母親が、何かと商売をしてきたせいで、小さい頃から自然に洗濯機を回したり、掃除機をかけたり、ミシンを踏んだりと、ソコソコの家事はソコソコ死なない程度にできた。
そして20代の頃に、ほぼ毎日の家族の夕食係りになった。
母親はお世辞にも、料理上手とは言い難く、ましてあの性格。教え上手では全くない。
なので誰に習うわけでもなく、最初は「○○の素」的な、グリコやハウスの箱の裏から始めたアタシの料理修行。
野菜の切り方、肉の焼き方、魚の煮方なんかは「多分こうだろう」と、イチかバチかってな具合だ。
それから、ちょっとコマシなものを作りたくなって、本屋さんに行っては 写真のきれいな料理本を買ったりもした。
魚の3枚おろしも、本屋さんで覚えた。
料理の腕も、美味しい云々ではなく、ホント『死なない程度の食いもんを作る』という程度にはなった。
父親が生きているときは、なんとなくそれなりに頑張って、美味しいものをつくろうとしていたと思う。
父に『今日の晩ご飯、何がイイ?。』
と訊くと、
必ず『ん?、カレーでエエで。』と答えた。
こっちはせっかくなんかご馳走つくろうとワクワクしながら返事を待っていたのに
『カレーでイイ』のだ。
だったら、すっごいカレーを作ってやろうと、
玉ねぎをアメ色に炒めて、ガラムマサラや、ナツメグやターメリック、、、いろんなスパイスを買い揃えて、
まあ恐ろしく時間をかけて、カレーライスを作ったりした。
ある日、『今日なにが食べたい?』と訊くと、相変わらず『カレーで・・・』の、オーダー。
『うーん♪、わかった^^。じゃあ、すっごいカレー作って待ってるわ♪。』と、張り切るアタシに
『あ、アッコ。普通のグリコとかハウスのでエエで』と。
グリコとハウスに敗れたアタシ。。。
それから、ガラムマサラもチャツネも出番を失ってしまった。
父が居なくなってから、母親との食卓。
そう若くない女二人の食事。
なんとなく張り合いがなくなって、アタシの料理も、ほんと死なない程度の料理になってしまった。
誰かのための料理というのも、半年・1年に一度、帰省してくる 弟家族のためくらいしか しなくなった。
こうして、もともと 大した料理上手でもない アタシの料理の腕も、どんどん錆びついていった(涙)。
しかし、ここ1年ほど『誰かのための料理』というのをする機会が増えた。
久しぶりに料理の本を引っ張りだしてみる。
っていうか、本棚を見たら 月刊誌も含めると 十数冊の料理本を持っている。
料理は特別好きではない。なんなら苦手な方だ。
なのに、大量の料理本。
どうやらアタシは、『料理がうまくなりたい』と思っていたようだ。
しかし この『誰かのため』の『誰か』、これがなかなかのツワモノたちなのだ。
元々ソコソコ料理のできる美味しい物好きの成人男性(大飯食らい)。
美味しいご飯を食べ慣れてきた、○○の素の味を受け付けない少年2人(共に大飯食らい/偏食あり)。
もちろん、お味噌汁のダシは、だしの素禁止である。
まず、『食うもの』は作れても、美味しいかどうかは、正直微妙?なアタシ。
それに加えて、彼らの美味しいと思うものと、アタシの美味しいと思うものが少し違う。
って云うか考えたら、
アタシは自分で作ったものを食べても、外で食べても、余程のことが無い限り、何でも美味しく頂けてしまう、食に関して すこぶる感じの良い人間なのだ。
アタシの最大の長所、いろんなことに こだわりが薄く、人(物事)当たりが良いと云うのが、
超裏目に出てんじゃん?!。
全く、困ったモンだ。
ただ、こっちも(手抜きが多いが)長らく台所に立ってきた身。
ちょっとしたプライドも有りーの、
いいところを見せたいという見栄も有りーので、久しぶりに頑張ってみたりする。
そうして錆びついたアームが、ギシギシと音を立てて動き出す。
ところで、彼らは、『まずい』時に、いくらなんでも『まずい』と云うのは『まずい』と、わきまえてはいるようで、
『微妙』
『謎や』
という言葉で、『まずい』という旨を伝える。
なんせ、錆びついたアーム。
何でも美味しと感じてしまう舌。
『謎』で『微妙』な料理を連発。
あぁ、なんであのたくさんの料理本、1ページ目からきちんと勉強して来なかったんだろう。
本屋で買って、本棚に飾って、料理上手な気分になってたわ。
ココ最近は、すご~く反省して、今までの見栄やプライドを捨て、
買い集めた料理本を見て 計量スプーン・カップを駆使して、一から出直し修行の身なのである。
たまに
『美味しい』と、嬉しそうに笑ってくれる少年たちの顔を見ると、またちょっと頑張ろうかと思う今日このごろ。
そうそう、一昨日 楽天で料理本を3冊購入した。
ってか、料理好きじゃなく、料理本買うのが好きなんだと思う。