「フジミ模型教材社」から「今井科学㈱」までの経緯、 | 「模型探偵団」明石小五郎の昭和のプラモデル

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昭和のプラモデルが好きなタダのジジイです、上から目線で書いてます、日本初のプラモデルメーカー、㈱日本プラスチックなど、真実のプラモデルの歴史を書いてます。

今井科学の創業時から法人化までの歴史を書いた書籍は数多くあれど、ちゃんと正確に書いたものはまったくなかった、

 

僕も今までそのことを資料などに基づいて書いてきたが、あらためて簡単に纏めてみたので模型ライターの方々は今後今井科学のことを執筆なさる場合は、僕のものを参考にして正確なことをどうかお願いしますので書いて下さい。 僕は著作権などの権利関係などについては疎いのでどうぞご自由にコピペもなさって下さい。

 

○ 「今井科学株」への法人化までの経緯、

 

今井英一と斎藤茂一は生家が近く幼稚園から小学校まで一緒でいわば竹馬の友の間柄であった、斎藤は戦時中は広東の工兵隊員の軍曹であった、

 

今井英一は中学卒業後、逓信省の管理練習所に入学し法律行政を学び広島の電話局に入る、そして航空隊に入隊、戦後すぐの昭和21年、医者になるつもりで大阪の医大に入学したが、諦めて昭和23年に中退した、

一方の斎藤茂一は戦時中は広東の工兵隊員の軍曹であった、

 

終戦後、大阪の医大を中退した今井は斎藤と共同で電気事業を始めた、

その翌年昭和24年、今井と斎藤は共同で清水市に「フジミ模型教材社」を創業、木製模型の船舶や学校教材類の販売を始める、代表は今井英一、

 

昭和28年8月、斎藤茂一は分離独立して静岡で「フジミ模型社」を創業、

          今井英一はそのまま清水市で「今井商店」として営業開始、

 

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                  (昭和28年8月10日 日本模型新聞)

 

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    (昭和33年10月25日 日本模型新聞 ㈱ジートッププレス監修済み)

 

○  昭和33年10月 木製模型「東京テレビ塔 東京タワー」を発売、

 

○  昭和34年12月 今井商店から法人組織化し「今井科学㈱」となる、

 

 

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                    (昭和34年12月5日 日本模型新聞 ㈱ジートッププレス監修済み)

 

以上、

 

ついでに、

○ 今までも僕がシツコイくらい書いてきたように、今井科学が木製模型の東京タワーを発売したのは上記に記したとおり昭和33年の10月である、このことはすでに当時のいろいろな資料からも証明してきた、また東京タワーの設計図が出来上がったのが昭和32年7月であり、その1ヶ月後にその模型が発売できることは物理的にも絶対にありえないこと、ましてや設計図は線引きであり鉄骨の形さえわからない、東京タワーという名称さえも決まっていない、

 

それでも今井科学の東京タワーは昭和32年9月発売ということになっている、

以前にも紹介したとおり、このことについて「しょんないTV」の収録の前に静岡の朝日テレビのほうで確認をしたが聞き入れてくれなかったようである、

そう、木製模型メーカーのウッディジョーの社長さんである、(アッ、言うてもうた)

つまり、今井科学の話を面白おかしく脚色するためと、今更今井科学の歴史を修正したくないためだろう、

いつか昭和32年9月発売の根拠を直接お尋ねしようかと、もちろん、根拠などあるわけなく、どのように説明なさるかどうか、

いや、「余計なことを聞くな!! お前はもう静岡には来るな!!」と静岡からも追放されてしまうかも(笑)。

 

かくして、定説は捏造されその嘘の歴史は覆されない。

 

○ それから、先日発売された「ビッグコミック8月増刊号」

  僕はまだ読んでいないが、その中の漫画家の田中むねよしさんの作品「あるカブトムシの一   

  生」をご覧いただきたい、よ~くご覧いただくと、ある物が描かれている、

  そのある物とは?

 

○ そして、ぷらもったさんの、

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