なにわアカデミー:/10 「玩具映画プロジェクト」(大阪芸術大学) /大阪

2008.06.24 地方版/大阪 20頁 写図有 (全1,652字) 













 ◇映画フィルムを復元・保存



 ◇放置しておくと癒着、劣化 名画が消滅の危機、適切な処理を



 鉄製の丸い缶のふたを開けると、酢のような臭いがツーンと鼻を突いた。中には古い映画のフィルムがあり、既に溶けて癒着が始まっていた。「こうなってしまうと、もう救えない可能性が高い」。太田米男・大阪芸術大教授(映画史、映画復元)は残念そうに見つめた。



 実は今、往年の映画フィルムが消滅の危機にさらされている。同大芸術研究所(河南町)は03年、太田教授を代表者とする「玩具映画および映画復元・調査・研究プロジェクト」を発足させ、これまでに約600本のフィルムを復元してきた。



 アセテート製フィルムは、通気が悪いなどの条件下に置かれたまま50年以上経過すると、加水分解(ビネガー・シンドローム)して組織が破壊され、劣化が進む。その結果、フィルムがベタベタになって固まって、映写機を通せなくなったり、プリントしてある画像が識別できなくなったりして、再生不能に陥る。実は、だれも気付かないうちに、名作映画のオリジナルフィルムが消滅しているかもしれないのだ。



 太田教授らは収集を始めた。古物収集家らから寄せられたフィルムは、映画館で上映していた全編モノではなく、各家庭で眠っていたシーンカットモノが多かった。これが「玩具映画」と呼ばれるフィルムだった。



 玩具映画とは、昭和初期から戦前に、映画館の上映フィルムの見どころを中心に切り売りしたもので、上映時間にして20~200秒程度の長さが一般的だった。ブリキなどで出来た家庭用の小さな映写機と抱き合わせて販売されていた。所有者は主に裕福な家庭で、近所の人々を集めて上映会が開かれていた。



 戦後はGHQ(連合国軍総司令部)の指導により著作権の保護が厳しくなったため、流通されなくなったという。玩具映画は映写機と共に各家庭に大切に保管されており、断片的ではあるものの、結果的に貴重な生き残りフィルムとして脚光を浴びることになった。



 プロジェクトでは玩具映画だけでなく、新聞社製作のニュース映画や切り売りされていないフルバージョンの映画作品の寄贈も受けた。復元作業は、収集したフィルムを別の新しいフィルムに重ねて画像を焼き移すが、フィルムが既にベタついている場合はレンズを通して一度光の像にして、それを新しいフィルムに焼き付けた。冷蔵保存すれば100年はもつ。こうして、尾上松之助や阪東妻三郎が登場する大正から昭和初期の時代劇のちゃんばらシーン、関東大震災の発生翌日の様子や橿原神宮の参拝風景などのニュース映像が次々と息を吹き返していった。



 中でも、ゴジラやウルトラマンを手がけた円谷英二氏の初特撮作品「海軍爆撃隊」(1940年、約60分)は貴重な作品。長距離空爆の重要性をアピールするプロパガンダ映画で、個人収集家からの寄贈品だが、受け取った時は既に溶け始めており、ギリギリのところで復元に間に合った。また、95年前に撮影された京都・祇園祭の映像も復元され、昨年11月に京都市内で上映された。



 太田教授は「近年、何でも『デジタル化』が叫ばれるが、フォーマット(形式)が変われば上映できなくなる。映画の歴史が長いヨーロッパを中心に、保存形式の世界標準はフィルム。だから、デジタル化するにしても、まずはフィルムの適切な保存と復元が必要不可欠なのです」と解説する。



 みなさんの家に眠っているフィルムはありませんか? 同プロジェクトでは、貴重なフィルムの保存に関する相談を受け付けている。【福田隆】



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 ◇玩具映画および映画復元・調査・研究プロジェクト



 太田教授が代表者(ディレクター)を務め、大阪芸術大などの国内外の研究者、民間の映画資料館代表、映像制作会社幹部ら計15人で構成する。今後、ホームページも立ち上げ、復元映像の閲覧やフィルム提供の呼びかけなどを行う。問い合わせは同大映像学科(0721・93・3781)。




キャンパスNOW:大阪芸術大・学生ミュージカル 大学挙げての作品づくり

2010.01.27 大阪朝刊 23頁 特集面 写図有 (全1,017字) 













