日本模型新聞 昭和48年1月22日、29日号、 | 「模型探偵団」明石小五郎の昭和のプラモデル

「模型探偵団」明石小五郎の昭和のプラモデル

昭和のプラモデルが好きなタダのジジイです、上から目線で書いてます、日本初のプラモデルメーカー、㈱日本プラスチックなど、真実のプラモデルの歴史を書いてます。

        (昭和48年1月22日号 日本模型新聞)

 

 

次の記事で昭和47年年末、48年新年の売れ行き状況について、火星人さんが書かれている、

 

 

 

昭和47年の大阪の商店街の歳末商戦は、昭和46年に比べて2割から3割以上の売上アップを記録した、

関西地区の模型店でも12月20日から31日までの商戦では2割前後の伸びがあった、

 

しかし、年が明けての昭和48年1月1日、2日は客足にブレーキがかかった、

ただ立地条件の良い一部の店では3割の伸びという好成績をあげている、

 

模型飛行機関連では、中学生ではUコン、一般客ではラジコンものが良く売れ、特にラジコンカーは引き続き好調だったとある、

無電社のトランシーバーは6,500円の高額品と子供向きの定額品は売れたが中間価格のものは売れなかった、

 

 

ガラクタの中から探してみたら、無電のトランシーバーが出てきた、

これは、5,500円のもの、

 

 

 

自動車ものでは、3,000円もする高級品プラモが良く売れた、

大滝のポンティアック、ムスタングマッハ1、も良く売れた、

その大滝のムスタングマッハ1は、昭和47年度の「モデル大賞」を受賞したもの、

そう、モデル大賞は一番儲けさせてくれたプラモが条件の一つであった、

 

 

玩具では、BS銃、それと増田屋のシュマイザーが良く売れたとある。

増田屋 シュマイザー

 
         (昭和44年1月29日 日本模型新聞)
 
 
 
昭和47年度のモデル大賞のポスターを製作した、
                             <続く>