いろんなことがありながら、それらをどうにかこうにか こなしながら毎日を過ごしていると
たまに、自分の考え方と異質な人や物事に出逢うことがある。
それが、異質ではあるものの 自分にとって新鮮だったり、受け入れ易かったり、
はたまた、たいそう魅力的だったるすると、自分もその人や物事を真似てみたり、
自分の生活や考えに取り入れてみたりする。
でも中には、「いやはや、これは全く自分とは別次元(どっちの次元が上とか下とか関係なく)だわ。」
「これは、到底受け入れがたいわよ。」というようなことが、たまにある。
ましてや、その受け入れがたい異質な人や物事が、圧倒的多数だったり、圧倒的な常識や権威だったり、
(あとあと、親だったりするときは)少しばかり凹んでしまう。
そして、それが のしっと大きく自分に覆いかぶさってきたときにゃぁ
「自分は、常識がないんだろうか?。」
「自分は、おかしいんだろうか?。」
「自分は、バカなんだろうか?。」と、自分を徹底的に疑ってしまう。
うんと若かりし頃 とあるアパレル会社の生産管理部に就職した友達が
「縫製工場さんに渡すために、ボタンの数を数えるんだけど、毎回間違えるの(涙)。」
「あたしって、数すら満足に数えられない、頭がバカの子なの(涙)(涙)。」
と嘆いていたことがあった。
ボタンが10個は、10なんだ。
ボタンが100個は、100なんだ。
それは、ほんと どう足掻いたって 変えようのない事実であり、世の中の常識で、
ナショナルスタンダードなのだ。
圧倒的多数の、圧倒的常識がどうしても自分とちぐはぐで、自分に懐疑的になってしまうたびに、
このことを思い出す。
ボタンの数の間違いと、自分と世の中とのズレとが、自分の中では果てしなくイコールのことのように思えるからだろう。
そのうち、Yahooの知恵袋に「私がおかしいのでしょうか?」なんて、つい投稿したい情動に駆られてしいそうだう。
(「トウコウしたいショウドウ」、、、今何かとお騒がせの中山美穂が、毎度お騒がせしていた時代に歌っていそうだ。)
いや、そのトーコーのショードーが(いや、thoko no syodo)が、治まりかけたころに ラジオやネットや本、雑誌なんかから、自分を元気づけたり、肯定したりする言葉が目に入るようになる。
矢沢のエーちゃんが
「ナルシズムは必要だよね。
やっぱりねぇ、俺サイコーに歌えてるよ、ってぐらいの気持ちで、初めて伝わる。」
なんて、言っていたらしい。
また、
「朝起きたとき、今日の矢沢が一体何を仕出かしてくれるのか、いつも楽しみよ。」
みたいなことも、言っていたらしい。
なんて、自己肯定感だ。
そして、この自己肯定感は、微塵もぶれていなさそうだ。
(いや、スモールな市民のアタシらのあずかり知れないところでは、矢沢スケールのメモリで、ほんの数ミクロンくらいは、ブレることがあるのかもしれないが、、、)
ここまで突き抜けると、スモールな市民で、一般ピーポーのアタシからすると、
「矢沢、超変人じゃん!」
「矢沢にジョーシキ通用しねーし!」
なんなら、「アタシ、矢沢よりMATOMO !!。」とか、思いかねない。
いや、これ決して矢沢批判しているわけではない。
むしろ、この言葉を知って 矢沢がちょっと好きになった。
本日、出勤の土曜日
後輩の面倒を、それなりに見ながら
現場に行っている社長や、職人さんからの注文に それなりに対応している自分だって、そんなに悪いもんじゃない。
矢沢くらいに「俺サイコー」とまではいかなくても、
「アタシ、まあまあイケてんじゃん。」なんて、思ったりもする。
圧倒的多数にそぐわなくったって、自分くらいは「俺、サイコー」って思っていたって、きっとバチは当たらないだろうなんて思ったりもする。
矢沢領域の向こう岸を指さして、矢沢が
『その向こうには絶対 ブルースカイよ』と言う。
『あ、ところでボタンの数は、2以上はメニーじゃん?』
と付け加えて、ニヒルな笑顔も忘れない。