 NHK大阪ホールで今月19日、大阪芸術大学の学生たちによるミュージカルが上演された。幻の動物「龍」が環境を破壊する人間から地球を守ろうと「龍の子」を人間の世界に送り込む話で「龍の子ケンとリン」。好評だった昨年末の学内上演に続く再演。今春の初等芸術教育学科新設を記念して開かれた。



 「進化を続ける学生の熱演に声援を」という塚本邦彦学長のあいさつで開演。背景に同タイトル絵本の場面が映し出される中、舞台芸術学科の学生ら約50人が龍やイルカ、タツノオトシゴなどに扮(ふん)し、歌とダンスを交えて舞台を駆け回った。



 出演者のほか、照明、舞台衣装、音楽、大道具、振り付けまで、すべてが学生と教員による合作。多彩な芸術分野を網羅する総合芸術大学ならではと言える。終演後、満員の客席から盛んな拍手が送られた。



 07年から毎年、新作ミュージカルに取り組んできた同大。今回は客員教授でもある高円宮妃久子さま原案・監修の絵本に基づく作品づくりに挑んだ。



 スタートは2年前の夏。「龍」をシンボルに、地球環境について考えることをテーマにした物語を、と久子さまが出された課題に対し、学内から集まった約300本の絵本・シナリオアイデアを審査。作品を絞り込み、東京の高円宮邸で久子さまと学生たちが直接打ち合わせする機会などを経て、絵本づくりと舞台化が並行して進められた。各学科の垣根を越えた大学の総力を挙げた取り組みとなり、かかわった学生は約350人に上った。



 舞台は08年秋に本格化。卒業で配役など担当者が変更になり、台本にもさまざま手が加えられた。学内上演の直前にはインフルエンザで稽古(けいこ)に来られない学生が続出するアクシデントにも見舞われた。今回の再演も、なかなか全体稽古ができない中で当日を迎えたが、全員が集中して見事に演じきった。



 ◇上演の度に成長



 台本・演出を担当する舞台芸術学科長の浜畑賢吉教授は「学生に負荷をかける(責任を与える)と必死で挑む。上演の度に一回りも二回りも成長する」。



 ある時に「目覚め」、見る間に伸びる学生もいる。それぞれが持つ才能に気付かせてあげるために、しかることはせず、必要なことを的確に伝えるようにしているとも。



 研究室を訪ねてくる卒業生には「(演劇を)やめたい」と言って泣きだす人も少なくない。「夢を捨てるのか」「後悔しないようにやり通せ」とアドバイスすると、明るい笑顔で再び「巣立って」行くのだという。


(朝日・大学パートナーズシンポ)100年後に残る本を 大阪芸術大 【大阪】

2010.03.28 大阪朝刊 33頁 大特集P 写図有 (全4,004字) 













 朝日・大学パートナーズシンポジウム「書物の現在――21世紀に出版文化は可能か」(大阪芸術大、朝日新聞大阪本社主催)が21日、大阪市北区の大阪国際会議場で開かれた。出版文化の歩みを振り返りつつ、電子書籍の登場で出版が将来どのように変わっていくのかを話し合った。



 ■基調講演 モノとしての本が好き 作家・角田光代さん



 現役作家としては読書経験がおかしい、と何度も指摘されています。高校まで芥川竜之介、夏目漱石、太宰治などなど、教科書で知った作家しか読んでいませんでした。大学に入り、同級生と比べていかに自分が「読んでいない」か思い知りました。



 23歳でいただいた「海燕新人文学賞」の授賞式後、文壇バーでさらにショックを受けました。年上の作家や編集者に「あれは読んだか」と次々尋ねられるのに何一つ読んでいない。「もっと読まないと続けていけないよ」と5人ぐらいに言われた。そんなわけで、書評の依頼は断らないと決めました。好みで選ぶ以外の本にも接する機会ですし。



 28歳で出あった開高健は、一番好きな作家。ベトナムへ一人旅に行く私に、当時の彼から開高の「輝ける闇」を渡されました。読む気はなかったのにハノイ到着後に風邪で寝込んだホテルで読み始めたら、本からズバッと手が出てきて取り込まれるように面白かった。今まで味わったことがない言葉の濃密さ、小説への真摯(しんし)な姿勢を感じました。



