戦前からの国内最大手の模型玩具製造メーカーであった「朝日科学玩具」(通称 朝日屋)は戦後には電動遊具製造メーカーへと転身した、
例えば、読売ジャイアンツの投手交代で電動バッテリーカーに乗って球場に入場する際のバッテリーカーが「朝日テック㈲」の製品である、
実は、電動バッテリーカーを開発したのは戦前の昭和8年のことであった、
これは、昭和9年新年号の「科学の日本」、
これに、その広告が載っている、
「ミゼットカー」とある、
おそらく、これが遊園地などの電動遊具バッテリーカーの始まりではないかと思われる、
日本橋高島屋玩具部で実演運転、とある、
おそらく、屋上で子供たちを乗せて運転したのだろう、
モーターなどの部品全部をセットで16円10銭、
とにかく、「朝日科学玩具」はあらゆる模型、玩具、遊具などを製造していた、
それが戦争により職人、工場などのほとんどを失い、模型、玩具メーカーとして再度復活することがなかった、
しかし、生き残った方々が立ち上げたのが電動遊具製造メーカーとしての今の「朝日テック㈲」である。