小説『星空はいつも』(6) | MTFのAkemiのblog イタリア児童文学・皆既日食・足摺岬が好き

MTFのAkemiのblog イタリア児童文学・皆既日食・足摺岬が好き

私は、イタリア児童文学が大好きで、皆既日食も大好きで、足摺岬も大好きな、団塊の世代に属する元大学教員で、性別はMTFです。季節の話題、お買い物の話題、イタリア語の勉強のしかた、新しく見つけたイタリアの楽しい本の話題などを、気楽に書いていこうと思っています。

     六

 

 翌週の水曜日、大学の授業が午前中しかなかったので、私は午後から同じ教育学部の親友畑中翔子を誘って、葛原高原天体観測館を訪ねてみることにした。

 私は弟と共有で軽自動車を一台家に持っているが、通学には使っていない。遠出のときに利用するだけだ。この日などはその私の車を使ってもよかったのだが、予告なしにその車で出かけて帰りが遅いと、弟が使えなかったと文句を言うことがあるので、葛原高原には畑中翔子の車で行くことにした。

 五月も下旬に入り、平地ではもう汗ばむぐらいの陽気だったが、幸い雨が通り過ぎたあとだったので、野山の緑はさわやかな明るさで満たされていた。郊外に出ると住宅はまばらだから、一筋向こうの道路まで丸見えだ。下校の中学生の自転車の列が銀輪のスポークを光らせて走り抜けてゆく姿を、水鏡になった田植え前の水田が忠実に映し取り、折り目の上下にまたがった切り絵のような、きれいな対称形を形づくっていた。

 少し風があったが、それが吹き過ぎるたびにポプラの若葉は小刻みなそよぎをくりかえし、白っぽい葉裏に宿る日の光を絶えず踊らせていた。そのこまやかな閃きは、枝いちめんにとまった緑の蝶が、飛び去らないまま思い思いにその場で羽ばたいている姿であるかのようにさえ思えた。

 大学のある県庁所在都市から標高七百メートル余りの峠を越えて南側に出ると、そこはもう郡部の葛原町という自治体に属する山村で、軽井沢の小型版と呼ばれる高原状の土地になっている。高原の中心部は標高五百メートル余りでさほど高くはないが、それでも夏には平野部に比べれば暑さが凌ぎやすいということで、避暑地になっている。逆にいえば冬の寒さは厳しいわけで、四月下旬にやっと春らしくなるような土地だ。

 葛原高原天体観測館は、この高原の少し奥まった土地に開設された「ふるさと旅行村」という素朴なテーマパークの中にある。「ふるさと旅行村」は失われゆく伝統的農山村の生活文化を保存する目的で開設されたもので、解体寸前だった茅葺き屋根の民家を移築したり、水車を復元して渓流の水で実際に動かしてみせたりして、県内外からの見学者を集めている。自動車は「ふるさと旅行村」の入り口の駐車場までしか入れないので、天体観測館へは「ふるさと旅行村」の中を通って十五分ぐらいの上り坂を歩かねばならない。しかしまた、その不便さのぶんだけ、天体観測館は排気ガスや光害の影響をのがれた申し分のない立地になっていた。

 上り坂の連続に私たち二人が辟易し、いいかげん音を上げ始めたころ、ようやく見えてきたのが日本のお城の形をした天体観測館の本館で、その背後に反射望遠鏡の据えつけられたドームがあった。

 主として夜に仕事をする綿貫哲二さんは普段は午後三時から出勤だという。が、その日はあらかじめ私が電話を入れて、このあいだの手紙の吉住だが午後二時過ぎにうかがいますとほかの職員に伝えておいたので、綿貫さんもこの日ばかりは早めに観測館にやってきて、私たちを待ってくれていた。綿貫さんは年の頃は三十六か七という感じだ。髪は黒々と青年らしさを保っており、かなりハンサムだが、残念ながら妻子があるという。

 「お便りいただいて私の勘違いがあったことはわかったんですが、それならその、本当の星の発見のほうのことを知りたいと思ったんです。できれば私もやってみたいですから」

 そう勢い込んで切り出した私だったが、綿貫さんはすぐに本題には入らなかった。

 「今まで天文のこと、どのくらい関心持ってらっしゃいましたか?」

 「それは、小中学校の理科で勉強した程度です。その後の私は文科系で、国語の教師志望ですから、理科方面のことはあんまり……」

 「なるほど。しかし、天体観測をするのに、必ずしも専門の理数系の知識は要りません。軌道計算みたいな数学的なことは、それ専門の人がやってくれますし、また、このごろはそのためのコンピューターのソフトも発達してますからね。ただ、太陽系の星々はどういうふうに回ってるかとか、それが地球から見た夜空の中で、だいたいどう見えるかといったことを、理解しておくことは必要です。早い話が、明けの明星と宵の明星を別の星だと考えるようじゃ、困るわけです」