 最初の本「幸福な遊戯」ができて本当にうれしかったのに、どの本屋にも置いていなくてがっかり。当時の海燕編集部は、数字には無頓着でした。お陰で「売れるからすごい」とも「売れるように書こう」とも思わなかった。



 電子ブックが話題ですが、私自身は紙でできてさわれるモノとしての本が好き。「紙の本はなくなる」と、20年前から言われていましたが、今もなくなってない。本に対する私たちの意識は変わらないと思います。(講演は対談形式で進められた)



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 かくたみつよ 作家。1967年、神奈川県生まれ。早稲田大卒。著書に『幸福な遊戯』(海燕新人文学賞)、『対岸の彼女』(直木賞)など。



 ◇書物の現在――21世紀に出版文化は可能か



 15世紀に西洋で活版印刷が発明され500年余り。パネルディスカッションでは、大阪芸術大教授の長谷川郁夫さんの司会で、電子書籍の登場で変容する書物の未来を、本とかかわる人たちが討論した。



 木版、和とじの書物に代わり背表紙のある本が登場して百数十年。「本とは何だったのか」という検証から始まった。



 作家の中沢けいさんは「1978年に『海を感じる時』で群像新人文学賞をいただいた時、年上の作家の方々に『装丁され、クロス張りされ、しおりがついた良い本を作ってもらえる作家におなりなさい』と言われた。そのモノとしての本がなくなる時代だなんて」と嘆いた。



 本の装丁を手がけるデザイナーの長尾信さんは「上製本は紙以外に、布やしおりなど様々なパーツを使う。その部材を作る職人がどんどん減っている」と厳しい状況を紹介した。



 岩波書店社長の山口昭男さんも「本は内容、表紙、装丁などの要素が組み合わさった物質としての総合パッケージ」という。本の危機は今に始まったことではなく、1973年版の出版年鑑で「活字離れ現象」が取り上げられたと指摘する。でも40年近くたっても本はなくならず、書籍の年間の新刊点数は7万8千点以上。「本を読む人が減ったというより、全部読み切れないことが問題だ」



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 パソコンとプリンターを使えば、自宅でも印刷は簡単にできる。「でも、これは本なのか」と中沢さんは問うた。



 山口さんによれば、広辞苑は累計1100万部売れたが、広辞苑搭載の電子辞書も1100万台売れている。



 「紙と電子辞書は使い分けられている。インターネット上の百科事典は脅威かと思ったが、編集が十分でなく、偏りも指摘されている。信頼を生む編集の価値に、我々はもっと自信を持って良い」と言う。



 大阪芸術大教授の山縣熙さんは「私は今もすべて手書き。しかし電子メディアは、軽くて検索機能が抜群。優れた編集者が残るに値する中身を作ってゆかなければ、媒体としての本はなくなるだろう」と指摘した。



 ページをめくって読み進む本の身体性も話題になった。中沢さんは「(電子ブックの)キンドルで本をもらってもうれしくない。本は1冊ずつ全部違う3次元の立体だと思うのに、キンドルだとみな同じ厚さ。大部の本を手にして『今夜は眠れないぞ』と覚悟するような感覚を持てない」と語った。



 長尾さんも「キンドルについて調べようと、広辞苑で『端末』を引いたら、その次の項は『断末魔』。こんな皮肉な驚きを味わえるのは、紙の本ならでは」と言う。



 対して、岡山県立大准教授の瀧本雅志さんは「先日引っ越しをして、重くて場所を取る本を『邪魔だな』と初めて感じた。電子メディアの利便性にこの10年で慣れたからでしょう。一方で昔の本を懐かしく手に取る経験もしたが、今の学生たちにそういう本とのかかわり方は失われている」と言う。



 「紙の手触りや厚み、装丁が凝らされた本づくりのクラフトマンシップは素晴らしいけれども、キンドルの画面が明るい場所でも見やすいように、新しいメディアでもモノとしての工夫はある」



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 朝日新聞出版編集者の大槻慎二さんは、間もなく発売の「iPad」のページ送りのシミュレーションをデモテープで見て、その出来栄えに感心したという。「電子メディアは動画と連動するなど新しい展開ができ、新聞や雑誌は形態が変わらざるをえないと思う」



