「三井銀行」と「太陽神戸銀行」が合併した頃、 | 「模型探偵団」明石小五郎の昭和のプラモデル

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三井銀行と太陽神戸銀行が合併し、「太陽神戸三井銀行」となったのが平成2年のこと、そして「さくら銀行」へと行名変更したのが平成4年のこと、

そしてさらに「さくら銀行」と住友銀行が合併して「三井住友銀行」へとなったのが平成8年のことであった、

僕の場合は、住友銀行と合併発表のところで神戸に本店を置く「みなと銀行」へ転籍した、

なので、住友銀行と合併後には勤務していない、

 

とにかく、バブル崩壊後は銀行の合併、統合が相次ぎ今になってどことどこの銀行が合併して「みずほ銀行」になったのか、と問われてもすぐには出てこない、

 

結局は、旧財閥系の銀行名だけが生き残った、三井、三菱、住友の名だけが残った、

 

実は、「太陽神戸三井銀行」から「さくら銀行」へと行名変更が決まった時、旧三井の行員達からは不満があった、

そう、行名がひらがなになったことはもちろんのこと、何と言っても「三井」の名が消えたことに不満があった、

しかし、「そのうちいずれ三井の名は復活するので」と密かに?聞かされていた、

ただ、当時としては一体どのような形で三井の名が復活するのかはわからなかった、

まさか、住友と合併することなど夢にも思わなかった、

 

合併はしたものの、その後表向きはスムーズに移行したように見えても実際は未だにトラブルを抱えている銀行はあるように見える、

その主な原因は完全には統合されておらず、システム、人事等も別々の2本立てというのにあるのだろう、つまりお互いの勢力争いにつきるのだろう、

まあそれも、年月が解決してくれるだろう、そのうち残党も定年などでいなくなる、

 

「さくら銀行」と「住友銀行」が合併した後の状況がどうだったのかは僕はいなかったので知らない、そこで、その前の「三井銀行」と「太陽神戸銀行」が合併した時の現場の状況を書いてみたい、当時からはもう30年以上も経っているし、特に機密事項でもなく問題ではないと思うので、また僕の暴れぶり?を当時を思い出しながら書いてみたい、

 

「三井銀行」と「太陽神戸銀行」の合併は意外にもスムーズにいった、

その要因は簡単に言うと次の2つにあった、

 

① 合併後の待遇は高いほうに合わせる、

 

② システムはレベルの低いほうに合わせる、

 

つまり、行員の給与は三井銀行に合わせる、

    システムは太陽神戸銀行に合わせる

 

太陽神戸銀行の行員にとっては何の文句もないことであった、

特に旧太陽銀行の行員にとっては大歓迎の合併であった、

         <続く>「三井銀行」と「太陽神戸銀行」が合併した頃、一騒動前、