東日本大震災から13年ですか。

あれから防災の意識は進んだようで、実はあまり効果的な進歩はないような、、、

特に不動産の観点からは、ほとんど風化していると思っています。

 

例えば、東日本大震災の後、神奈川県逗子市の低い土地は一旦価格がガクンと下がったのですが、あっという間に戻りました。今では、「ここ、津波が来たら、家ごと流される場所だよね?」とハザードマップを何度も見返しちゃうほど、津波が来ることが幻想であるかのような価格に上昇しています。

 

確かに、大地震はいつ来るのか分かりません。政府も学者も“予知”は諦めたようです。

ただ、“いつ”来るか分からないだけで、“必ず”来ることは分かっています。

自分が生きている間には来ないかもしれませんが、子孫が被害に遭う可能性だってあります。

そんな場所に家を買うなんて、子孫の未来をリスクにさらす最悪の祖先といえると思います。

 

あれ以来、東京都区部でも、なるべく災害リスクの低い不動産をお勧めするようにしているのですが、分析・評価する上で、一番重視しているのは『想定が少ないこと』です。

 

東日本大震災で一番思い知らされたのが、“想定”のマイナス面です。

 

宮古市田老の防潮堤

田老地区は、高さ10mの巨大な防潮堤を築き「津波防災の街」を宣言していました。

しかし、このことが町の人たちの正常化バイアスに拍車をかけ「防潮堤があるから津波は来ない」と思い込んで逃げ遅れた人が沢山いたとのことです。

 

 

そして、今度は14.7mの更に巨大な防潮堤を築造したとのこと。

宮古市の見解としては、「防潮堤があったから、あの程度の被害で済んだ。」ということのようです。

 

 
陸前高田市が1657億円もかけておこなった「宅地のかさ上げ工事」もそうですが、これ、本当に住民が望んでいるんですかね?
なんだか、政治家と建設業者が先走っているような気もします。
安全な町にすることは大切ですが、いくらかけてもいいって訳ではないですよね。
それに、これにより数十年後に町の人の正常化バイアスが醸成されてしまうと、安全でもなくなってしまうような気もします。

 

杉ノ下高台

ここは、明治の大津波(1896年)でも浸水しなかったことが記録から分かっており、市が避難場所に指定したのです。

ところが、2011年の津波はこの高台を軽々と越え、数十人が犠牲になりました。

 

杉ノ下高台と同様に、指定避難所に避難したのに被災した人も多かったことが分かっています。

陸前高田市では、指定避難所に逃げたにもかかわらず、推計で300人以上が犠牲になったそうです。

 

 

これらは一例に過ぎません。

皆さんも、TV等で、町の人が避難していた3階建ての建物が屋上まで津波に呑まれ、多くの命が失われたという話を何度も聞いたと思います。

 

“想定”を鵜呑みにする愚かさ

東日本大震災では、これらの“想定”の怖さというかマイナス面が心に刺さりました。

勿論、この世の中、“想定”だらけです。

そもそも、建物なんて“想定”で成り立っています。

 

ですが、『一定の条件の下での想定”』や『検証が済んだと言えない想定”』は鵜呑みにしてはいけないと思っています。

 

一定の条件の下での想定

これは、上述したことなのですが、

「明治の大津波はここまで来なかったから安心だ」

「以前の台風〇号でも雨量は△mmだったから、これくらいの堤防で大丈夫」

等々、一定の条件を(人間が)決めて、その条件内で「安全」や「危険」を想定するものを指します。

 

過去の情報は非常に重要ですが、それを限度と受け取ってはいけないと思います。

 

海の近くなら、津波が来る可能性はある

川の近くなら、氾濫の恐れがある

地形が谷底低地の場所なら、ハザードマップで浸水可能性は低いとされていても、昔川が流れていたから「谷底低地」という地形になったのだから、浸水可能性はある

崖の近くなら、土砂崩れの可能性はある

等々。

 

地形を踏まえて、少し大げさにリスクを評価するべきでしょう。

人間が設定した“想定”を信じすぎてはいけません。

 

検証が済んだと言えない“想定”

検証が済んだと言えない想定”』というのは多岐に渡るのですが、例えば「免震構造」です。

 

熊本地震で「免震構造」の建物が横揺れの想定を超えて動いてしまったケースがありました。

ただ、「免震構造」を採用した建物は、その全てで大きな損傷がなく、「免震構造」の有効性が検証されることにもなりました。

 

なんだ、やっぱり「免震構造」は良いんじゃないか、

という結論になりますが、私は少しだけ懐疑的です。

 

横揺れの想定を超えたケースがあったことが気になっています。

熊本地震を超える横揺れはない、と言い切れないので。

ここでも、結局は「地震の揺れはこれくらいだろう」という“想定”の中での安全が担保されているに過ぎません。

更に多くの地震を経て、数百例のレベルで安全性が検証されたら信用します。まだ安全性が実証された例が少ないと感じています。

 

また、「免震構造」の建物も、当たり前ですが、宙に浮いている訳ではありません。その免震ゴムの下にある基礎は地面にあります。

 

能登半島地震で、軟弱地盤の上に建っていたビルが倒壊しましたが、そもそもの基礎が傾いてしまったら、「免震構造」だろうと意味がない訳です。

 

 