 四半世紀の編集者生活で、媒体が変われば文章が変化することも痛感した。「ワープロの登場で、文体は手書きとは明らかに変わった。文章が長くなり、無駄が多くなったと感じる。新人作家は、しゃべるようにずらずら緩い文章になっている」



 中沢さんは「アニメなども併用した新しい表現は楽しそう」と言いつつ、「文字で表現したい人は、手書きに戻りこつこつ書く方がいいのかもしれない。新しい媒体の普及で、今後は本にすべきものしか本にしてもらえなくなる。私は本にしてもらえる作品を書いてゆきたい」と結んだ。大槻さん、山口さんもそろって「一冊でも多く『100年後に残る本を』という気持ちで努めたい」と発言した。



 山縣さんが「本は一人では作れない。出版にかかわる者は、電子メディアの便利さを生かしつつ、残るに値する本を残す努力を続けたい」と最後に締めくくった。



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 長尾信(ながおまこと)さん 1947年、東京都生まれ。哲学、思想書の装丁を手がける。東京造形大教授。



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 山縣熙(やまがたひろし)さん 1938年、和歌山県生まれ。専攻は美学。大阪芸術大大学院芸術研究科長・教授。



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 大槻慎二(おおつきしんじ)さん 1961年、長野県生まれ。福武書店を経て、朝日新聞出版書籍編集部員。



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 中沢(なかざわ)けいさん 1959年、神奈川県生まれ。小説家として著書多数。法政大教授。



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 山口昭男(やまぐちあきお)さん 1949年、東京都生まれ。雑誌「世界」編集長などを経て岩波書店社長。



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 瀧本雅志(たきもとまさし)さん 1963年、北海道生まれ。専攻は表象文化論。岡山県立大准教授。



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 長谷川郁夫(はせがわいくお)さん 1947年、神奈川県生まれ。文芸編集者を経て大阪芸術大教授。



 ■大阪芸術大研究者からの報告



 ●モリス、美しい書物に心血 籔亨(やぶとおる)教授



 英ビクトリア朝時代、ウィリアム・モリス(1834~96)は詩人やデザイナー、思想家と多方面で活躍した。モリスは、大量生産された印刷物は功利主義で美しさがないと悲観。晩年、印刷術の初期に戻り、「美しい書物」の再興に心血を注いだ。自ら活字をデザインし、印刷工房を立ち上げた。活字をぎっしり配置し、インクはくっきり、挿絵は芸術的に調和させ、66冊の書物を出版した。モリスは「すべてに思いやりを持ち、労を惜しまず、共同作業することが美しい書物を手に入れる唯一の方法だ」と言う。この姿勢は、21世紀の書物を考える時に示唆に富んでいる。



  (1943年生まれ。近代デザイン史)



 ●玄対にみる出版の意義 田中敏雄(たなかとしお)教授



 「林麓耆老娯観(りんろくきろうごかん)」は、江戸時代後期の画家で、谷文晁(たにぶんちょう)の師とされる渡辺玄対(1749~1822)が、古稀(こき)の祝いとして催した宴に参集した知人にかいてもらった書画を収めた版本の書画帖(ちょう)である。大阪芸術大図書館蔵の版本のほか、九州大や東京大の図書館にも同様の版本がある。



 氏名録には儒者、画家、俳人などのほか、与力や地方藩の江戸詰藩士など様々な階層の人の名があり、玄対の顔の広さがわかる。本来は肉筆で書かれた詩歌や絵画を、個人で楽しむための書画帖を私家版とはいえ版本として出版した点に「個」の一般化という出版の意義が感じられる。



 (1942年生まれ。日本美術史)



 ●異彩放った演劇誌、関西に 出口逸平(でぐちいつへい)准教授



 かつて「演劇評論」という雑誌があった。題名や表紙は地味な同人誌で、1953年に始まり27号で終わったが、演劇界のありように一石を投じる役割を果たした。



 毎号長い座談会が掲載され、演劇界の閉鎖的な体質や興行会社への批判に筆が向けられた。一方で、能や歌舞伎といった古典様式を用いた現代劇に積極的な支援をしたことでも知られる。中心になったのは、演出家の武智鉄二。この雑誌の批判がもとで、武智が演出を担ったオペラの歌舞伎座公演が中止されたこともあった。こうしたユニークな雑誌が関西から発信されたことを伝えておきたい。



 (1956年生まれ。日本文学・演劇)