緑商会社長 草野次郎さんについて、 | 「模型探偵団」明石小五郎の昭和のプラモデル

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昭和のプラモデルが好きなタダのジジイです、上から目線で書いてます、日本初のプラモデルメーカー、㈱日本プラスチックなど、真実のプラモデルの歴史を書いてます。

緑商会社長 草野次郎さんについて、

の続き、
 
さて、その2社とはどこのメーカーだったのだろうか、
次郎さんはそのメーカーのことについて明かしてはいないので調べてみた、
 
「日本プラスチックモデル工業共同組合」は昭和38年4月に設立された、
もちろん、緑商会の草野次郎さんが業界の先頭に立ち、皆を取りまとめて設立された、
そのことについては、日本模型新聞にも大々的に報道されている、
 
         (昭和38年5月5日 日本模型新聞)
 
草野次郎さんが初代の理事長となった、専務理事は三和模型の高橋英夫さん、
 
 
                       (昭和38年5月5日 日本模型新聞)
          (昭和38年5月5日 日本模型新聞)
 
実は、その組合が設立された翌月に組合が主催となり大阪で見本市が開催された、
その名称は「第一回プラモデルショー」、
 
          (昭和38年4月5日 日本模型新聞)
 
当然のことながら、次郎さんが設立させた「日本プラスチック工業共同組合」が主催者なので、
その二社は参加していないことになる、
 
         (昭和38年5月5日 日本模型新聞)
 
ここに、参加するメーカーのリストが載っている、
出品メーカーを見て、そのリストに載っていないメーカーがその2社ということだろう、
 
今となっては断定は出来ないが、「にしき屋」が怪しい、
「にしき屋」はこれだけでなく、他の模型組合にも加入していないし、この後も出展はしていない、「にしき屋」は他のメーカーに比べて歴史も断然古く、考え方も古かったのかも、
何と言っても、「戦艦大和」を商標登録するくらいだから、
次郎さんは、「考え方が封建的で昔のお代官様が下々の民に物言うような横暴さがあった」、と

言っているので、なんとなくそれに当てはまるような気がしてならない、

 

もう一社は、となると、これを特定するのは難しい、

出展していないメーカーとしては、ユニオンモデルなど数社あるが、

まあ、なんとも言えない、

 

この大阪でのホビーショーの後、次郎は工場の火災、材料などの高騰、レーシングブームの終焉、SFブームの終焉、の難局を乗り越えていく、

                  <続く>緑商会社長 草野次郎さんについて、