臍帯血移植はかなり早く決断したらしい | MTFのAkemiのblog イタリア児童文学・皆既日食・足摺岬が好き

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私は、イタリア児童文学が大好きで、皆既日食も大好きで、足摺岬も大好きな、団塊の世代に属する元大学教員で、性別はMTFです。季節の話題、お買い物の話題、イタリア語の勉強のしかた、新しく見つけたイタリアの楽しい本の話題などを、気楽に書いていこうと思っています。

岡村孝子さんが臍帯血移植を受けて快方に向かいつつあるとのうれしいニュースが、わたしどもファンに明るい希望をもたらしていますが、10月24日に届いたファンクラブ会報127号で、少しずつ今の療養の段階がわかってきました。

 

会報にはご本人の肉声のCDが入っていましたが、「おかげさまで治療の大きな山は越えることができました」、「でも、免疫がいったん赤ちゃんのレベルに戻った状態なので、これからも少しずつゆっくりと体を慣らしてゆく必要があり、社会復帰には時間がかかるでしょう」、「好物のケーキやチーズなどが、いまだに食べてはいけない食品リストに入れられています」、「できれば来年の春の温かくなってきたころに、トークイベントでも開いて復帰の第一声にすることができればいいなあと思っています」、「そのとき歌も一曲か二曲ぐらい歌えればと思います」などのことが語られていました。

 

つまり、まだ来年春の段階では、コンサートツアーの再開に至れるほどの万全の健康にはなっていないだろうから、慣らし運転が必要だ、ということのようです。

 

でも、それをじれったがってはいけません。むしろ、そんなに早く復帰第一声が聞けることを、意外な早さとして、慶賀するべきだと思います。

 

事務所から白血病の公表があったのが4月22日で、診断が下りたのはその少し前、18日ごろだったようですから、9月20日に退院ということは、闘病5か月にして、今後は通院治療でいいだけの回復が得られたということです。

 

わたしはじつは、9月20日にご本人のfacebook上で退院の発表があったときは、薬剤を用いた化学療法で長期寛解が得られたからとりあえず通院治療に切り替えることが許されたという意味だろうと推測し、今後も化学療法だけの継続で全快への見通しが得られるか、それとも造血幹細胞移植という「伝家の宝刀」を抜く決断を迫られるかは、未定なのだろうと思っていました。

 

だから、「さい帯血移植を乗り越えて、移植後完全寛解の状態にあります」との発表が9月24日に事務所からなされたときには、「意外!」という感じがしました。

 

臍帯血移植に限らず、およそ造血幹細胞移植を受けた患者は、造血機能の回復と同時に免疫力も回復してくるものの、当面はGVHD(移植片対宿主病――移植された造血幹細胞から生まれるリンパ球が患者の身体を異物とみて攻撃することによる種々の不具合)の重篤化を防ぐために、回復しつつある免疫力をむしろ抑える免疫抑制剤の服用が欠かせません。そのため、移植された造血幹細胞が身体になじんで上記の抑制がほぼ不要になるまでのあいだは、弱い菌にでも感染するリスクが高く、移植後半年は厳重な注意が必要です。移植後一年でようやくこのリスクは日常生活に差し障りがない程度に軽減します。無菌室から出られるのが移植後約一か月、退院して通院治療に切り替えてよいのが移植後約100日、とされています。

 

だから、岡村孝子さんが「9月20日に退院を許された」ということは、そのころが移植後約100日過ぎたころだったということになり、逆算すると、6月の中旬ごろまでには臍帯血移植を受けていた、という推測が可能です。

 

6月2日に愛知県で全国植樹祭が開かれたとき、特設ステージで歌うはずだった彼女本人は出席できませんでしたが、一時外泊を許されて自宅のテレビで実況中継を観たということでしたので、そのころは、化学療法が効を奏して、ある程度の寛解が得られていたということになります。

 

わたしは、そうして得られた寛解状態を維持しつつ、化学療法だけで全快へ至れる見通しがあるか、それとも例の「伝家の宝刀」を抜く必要があるかの見極めを、彼女の診療に当たっている医師団が慎重に判断してゆく段階にあるんだなあと思っていました。だから、かりに造血幹細胞移植を受けるとしても、秋以降ぐらいかな、と。

 

ところが、今になってふりかえってみると、あの植樹祭のころにはすでに、造血幹細胞移植で行こうという医師団の見立ては立っていたように思われます。

 

骨髄バンクへの患者登録もしたかもしれませんが、同時にさい帯血バンクへのアプローチも始めていたのではないでしょうか。そして、彼女の場合、体格が小さいこともあって、さい帯一本分の血液で治療に必要な造血幹細胞は十分にまかなえるとの見通しは最初から立っていたでしょうから、HLAの適合する冷凍臍帯血のストックが存在することが判明したら、速やかにそれを予約で押さえ、あとは移植に最適な時期を割り出すという手順で、治療のプログラムは進んだのではないかと思います。その場合、骨髄バンクのほうからHLAの適合するドナー候補者の存在を知らされても、そっちのほうは患者側から辞退するという成り行きになったのではないかと思われます。

 

もしかすると、植樹祭の前後の一時帰宅のときには、すでにさい帯血の予約もとれていて、移植へ向けてのカウントダウンは始まっていたのかもしれません。

 

こんなに早く、とんとん拍子で造血幹細胞移植へ向けてのプログラムが組めたのは、すでに存在する現物を予約で押さえさえすれば、あとは患者の治療に当たる医師団の判断だけで日程を組んで事を進めることができるという臍帯血移植の大いなる強みですね。ドナー候補者の都合とのすり合わせを行なう骨髄バンクを介した移植では、とてもこのようにはいきません。

 

わたし自身は、日本骨髄バンク認定の説明員資格をもって、献血会場などで骨髄バンクへの新規登録者リクルートのお手伝いもしている者ですが、だからといって骨髄バンクのほうがさい帯血バンクよりも優れているなどとは思っていません。むしろ、今回の件を通じて、さい帯血バンクの威力にあらためて敬服しています。