街に出掛けた母が乾燥無花果を買って来ました。
「あんたも食べて良いよ」と優しい母親口調で言います。
「ご遠慮しときます」
「無花果は嫌いなので」
私は子供の頃から無花果が苦手なので、丁重に断わりました。
「あんた、無花果嫌いなの」
「こんな美味しい物を嫌いな人の気が知れないわ」
母は見せつける様に、わざとらしい位に「美味しいわよ」と無花果を食べていました。
このくだりを、もう何度繰り返した事でしょう。
母が老いて忘れたのではありません。
覚える気が無いのです。
《受け入れたく無い》の方が当たっているかもしれません。
『自分が好きな食べ物を我が子が嫌う訳が無い』と思いたいのでしょうか。
もしくは。
《大好きな無花果を「美味しいね」と一緒に食べたい》のでしょうか。
私は幼い頃、好き嫌いが多かった記憶あります。
母は「嫌いなら食べなくて良い」と不機嫌に言うだけでした。
調理を工夫して好き嫌いを無くさせ様と食べさせられた記憶はありません。
母、曰く。
「余裕が無かった」そうです。
その余裕が出来て来た頃からでしょうか。この無花果のくだりが始まったのは。
無花果そのものが苦手と言うのもありますが。このくだりと、この時の母の表情に嫌悪感を感じるのです。
相手の言葉を無視して、強引に自分の思いだけを押し付けて来る態度が重く感じるのです。
私が母親思いの優しい娘であったなら。
母の期待に答えられたのでしょうか。
残念ながら。
私には《心に余裕》が無いので、
『お母さん、ごめんね』と謝る事も今は、まだ出来ません。
むしろ。
『私が折れるしか無いのか』
『何か割に合わない』
『理不尽かも』と不満タラタラに考えてしまいます。
まだまだ、人生の修行が足りないのでしょうね。