アタシの名前は、アキコだ。
父がつけた。

秋に生まれたからアキコだ。

でも、画数がよくなかったとかで、季節の秋ではなく、
明るい子どもと書く、明子になった。


小学校一年生の時に、暗子と書いて、あき子と読む女の子がいた。
「暗くても明るいっていう意味で、暗(あき)子なの」と、彼女が教えてくれた。

真っ黒なおかっぱ頭で、つぶらな瞳も真っ黒だった。

その暗子ちゃんは、暗子という名前のごとく、しっとりと落ち着き、健気に何かに堪え忍んでいるように見えた。

小学生だったアタシは、なんだかその秘密めいた 暗子ちゃんの名前を少し羨ましく思ったりしたものだ。



表意的に漢字を用いる日本人は、名前に用いる漢字にも、意味が在ったりする。

名付けた人の思いが込められていたりする。


そこで、サービス精神旺盛なアタシなんかは、その思い?、期待?に応えようと、ついつい頑張ってしまう。
っていうか、自分はそういう人間だと、催眠?、暗示?にかかっている。


たまたま秋に生まれて、画数の加減で 明るい子どもの明子。


この、いかにも丈夫そうで、いかにも単純そうな明子でなく、もっとドラマチックで、ついでに幸薄そうな名前だったら、
性格も、行いも、今とずっと違っていたかもしれない。

性格が違えば、吐く言葉も違ったかもしれない。
そしたら、今とは違う顔面の筋肉を使っていただろうに。
なら今頃 ちょっとは美人だったかもしれない。



明子ちゃんは、

朝礼の校庭の真ん中で、決して バッタリと倒れたりしない。

サナトリウムで、淡いカーディガンを肩から羽織って、窓辺で詩集を読んだりしない。


深い悩みを抱えて、東尋坊に1人旅もしない。




宅急便の送り状に、フルネームを漢字で書く度に、そんなことを考え、
枠いっぱい一杯に、太ふとと、明子と記すアタシだ。


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