㈱玉屋模型店の木製艦船模型、 | 「模型探偵団」明石小五郎の昭和のプラモデル

「模型探偵団」明石小五郎の昭和のプラモデル

昭和のプラモデルが好きなタダのジジイです、上から目線で書いてます、日本初のプラモデルメーカー、㈱日本プラスチックなど、真実のプラモデルの歴史を書いてます。

千葉支部より玉屋模型の木製艦船模型について、

 

今回は 玉屋模型店 の木製艦船模型をご紹介いたします。

 

「玉屋模型店」につきましても資料不足で詳細は不明のところが多く、まだまだ調査が

必要です。

「玉屋模型店」は東京、台東区浅草蔵前で営業していました。昭和21年頃は静岡メーカ

ー向けに学校教材キットを生産していました。

昭和31年2月、木製潜水艦「ノーチラス号」を発売、以来昭和34年にかけて木製艦

船模型を多数発売しました。

日本初のノーチラス号の模型、

 

以前から気になっていたのですが、江戸時代の花火の「玉屋」との関係ですが、江戸の

町で火事を起こしてしまった「玉屋」は江戸を追放になり消滅してしまい、「玉屋模型

店」とはつながりは無い様です。

 

初期の玉屋はジュニアソリッドシリーズという名前でソリッド艦船模型を発売していま

した。

 

また「玉屋模型店」では独自にモーターを開発、販売していましたが、これを搭載した

艦船模型の生産販売も開始しました。

 

 

 

「玉屋模型店」が他メーカーと差別化を図ったのが水上走行性能でした。

他メーカーは差別化と言えば他が出していない船、或いは他より大きい船を作るという

ことでしたが、「玉屋模型店」は誰でも簡単に上手に走らせることが出来るというとこ

ろを目指しました。

一見ドナルドダックのくちばしのような艦首や幅広の船体は不格好に見えますが、ブロ

ック構造の薄い外板による軽量化と相まって波をかぶらず高速で素晴らしい走行性能を

発揮しました。(完成品の仕上げを見ると相当腕の良い職人がいたようです)

 

船を走らせたいと思えば面倒な工作はさっさと終わらせてすぐに浮かべてみたいと

思うでしょう。しかし、船体の防水、モーターの取り付け、左右のバランスなど面倒な

工作が待っています。完成品を買えばすぐに走らせることが出来ます。お金が足りない

人は半完成モーター別売りキットを買えば塗装をするだけで低価格で水上走行を楽しむ

ことが出来ます。

 

「玉屋模型店」のソリッドはあまり残っていませんが、「ネルソン」があります。当時の

塗装には特徴があります。

 

 

この「ネルソン」はたぶん「玉屋模型店」が販促展示用に作成したものと思われます。

軍艦の塗色は濃いグレーが多いのですが、当時の広告に白黒写真で掲載するとただの黒い

塊にしか映りません。

そこで、メタリックカラー塗装にします。それをストロボ撮影すると細かい部品が立体的

に浮きだして見えます。

軍艦がメタリックカラーなんて!と思うでしょうが、ちゃんと理由があるのです。

 

「玉屋模型店」では「ノーチラス号」以降完成品、半完成品をかなりの数生産販売したと

みられます。いまだにたくさん残っていることでもわかります。

競争相手がいなかったので独占販売のようなものだったのでしょう。

そうそう、いなかったわけでもありませんでした。完成品を発売したのは、他に「三和模

型」と「モデルホビース商会」がありました。

「三和模型」は前身は模型飛行機メーカーの「英工社」で東京台東区浅草蔵前で車両物な

どを製造販売していました。昭和32年に「三和模型」に改名、「玉屋模型店」と似た

「ミズリー号」、「長門」、「武蔵」などの半完成キットを発売していました。

 

 

また、「モデルホビース商会」は旧名を「新教社」と言い、昭和30年9月に改名しました。

木製戦車なども販売しましたが、完成品「ミゾリー号」が今に残っています。

(画像はヤフオクよりのものです)

 

さて、だいぶ前置きが長くなってしまいましたが、「玉屋模型店」の艦船模型をご覧くだ

さい。

「玉屋模型店」のカタログがないのでどのくらいの艦船模型があったのか、その全貌はつ

かめていません。しかし、時々今まで見たこともないものが出た来たりするのでかなりの

種類は発売されていたと思われます。

 

 

走らせることに主眼を置いているので種類も多岐にわたっています。

「ランナーボート エビンライト」、「原子力ボート メッサ」、「ミシシッピー河船 

アマゾン号」など実際見たくなってしまうものが並んでいます。

艦名不詳の空想戦艦なども当時の少年の目を引いたことでしょう。(値段が高くて買えな

かったでしょうが)

 

 

戦艦「大和」、米空母「フォレスタル」、油送船「ぼるねお丸」や昭和34年には南

極観測船「宗谷」などを発売しますが、昭和35年以降プラモデルブームの中、いつしか

「玉屋模型店」は消えてしまいます。

艦船模型をどのくらい実物に近づけるか、とただ突き詰めるのではなく一応それらしき形

で走らせて楽しむ、というジャンルに特化したはっきりしたポリシーを持った特徴あるメ

ーカーでした。

 

艦船模型の歴史の中に名前を残すメーカーであったと思います。