わたしの恥多き青春の、とりわけハチャメチャな体験をつづった「上郡康子さんの話」の本編は、前回で完結ですが、ちょっと「付録」を書く必要が生じました。
というのは、この話の中に劇中劇的に出てくる、わたしが〝創作〟した「すてきな女子美大生」に関して、とある人から「その人は、その後どう生きたんですか?」というむずかしい質問を頂戴してしまったからです。
はて、これは答えにくいですねえ。わたしは、自分が21歳になったばかりのころに、同い年の女友達として、彼女を描いたわけですから、その人を仮に「茅野春恵」と呼ぶとして、茅野春恵さんの人生は21歳の初めごろまでしか〝創作〟していないわけです。
その延長線を、半世紀近く経った今の時点で、わたしなりに描いてみるしかないですね。
春恵さんは、イタリア語の勉強を続けて、二~三年のうちに、たぶんイタリア留学の夢は果たしただろうと思います。で、イタリアで美術を勉強しながら、ラテン語やギリシャ語の知識も深め、実技としての美術だけでなく、美術史にも造詣が深くなったかもしれません。
そして、彼女の宗教観についてですが、中学生ぐらいのときから親に反発して、お仕着せのレールからは外れたとか自称していたけれど、わたしのようにねじけた精神からシニカルに「反カトリック」の旗を掲げていたわけではありませんから、人生を振り返る機会に恵まれれば、回心の日はわりと早く訪れたかもしれません。
イタリアで古典的なキリスト教美術に触れているうちに、その奥にある精神的伝統を深く理解するようになっていったかもしれないし、あるいは、美術史的にはたいしたものではなくても、津々浦々に祀られている素朴な聖母像と、その前で祈っている庶民の姿などに触れることが、それまでの青臭い気負いを払拭するきっかけになったかもしれません。
〝創作〟物語の中で茅野春恵さんが〝尊敬〟していたフランスの思想家シモーヌ・ヴェイユにしても、スペイン内戦で人民戦線軍に参加するなど、さんざん当時の「進歩派」知識人の定番メニュー的な行動をやりまくったあげく、素朴な庶民の信仰心に接して、回心を経験したとのことですからね。
いずれにせよ、日々の変化がせわしすぎる俗界のニュース(株価が上がったとか下がったとか)に振り回されることが嫌いな、芯の強い自分を育てることに関心を向けている人ですから、俗界の一世紀や二世紀ぐらいの時間幅では動かない、古典的なものを追求する気持ちが、年齢がゆけばゆくほど高まっただろうと思います。
今ごろ彼女は、現代風建築家が設計した〝斬新〟な教会建築(東京カテドラルなんぞのたぐい?)の中に、たいへん古典的な内装をほどこすべく、つつましく努力しているかもしれません。
もっとも、信仰をもっているからといって必ず宗教美術を手掛けなければならないわけではありませんから、案外、永田萌みたいなかわいいイラストを描くイラスト画家になったかも?