ひとりライフ50代・外で働かない

ひとりライフ50代・外で働かない

57歳ずっと憧れていた在宅ワーカーになれた(ちょっと無理あり)

皆さま、はじめまして🌟

森野あけびと申します。

1966年生まれ。

双子&二人の子ども達&孫1人のおばあちゃんです。

もと娘の息子もいます。

結婚歴は2回、いろんな経験を経てずっと憧れだった100%在宅ワーカーをやっています。

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推定年齢およそ16歳、慢性腎不全のおばあちゃん猫がいます。

慢性的にお水をたくさん飲みたくさん排尿しますが元気でした。

吐く事が増えたなぁ、ちょっと元気ないなぁと思って数日あっという間にぐったりとした様子で

食欲もなくなり突然けいれんのような状態に。

驚きのあまり心臓はバクバク、恐怖と悲しみで手が震え、目をまん丸にして何が起こったのかわからない様子の猫を触ることもできず

 

とにかく獣医さんに電話。基本的にはあまり獣医さんにはかからず自然に任せる派(人間も動物も)なんですがこの時はとてもひとりでは抱えきれないと思いました。

 

先生「どうします?血液とか採って調べてもいいけどね。」と積極的ではないご意見。

 

私も心の中では強く同意。この時の猫はもう毛並みもボロボロ、元々痩せていましたが

じーっと動く事もなく、正直言ってお別れの時が近いのだなと思いました。

 

先生「痙攣は脱水症状から来ているのだろうからそれを抑えるための点滴だけしましょうか」

  「まぁそれも、痙攣してるのを見たくないっていう人間の勝手なんですけどね。

   猫ちゃんからしたら自然じゃないからね。」

 

できたら私としてもすべてを自然に任せたいのだけれど、痙攣したあの姿を再び見る自信がなく

とにかく点滴(保水)をして頂くことになったのだけれど、これを毎日最低でも一回はしなくてはならないという。

ここまで弱った猫を毎日病院まで連れて来るのは無理があるから自宅でやれと(O_O)

 

先生「こんな感じ」「こうやってこう」「これで終わり」

 

それでなくても心臓がドキドキしていて

 

これを?私が?」この太い針をぶっ刺す?????????

 

でもやらなきゃ!やらなくては・・・・・・・・・

 

ものすごい葛藤をしながら聞いているので、先生のあまりにもシンプル過ぎる説明が

まったく頭に入って来ないまま点滴や針などのセットを購入して帰宅しました。

 

その日の夜はまったく具合が悪く、ぐったりとしてもちろん何も食べず

1時間に1回は吐く、吐く、もう何も出ないのに吐く、吐くのくり返し。

朝まで持たないかなと思ったので娘と徹夜して付き添った。

その間に2回くらい、もう目が開かないね、もうダメかもねと

大泣きしながらお別れを言うのだけれど持ち直す・・??

 

私も娘も言葉には出さないけれど、あれ?これもしかして頑張っちゃうんじゃないか?

と思って朝を迎えました。

 

この日の朝と、次の日の朝は、死ぬ気で頑張って点滴しました。

が、私には無理でした。とにかく辛くて無理!!!点滴を早く終わらせる為に特別に太い針が渡されているのでよけいに辛く、手が震えて3日目は猫も少し元気が出て暴れたのもあり、ついに自分の指に針を刺してしまい、この時点で全身脱力、もうやめたと心に決めました。

 

少しは元気になったとはいえ、いつどうなるかわからない状態、嘔吐もまだ続いていたし

餌もほとんど食べずだったので私の神経は寝ても起きてもピリピリしていて本当に辛かった。10分でも目を離すと死んでしまっているんではないか?コトコトっと音がすると痙攣しているのではないか?と、よほどストレスだったのかこの頃の私の心臓は無駄に鼓動が強くなっていて、もしかして私も一緒に逝くのかなと思っちゃうほどでした。

 

でも、自分の意気地がなくて水分が採れないばかりに猫に苦しい思いをさせるのが辛く、ネットで情報を探しまくりました。

そこで見つけたのが瀕死の愛猫を救ってくれた魔法の粉でした(o゚▽゚)

 

キラキラ水素ペット用

 

 

これで検索してもらえば出てくると思います。「論より証拠」という会社?から発売している物です。

 

初めはメルカリで買ったのですが遠方からの配送だったので待ちきれず、重ねてネットショップで購入、何とか間に合ってくれと祈るような気持ちで待って待って、届いたその日の夜に一カプセル分の粉をちゅーるに混ぜて与えてみました。硫黄のような匂いがかなりあったので心配しましたが食べてくれた!!そしてそしてその時以来、いま現在まで2週間ほど経ちましたが一度も吐いていないのです。困ったような怒ったようだった表情もすっかり無くなって、その上みるみるうちに元気になり、リラックスしてのびのびと眠る姿には本当に乗り切ったんだなぁと涙😭

もう二度と見られないだろうと思っていたドア登りも見せてくれるようになったんです。

 

何だか、大げさで嘘くさいCMの文章みたいになってしまうのですが本当なのです。

実際、この商品のレビューページはこんな感じの嘘みたいなお話がズラッと並んでいます。

それにすがって購入を決めたのですが信じて本当に良かった。

良かったと思うし感謝でいっぱいなので、どこかで困っているペットや飼い主さんの力になれたらとこのブログを全力で書いています。いえもう販売代理店でもやりたいくらいです!

