続きです…
「生野銀山」でしんみりした後は「神子畑(みこばた)選鉱場跡」へ…
「神子畑」から「生野」までは、明治時代に馬車道が整備されており、こちらは、その当時に架けられた鉄橋
全鋳鉄製の橋としては日本最古だそうです。
「神子畑選鉱場」は元は鉱山でしたが、鉱脈が減少してからは、更に北にある「明延鉱山」の鉱石を選鉱していたところです。
この山の傾斜に、様々な選鉱装置が24時間稼働し、東洋一と言われていたそう…
シックナーと呼ばれる選鉱装置
明治時代、フランス人技術者が暮らした洋館
百日紅が綺麗に咲いていました
「明延」〜「神子畑」を結んでいた「一円電車」
電車は主に鉱石を運ぶものでしたが、人車も運行され、一円で乗車出来たことから「一円電車」と呼ばれていました。
交流館で、選鉱の様子や当時の賑わいをビデオで見て、またしんみり
ちょっと涼みに行ったつもりが、濃厚な近現代史の勉強時間となりました。
こうなると、さらに北にある「明延鉱山」にも行きたかったのですが、この日は時間切れ…
でも「明延鉱山」には、15年ほど前に一度行っているのです。
当時のパンフレットがありました。
この時は、小学生だった息子たちと一緒に、ヘルメットを被り、坑道を案内していただいた記憶が…
息子たちには衝撃の体験だったようで、その真剣な眼差しに、案内係の方も「ここまで興味を持ってもらえたら…」と、かなり熱心に説明をして下さいました。
その後、長男は、学生時代に地域連携プロジェクトで再び「明延鉱山」へ…
そんな事もあり、この辺りには感慨深い思いがあったのですが、この日は更に思いに深みが出来た一日となりました
最後に…
「明延鉱山」で説明をしていただいた時に感じた熱気と切なさを一気に思い出したパンフレットの写真を…
ふりしきる雪の中、しっかりと顔をあげて立つ人々…
万感胸にせまる…ですね。