物心がつかないくらいの頃に、池田の閑静な住宅街(の外れ)から、大阪市内の高倉町と云うザ・大阪(ザ・下町)に引っ越した。

池田の家が万博の道路拡幅工事で立ち退きに遭い、父方の祖母が大阪市内に見つけたのが、高倉町のその家だった。
 
 
鉄の重たい扉で、窓が高い所についていて、赤い絨毯の廊下が、家の一番突き当たりまで 長く伸びている、変わった家だった。
 
なんでも、ヤのつく自由業を営んでおられる親分とかいう人が住んでいたらしく、その広さと頑丈さの割に破格の物件だったらしい。
 
やたらとたくさん座布団があって、応接間には、マントルピースと云うのだろうか、暖炉の出来損ないみたいのが置いてあった。そういえば台所のダイニングテーブルも、卓球が出来そうなくらいの大きさで、ロバート・デニーロがターキーでも切り分け始めるんじゃないかと思う代物だった。
今にして思えば、親分とやらの置き土産だったのだろう。
 
 
父方の祖母が、それらの展示家具と共に その家を買う話しを取り付けたそうだ。
 
 
そんなヤのつく自由業の親分の元住居に
ママンは、大きなお腹で(弟が母のお腹の中に入っていた) 、2人の子ども(おにいとアタシ)を引き連れて、外股でのっしのっしとやって来た。
 
 
その様を見ていたのが、斜め向かいのアパート「雅荘」(ガソウ)の管理人、通称雅荘のおばちゃんだった。
 
雅荘のおばちゃんは、痩せて背が高く、顔の中心から両外 斜め上にすっと線を引いたように、細く吊り上がった目をしていた。
ちょうど稲荷神社のキツネの置物が化けて出てきたみたいな感じだ。
 
 
ヤクザの親分の元ご近所だけあって、この雅荘のおばちゃん、どことなく裏社会に通じているような、ただ者ではない雰囲気があった。
いつも 紺色のウールの着物に 白い足袋で、雅荘の廊下のモップがけをしていた。
 
 
どこかの温泉旅館のワケあり仲居頭といった風情だ。
 
 
そんな雅荘のおばちゃんと、ママンはあっという間に仲良くなった。
 
 
元キャバレー歌手のママンからしたら、ワケあり仲居頭を手懐けることなど、朝飯前だったろう。
いや、ワケあり仲居頭が、都会に世知辛さに疲れ果て、さびれた温泉旅館にやって来た 元キャバレー歌手を手懐けたのだろうか。
 
いつも、お互いの家に上がり込んで、お互いの内職を手伝いながら、適当な話しに、ケタケタと笑い転げていた。
 
 
ネグレクトとまでは行かないが、子育てに関して超マイペースなママンは、「市場行ってくる。」と、ツッカケに買い物かごで、都島から出ていたチンチン電車乗って、梅田阪急をぶらぶらして帰って来たりしていた。とんだ市場である。
なので、日中アタシたち兄弟は結構ほったらかしで、子どもたちで留守番なんて、日常茶飯事だった。
 
ある日の午後、幼稚園から帰って来ると、鉄の重い扉がうんともすんとも開かない。
外から、「開けて!開けて!」と、扉を叩くが 鉄の扉は冷たく沈黙したきりだ。
 
そしたら、斜め向かいの雅荘の窓が、パアーーーンと開き、雅荘のおばちゃんが現れる。
右手の人差し指と中指にセブンスターを挟んで、「なんや!オカンまたおれへんのんかっ!」
おばちゃんは、べそをかきながら振り向くアタシを3秒ほど眺めて、鼻からフーーーっとタバコの煙を吐き出し、そのタバコを挟んだ右手で雅荘の玄関を指し示し、1段声を低めて 「うち 入っときっ。」 と、きっぱりと告げる。
 
そうして、狐の置物似のワケあり仲居頭のねぐらで母の帰りを待つことになるのだ。
 
 
と言っても、おばちゃんは、お昼のお茶漬けをすすったら、さっさと出て行ってしまう。
管理人の仕事と、どっかの料亭のお運びの仕事を掛け持ちしていたようだ。
 
「お姉ちゃんがもうすぐ帰って来るさかい、鍵締めてここで待っとり。」
 
雅荘のおばちゃんには、娘が一人いた。当時中学生くらいだと記憶している。
 
 
 
 
こたつの前で、ちんまり座っていると、外からガチャガチャと鍵の開く音がして、セーラー服のお姉ちゃんが、部屋に入ってくる。
 
「あ、あっこちゃん!。おかあちゃんは?。」
 
「え?、あんた1人?。」
 
「あっこちゃん、コーラ飲む?。」
 
そう言って、氷の入ったコップにコーラを注ぎ、輪切りのレモンを浮かべてくれた。
 
「喫茶店みたいやろ?。」
 
「うん、喫茶店みたいや。」
 
 
コーラを飲み干すとお姉ちゃんは、ストローで器用にレモンを取り出し、皮のままぱくりと食べた。
 
驚いているアタシに気づくと、「レモン 皮まま食べたら、ニキビ治んねん。」と教えてくれた。
 
アタシも数年後ニキビに悩まされることになったのだが、お姉ちゃんのことを思い出して レモンを皮のまま 頑張って食べていた。
 
 
お姉ちゃんは、とても愛想が良い。
丸い顔で丸い目がクリクリとした、愛くるしい顔をしていた。
雅荘のおばちゃんとは、てんで真逆だ。
 
 
 
お姉ちゃんは、おばちゃんの実の娘ではない。
おばちゃんの妹の子どもで、おばちゃんの妹が、裕福な家の人と再婚することになって、お姉ちゃんを連れて行けなくなり、子どもの居ないおばちゃん夫妻の娘になったと、大人になってから、ママンが教えてくれた。
 
「あっこちゃん、ボーリングする?。」
お姉ちゃんの持っていた、ボーリングの簡易版みたいなおもちゃで遊んだことと、お城のようなリカちゃんハウスで遊ばせてもらったことを良く覚えている。
 
お姉ちゃんは、おもちゃを沢山持っていた。
 
お姉ちゃんが持っていたたくさんのおもちゃは、おばちゃんの妹が定期的に送って来たもので、おばちゃんは妹のそんな振る舞いをあまり良く思っていなかったと、大人になってからママンが教えてくれた。
 
本当の母子ではなかったけれど「おかあちゃん」「おかあちゃん」と 呼ぶお姉ちゃんは、雅荘のおばちゃんの娘だった。 
 
 
どちらかと云うと、多少剣のある面差しで、話し口調も素っ気ない雅荘のおばちゃんだったが、実はとても情が深くて、暖かい心根の人だった。
 
ママンは、そう云う人を見分ける能力がすこぶる高い。
 たちまち雅荘のおばちゃんは、うちの家族のアイドルとなった。
 
 
 
そんな雅荘のおばちゃんも、もう90歳近い。
今、おばちゃんのお孫さんと堺の方に住んでいる。
 
 
もちろん、雅荘はもう無い。
 
今でもママンと定期的に、電話のやり取りをしているようだが、相変わらずお互いの適当な話しに、ケタケタと笑っているようだ。
 
「高倉に居ったころが一番面白かったなあ。あー、うちがもう10歳若かったら、アンタと一緒に 新地でもどこでも店出して、ザクザク儲けんのになあ。」
というのが、最近の おばちゃんの口癖だそうだ。
 
ミイラになりかけの 婆さん二人が 切り盛りするスナックだか、一杯飲み屋。
お通しは、口からでまかせ。
 
繁盛するかも知れない。