の続き、
(昭和34年12月5日 日本模型新聞 ㈱自トッププレス監修済み)
昭和34年12月、今井商店は今井科学㈱へと会社組織に変更した、
フジミ模型社からの分離後の今井商店から6年後のことであった、
(昭和35年3月25日 日本模型新聞 ㈱ジートッププレス監修済み)
まだこの頃も木製品の艦船模型を出している、
すでに、マルサン、ニチモ、三和模型、三共模型、相原模型、等々の東京勢が続々とプラモに参
入し、1年以上経っていたが、今井科学等の静岡勢はまだまだ木製時代は続くと見ていた、
(昭和35年5月25日 日本模型新聞 ㈱ジートッププレス監修済み)
この頃はまだ今井商店時代のロゴマーク、
急激なプラ模型の普及に静岡勢もいよいよプラ製品に本腰を入れることになる、
そしてついに、今井科学としては初のプラモデルを発売することとなる、
(昭和35年6月25日 日本模型新聞 ㈱ジートッププレス監修済み)
その今井科学初となるプラモデルが戦艦の榛名、金剛、霧島の3種類であった、
その発売予定としては7月中旬頃までには一斉に発売することとなった、
しかし、それでもなお木製模型に未練があり木製模型も並行して生産していく、
(昭和35年6月25日 日本模型新聞 ㈱ジートッププレス監修済み)
その一番手が戦艦榛名であった、この時、今井商店からのロゴマークから今井科学の英語の筆
記体のロゴマークへと変更する、
(昭和35年8月25日 日本模型新聞 ㈱ジートッププレス監修済み)
しかし、7月中旬どころか、8月下旬になっても発売されることはなかった、毎号のごとくこの広告が日本模型新聞に掲載されている、
(昭和35年10月5日 日本模型新聞 ㈱ジートッププレス監修済み)
そして、やっと一番手の戦艦榛名の発売広告が出ている、この間には模型新聞にも発売したとい
う記事も広告も出ていない、おそらく、9月に発売されたのだろう、
なぜ発売が遅れたのかはわからない、考えられることは、金型の制作が遅れたか、またこの昭和
35年も物凄く木製模型が売れ生産が追い付かなかったのも事実であり、先走ってまだ生産など
もしていなく開発段階においても近日中に発売などと称して先行予告するのが常套手段でもあっ
た、
それともう一つ、今井科学では密かに開発していたプラモデルがあった、
それは、模型界においてもまだ誰も手を付けていない分野のプラモデルでもあった、
<続く>鉄人28号を発売