 「それはわかってます。どっちも金星でしょ?」

 「ああ、わかってますか。それなら結構です」

 「ところで、天体観測するのには、当然望遠鏡が必要ですよね。小惑星発見とか彗星発見とか、そういうのって、すごく倍率のいい望遠鏡が必要なんでしょ? 何倍ぐらいですか? 二百倍とか、三百倍とか、五百倍とか」

 「そうおっしゃるところを見ると、やっぱりまだ初心者ですね」そう言って綿貫さんはにんまりほほ笑んだ。「天体望遠鏡で大事なのは倍率じゃないんですよ。口径なんですよ。口径が大きくて微かな光でもとらえられることが重要なんです。倍率そのものは、接眼レンズの焦点距離しだいで、いろいろ変わりますけど、小惑星や彗星を発見する場合なんかは、倍率はあまり上げないほうがいいんです。倍率を上げすぎると一度に見られる視野が狭くなって、空の全体をサーチするのが、かえって困難になります」

 そう言いながら綿貫さんは、両手で作ってみせた輪の形をぎゅうっと引き絞り、自分の片目の前に筒のように構えてみせた。その筒をさらに小さく小さくすぼめてみせた。

 「じゃあ、二百倍とか三百倍とかいうんじゃなくて……」と、畑中翔子が横から言葉をはさんだ。

 「そう。彗星ハンターなんかは倍率そのものは三十倍ぐらいの低倍率で夜空をサーチしてますよ」

 「なるほど、発想の転換が必要なんだ」と畑中翔子が感心してみせた。

 「ところで、彗星っていうのは、発見者の名前がつくんですよね」

 「そう。鹿児島県の百武裕司さんという人なんか、去年の暮れと今年の一月と連続して彗星を発見して、どっちも百武彗星という名前がつきましたよ。もちろん九五年の百武彗星と九六年の百武彗星というぐあいに区別しますけどね」

 「そうすると、自分が発見して、名前のほうは芸能人の名前をつけるといった命名のしかたは、小惑星だけなんですね」

 「そうですね。僕の場合はこの県出身の関取の四股名をつけたことがありますよ。そしたら後援会のほうから、記念に関取の写真の入った立派な額をもらいました。この本館の二階に飾ってあります」

 「うわあ、いいなあ。吉住さんもその線ねらってるんだ」と畑中翔子が冷やかし気味に私の脇腹をつついた。

 「それで、彗星と小惑星と、どっちが発見しやすいんですか?」

 「それは一概には言えないですけどね。まず心得ておいてほしいのは、このごろはプロのチームが写真のコンピューター解析を使って夜空を組織的にサーチしてる部分もかなりあるってことです。その網をのがれて、アマチュアの網にひっかかる可能性は、以前と比べると狭くなってきていることは、承知しておかねばなりません」

 「写真のコンピューター解析ですか」と、感心したように畑中翔子が言う。

 「そう。要するに、それらの天体というのは、恒星と比較した場合、夜ごとに位置がずれるのが特徴なわけですよ。それをコンピューターで解析する。つまり、星空の同じ部分を時間を隔てて撮影したものを二枚もってきて、光る点どうしを同定していくと、恒星が全部同定されたあとで、残るものがあれば、そいつが動いた点だってことになるわけです」

 綿貫さんは、右手と左手で枠のような形を作ってみせたり、人差し指を立てて枠の中に点がポツポツ打たれているありさまを表現したり、ジェスチャーをたっぷり交えながら熱演してくれた。

 「ただ、初心者がどうしてもやってみたいという場合、僕の考えからすれば、小惑星のほうがまだしも可能性があるかなっていう感じですね」

 「という理由は?」と私。

 「それはね、彗星っていうのは、太陽系のずっと外側のオールトの雲という場所からやってくる飛び入りみたいな存在なんで、必ずしも黄道面に沿ってやってくるとは限らない。とんでもない上や下の方角から飛び込んでくる可能性が高いんです」

 綿貫さんは今度もまず左手の掌を平らにして円盤のようなものを描きながら、そこへ右手の人差し指を交差させるように動かしたりして、ジェスチャーたっぷりだ。

 「それにひきかえ、小惑星っていうのは、太陽系ができて以来、何十億年も木星やその他の惑星の引力に引っ張られながら運動してるから、自然と黄道面、つまり地球の公転面とほぼ同じ平面内で回転する癖がついてるわけです。だから、発見される場所は黄道に近い場所になるんです」

 「そうすると、昼に太陽が通った筋道と同じところをサーチすればいいんですね」と私は自信たっぷりに言った。

 「いや、残念ながら、そう早とちりされちゃあ困るんだなあ」

 「あれえ、そうじゃないのかなあ?」と私は腑に落ちないまま指をくわえた。