更には少し個人的な話になりますが、私は東日本大震災の当時、新宿区にある「免震構造」のタワーマンションに住んでいました。

※上層階ではなく、どちらかというと低層階ですが。

 

確かに、震災当時、食器が割れたり本が落ちてきたりといったことはありませんでした。

しかし、エレベーターが止まったので非常階段に入ると、すごく大きなコンクリートの塊が落ちていました。

また、建物の周りには、これまた大きなコンクリートの剥離片がありました。

免震構造」でも、建物にダメージがない訳ではないことを目の当たりにしました。

 

タワー型の建物は、ある程度しなやかに揺れることで地震波を吸収するものだとは理解していますが、実際にはく離した大きなコンクリート片を見てしまうと、このダメージの蓄積があっても次の大地震に耐えられるのだろうかと心配になり、中層建物に引っ越しました。

 

 

ただ、ここまで書いておいてなのですが、私も、現時点での建物評価の際には、「免震構造」であればプラス評価をしています。

熊本地震でも、調査としては「免震構造」の有効性が証明されていますし、「免震構造でない」建物と「免震構造」の建物が同じ地盤の上に建っていたら、私も100%「免震構造」の方をお勧めします。

 

ここまでの話も、「免震構造」を否定するつもりはなく、100%信用するのはまだ早い、「免震構造」だったら安心だと無条件に思うのはやめて欲しい、と言いたいだけです。


その上で現時点での私のスタンスを明確にすると、

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地震時の揺れが大きくならない可能性が高い、「台地上」かつ「表層地盤増幅率が良好」かつ「ボーリング調査も良好」な場所に建つ「普通(耐震等級1)のRC造」建物

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軟弱地盤の上に建つ「免震構造」の建物

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であれば、私は前者を選びます。

 

長くなってしまったので、もうお終いにしますが、今回言いたいことを一言にまとめると、

想定をできるだけ必要としない場所・建物が一番安心

ということです。

 

X (Twitter)のアカウントを下記のように変更しました。

 

旧:@propertyanalyze

 ↓

新:@bosaimansion

https://twitter.com/bosaimansion

 

理由

プロフィールの内容を変更しようとしていたところ、ロックされてしまいました。

 

ロックの解除を申請しましたが、早くて60日後となり、そこまで待っても申請が通るかどうか不明ということで、旧アカウントを諦め、新アカウントを作成しました。

 

お手数をお掛けして大変恐縮ですが、今後は新アカウントをご覧いただけますと幸いです。

 

以前の投稿の再送

また、ロックされた、前のアカウントで掲載していた内容を改めて投稿します。

投稿が重複して恐縮ですが、ご理解いただけますと幸いです。

よろしくお願いいたします。

 

大槌町安渡地区で定めた「15分ルール」が素晴らしい!

 

 

東日本大震災の際、このように周囲の人を助けようとして、巻き添えになって亡くなった青年団や消防団の人は沢山いたんですよね。

 

身体が動かなくて避難できない人を助けるために、ということなら、まだ浮かばれると思うんですが、いわゆる“正常化バイアス”からの「大丈夫だろう」「ここまでは来ないだろう」と根拠のない楽観的な思考に陥り、逃げない人が沢山いたことが分かっています。

 

こういう人を一生懸命説得し、時間が掛かっているうちに津波にのまれて、、、というケースは多かったようです。

 

もう“正常化バイアス”に支配されている人を説得するのは無駄だから、本当に救助を必要とする人だけに集中する、というルールも欲しいところです。

 

自分の勝手な思い込みで人を巻き添えにするとか、本当にやめて欲しいです。

 

でも、救う側は、やっぱり助けたいですものね。

自分で、ここで止めよう、だなんて割り切れないですよ。

 

そういう意味で、“ルール”として時間を区切るというのは本当に素晴らしいと思います。

 

助ける側の命を守ることは、地域の復興のためも必要

この災害時に、地域の人を助けようと頑張る人たちは、その地域の中心的な役割を担う人たちなんですよね。

 

東日本大震災の際も、このような人材が亡くなってしまったことで、復興の際に支障が出た地域もあったようです。

 

命に軽重はないですが、このような助ける側の人たちの命を守る取組みは必要だと考えます。

 

話は逸れますが、同じ考え方として、

●軽装登山や弾丸登山、素人のくせして冬山登山を強行して遭難する人

●海水浴場と指定されていない場所で沖に流さる人

なども、助ける人が命のリスクを負わない範囲で救助活動すればいい、というルールを作れないものですかね。

 

“災害弱所”に住むということも、同じようなこと

そして、何度もお話ししていますが、

●地震の際に揺れが大きくなる可能性の高い軟弱地盤エリア

●深い浸水可能性が指摘されているエリア

●崖上や崖下など、土砂災害のリスクがある場所

等の“災害弱所”をわざわざ選んで住む、ということは「素人のくせして冬山登山を強行する人」と変わらないと認識していただきたい。

※昔から住んでいる人は仕方がないと思いますが。

 

「自分は大丈夫だ」と思うのなら、「被災しても助けはいりません」と念書を書いてもらいたいです。

 

そして、比較的価格や賃料が手頃だとか言って“災害弱所”に人を送り込んでいる奴らにこそ、発災時に、救助隊をやらせるべきでしょう。

 

「15分ルール」の素晴らしさを書きたかったのに、またいつもの話になってしまいました。

今日は、この辺で。