新しく見つけたイタリアの楽しい本の話題などを、気楽に書いていこうと思っています。

世田谷区の等々力七丁目に、大樹の茂ったゆったりした敷地の中に平屋のレストランが建っているという、浮世離れした場所がありました。レストランの名は「チャイニーズ・ティンバー」。ところが調べてみたら、そのお店、もう五年以上前に閉店していたのですね。残念。

大好きなお店が閉店(ノ_・。) | きつね、時々スノーマン (ameblo.jp)

 

東急大井町線の尾山台駅から北に、少し上り坂になった道をたどり、登りつめてから呑川の流れる深沢へ下るまでの中間は、ちょっとした丘になっています。あのあたりは最近まで、所々に、自然の残っているゆったりした区画があったものです。あの「チャイニーズ・ティンバー」の敷地もそんなののひとつでした。

 

わたしの子ども時代はそういう区画がもっと多く、「チャイニーズ・ティンバー」より少し尾山台駅寄りの、目黒通りよりも南の等々力四丁目に、鬱蒼とした大樹が茂る「小さな森」とでも言えるぐらいの規模の屋敷林をもつ、不思議な家がありました(一街区全体がその家のものだったかも)。

 

わたしが小学校四年か五年ぐらいのとき、アラビアンナイトの『アーマッド王子ものがたり』に触発されたわくわくする夢を見たという話は、先日書きましたけれども、

『空とぶじゅうたん』と『アーマッド王子ものがたり』 | MTFのAkemiのblog イタリア児童文学・皆既日食・足摺岬が好き (ameblo.jp)

あのときの「森の中の不思議な館」は、夢の中でもはっきりと、あの等々力四丁目の屋敷林のことだと、自覚していました。あの屋敷林の中の家は一度ものぞいたことがなかったので、無意識のうちにわたしの心がそこをロマンチックな夢の舞台として選んでいたのですね。

 

(念のためにくりかえして書いておけば、その夢の内容は「ある日、森の中の不思議な館を訪れたら、そこで迎えてくれた10歳ぐらい年上のお姫様みたいな人と、あれよあれよというまに結婚式を挙げさせられてしまい、しかし夜まで長居はせず、『わたしと結婚したことはだれにも内緒よ』とそのお姫様から優しく言い含められて家に帰り、普通の小学生を続ける」というもの。)

 

後に、その夢の思い出からヒントを得て書いた小説『ガラスの花束』では、時代設定を1980年ごろとしたので、いくらなんでもその時代の二十三区内にそんな広い屋敷林を想定するのは無理だから、主人公の高校三年生がバイクで迷い込む謎めいた雑木林の小径は、調布市から国分寺市に至る国分寺崖線沿いのどこか、ということにしましたがね。(それでさえ、1980年ごろの時代にそういう広い雑木林の存在を想定するのは少し無理だったかもと思います。1950年代ならば、調布から国分寺に至る東京郊外には、そういう土地がかなり存在したと思いますけれども。)

 

ちなみに、世田谷区の西端にある成城の住宅地が開発されたのは1920年代、つまり大正末期から昭和初期にかけてで、それ以前は一面の雑木林だったそうです。

「成城台地」 | MTFのAkemiのblog イタリア児童文学・皆既日食・足摺岬が好き (ameblo.jp)