 

まだ若くて先がある猫ちゃんの場合、違う考えになるかも知れません。

でも、うちの場合のように老猫だったり、いろいろな理由で積極的な治療はせず

猫にとっても人間にとってもストレスの少ない療養を考える場合、かなり有効な道なのではないかと思います。

 

自分の精神衛生上の理由と経済的理由で点滴を辞めようと決めた時、同じような考え方ってあるのかなと探しましたがネット上には1人の方のお話しか見つけられませんでした。

いろんな考え方、いろんな方法があると思います。

少しでも参考になれば嬉しいです。

 

 

1970年代のものと思われる昭和のドラマをYouTubeで見つけてシリーズで見ている。

いわゆる団地妻たちの間に繰り広げられるあれこれの話で、主役の八千草薫さんの美しさが際立っているのだが、舞台が大企業の社宅とあって主婦達は当然のように専業主婦で、とにかく暇なのである。時間にもお金にも余裕があって、それぞれに余計なことばかり詮索したり悩んだりしている。

 

何話目かでノイローゼになった主人が団地内で飛び降りて怪我をする話があり

それを聞いた主役の主婦は、自分の主人もそんな事になったらどうしようと蒼白。

「ボクだって満員電車に乗る時にそんな事を考えることがあるよ」と息子に言われて

また蒼白。「それってなあに?それってどんな気持ちなの??」との台詞にハッとなった。

毎日毎日、満員電車に詰め込まれて楽しくもない会社に通うその憂鬱がわからないまま

生きていた人たちがいたんだなぁ、そして主人の急逝など特別な事がない限り

そのわからないまま人生を終えた人もたくさんいたんだろうな。と。

主婦達の会話の中で旦那様の事を「もっと強い男になってもらわなくちゃ」という台詞があって

一同、うんうんと強くうなずくのだが「そこ!??」と驚き笑った。

すごい話だ。自分の人生、完全に人任せだ。もちろん、今の私になんか到底できないくらいの内助の功もあったのだろうけど。

 

でも、自分の母親に「それってなあに?それってどんな気持ちなの??」と詰められた中学生の息子はこの人には頼れんって思うだろうし、女性ってやっぱり弱いものなのねって概念を

否が応でも植え付けられるよなぁ。

だからこの年代(現在の50代〜60代)の男性って女性に対して上から目線になっちゃうのかな。

 

主人公の夫は明るい性格で柔軟な考えを持ち、妻の不安や愚痴にも逐一

反応してくれて、きちんと謝ったり子育てや家事にも手を差し伸べてくれるが

当時の大企業に勤める夫でこんな男性は数少なかったのではないかと思う。

まして妻がこのように人生経験が未熟で、人の苦しみもわからないまま

心配や噂話でキーキー言っているのにそれに優しさを持って対応するのは

逆に苦難の技であったと女の私でも思う。故に一方では非協力的、横暴であったり

さらには暴力的な夫も多かっただろうし、耐えきれなくなって離婚となれば

放り出された女性のその先の人生がどれほど大変だったか、胸が痛くなる。

 

ほんわかドタバタ昭和ドラマを観ながらやけに深く考えてしまった。

かもめはかもめ、孔雀や鳩やましてや女にはなれない

という歌詞があるが、道の端に咲く小さな雑草の花も

どんなにそれが可愛く可憐であっても決してお店で売られることは無い。

私は子どもの頃、雑草の花が好きで「雑草花壇」なるものを作り、わざわざ雑草を集めて(最終的には心ない親に全部引っこ抜かれた)喜んでいたが

まず普通の感覚の中で、雑草の花を花壇に飾ることはなく、むしろ前述の母のように

邪魔者として引っこ抜かれるのが常である。あんなにも可愛らしい花を咲かせているのにだ。

 

自分は雑草なんかではない、薔薇だ、百合だと思い込んだとしてもそれは夢。

雑草は雑草で、いくら頑張っても(人間界では)要らない花なのだ。

 

人間ポジティブでいる事が大切、いつでも明るくいよう、愚痴泣き言はダメだなんて

酷な話だ。隣でまぶしく輝く薔薇の花を見上げながら、いつ引っこ抜かれるかわからない恐怖の中で、日陰の雑草はポジティブでいられるのだろうか。

まあ実際、雑草たちはきっと薔薇の事なんか見上げない。自分たちが根を張る土をじっと見つめ、ただただ生きているのだ。そしてただただその美しい花を咲かせているのだ。

たとえ引っこ抜かれてその場に捨てられ水分を失いしゅんと枯れ果ててもなお

その可愛い花の色は土の上でしんなりとそこに存在しているのだ。

 

そう思うと人間は、キョロキョロし過ぎなのであろうか。

自分のことで必死なはずなのに、まわりの事を気にしすぎなのであろう。

「あんな風な家に生まれていれば」「あんなにお金があれば」「あんなパートナーに出会えていれば」

 

人が人を妬む気持ちは本当に辛い。自己憐憫と言ってしまえば簡単なようだが

実際、それを味わっている瞬間、人は胸がえぐられるような苦しさを味わう。

早めに気づいて辞めてしまえばいいのになかなかその自己憐憫を辞められない。

嫌というほど苦しさを味わって、そしてそこに同意者はいないと気づくとやっと

人は隣の薔薇を見上げることを辞めるのだ。いや、辞めるというより

薔薇の花を見て見ぬふりをするのだろう。