日本ホビーが大型戦車プラモの「M41快速戦車」を開発していた頃、ちょうど同じ時期に大型戦車模型を開発していたメーカーがあった、そのメーカーが相原模型であった、
それは、普通の戦車プラモではなく、金属製の陸上自衛隊新鋭の61式戦車であった、
これは初版の組み立て説明書で、俗に言う青焼きの図面が僕にとっては懐かしく昭和の雰囲気があってとても感じがいい、
設計が昭和37年3月となっている、
初版は砲塔はモーターでは回らないが、2版のものはモーターで回転するように改良されている、この初版の発売は昭和37年11月に発売された、
ただ、当時僕はその相原模型というメーカーすら知らなかった、もちろん、この金属製の61式戦車の存在も知ることはなかった、
当時としては画期的で本格的な大型金属製模型をなぜ知らなかったのだろう、
それは、相原模型はほとんど広告を載せなかったということである、僕らにとって当時の広告媒体は少年雑誌であった、相原模型はその少年雑誌にはほとんど広告を載せていない、
(昭和38年1月5日 日本模型新聞 (株)ジートッププレス監修済)
当時の日本模型新聞にもほとんど広告らしきものは載ってはいない、
これは、昭和40年の戦記雑誌「丸」に載っている広告、、戦記雑誌「丸」は基本的に大人向けの雑誌だったので、おそらく大人の戦車模型フアンの一部の方々は知っていただろう、
ハッキリ言って、子供の腕で組み立てるのは困難、しかも、5,000円もする価格では子供も手がでなかったのが現実であったのだろう、
これは2版のもので砲塔はモーターで回転するようになっている、初版のものは砲塔はモーターで回転するようにはなっていない、
昭和37年11月の初版から1年後に改良された、
プラモデルのように次々に部品が出来上がるのではなく、職人が一つ一つ手作りで仕上げたという、その価格は4,990円と子供では手が出ない価格ではあったが、生産コストから考えるとほとんど利益は出なかったものと思われる、
つまり当時は物品税というものがあり贅沢品であった高額の模型玩具類については5,000円を超えると税金が課せられたので無理して4,990円にしたのだという、別の言い方をすれば、相原模型は採算を度外視した技術屋集団だったのかもしれない、
そしてこの技術は4年後に発売する「ハーフトラック対空自走砲車」へと引き継がれる。
相原模型の61式戦車の箱は大きくて重い、随分前に聞いた老店主の話によると売れ行きはあまりよくなかったらしい、価格が4,990円と当時としては高価で、組み立てが子供では無理で大人向きであり、少年雑誌等での広告もなくあまり知られていなかったためだろう、問屋でも在庫に困ったのだろう、その老店主は問屋から3台も押し付けられ苦労して売り切ったという、
さて、2版のものは砲塔をモーターで回転させるものであったが、実はスムーズには回転しない、
昭和37年11月の発売以来、当時の数多くのゴジラ怪獣映画等の特撮場面に出演しているが、そのスクリーン上での走りっぷりをよ~く観てみると、微妙に砲塔、砲身が振動しているのはご愛嬌だろう、
2版目のものは、このようにモーターでゴムタイヤを回して、砲塔上を転がる方式となっている、
このように、モーターで2個のゴムタイヤがあり、装甲版の上を転がして回転させるようになっている、
取り外してみると、
モーターで1個のゴムタイヤを回転させ、装甲板の上で転がすことにより砲塔を回転させる、
しかし、砲塔に設置して砲塔上で転がるか試してみたが、どうしても途中で砲塔が止まってしまう、
それは、ゴムタイヤが装甲版にうまく接地しないためである、、そう、装甲版に反りなどがあるのでどうしても途中でタイヤが浮いてしまう箇所が出てくる、
この装甲版をまっ平らにするのは不可能である、さて、どうしたらいいものか、
そうそう、あれを使用してみよう、
そう、いつもの黒ゴム接着剤を用いたのである、これをタイヤが装甲版に接地する部分に
円を描くように塗りつけたのである、タイヤが浮く箇所は少し厚めに塗って接地するように
すればよい、そうして乾くまで一晩寝かして待つ、
その効果は抜群であった、もちろんスリップ防止にもなる、ゴムタイヤがうまく装甲板に接地してスムーズに360度回転する、
砲塔をつければ塗った部分は隠れてしまうのでわからない、
さて、操縦するにはロータリースイッチで動かすのとラジコン式の二通りがある、
スイッチはロータリー式となっているが、構造が複雑で完全に作動させるのは無理だろう、このスイッチをワイヤーで引っ張ったり、押したりして切り替えるので作動させるのは無理と言える、僕もジャンクのこのロータリースイッチがあったので組み立ててやってみたことがあったが、とても作動するような代物ではなかった、
この図の電気の流れをみてもなかなか理解するのは困難となる、
スイッチの接触不良なども発生して、ちゃんと操縦するのは無理だっただろう、
そうなると、ラジコンで操縦するのが簡単となる、
そのラジコンでも簡単に設置できるのがヒノデのラジコンセット、
これは、ヒノデのプラコンセットといってワンタッチでラジコン式に変更できる、プラコンシリーズの中でも最終型だろう、最近のラジコンとはいっても40年くらい前の製品で僕にとってはこれくらいはまだまだ最近の部類に入ってしまう、このヒノデ電工というメーカーはその後デジタル化の波に乗れずいつのまにか消滅してしまったが、僕らにとってゲルマラジオといえばヒノデ、ラジコンといえばこれもヒノデという時代があった、今となっては非常に懐かしいメーカーであった、
そう、これだけでセット完了、
これは2チャンネルなので信地旋回ができる、そう、2個のモーターを互いに逆回転できる、
しかし、やっぱりラジコンにするならもっと古い当時のシングルのボタン打ちのものがいい、
そう、この今井科学の4号戦車と相原のこの61式戦車に適応するラジコン、
やっぱり、相原の61式戦車には当時の物が一番似合う、
これは、今井科学の4号戦車と相原の61式戦車用、
これは、タミヤ1/21シャーマン、今井の4号戦車、ニチモのビッグパットン、そして相原の61式戦車用となっている、これが一番綺麗なのでこれを使った、
ただ、このセット以外にも必要なものがある、
送信機と受信機である、
ヒノデMT-4送信機とR-250受信機を揃えて相原模型の61式戦車に組み込んだ、
当時のヒノデのシングルラジコンは今の進化したラジコンとは比べようがない、
まづ後部にスイッチとクランクを取り付ける、
このクランクは何のためにあるのかというと、
とにかく配線が複雑で間違えないように気を付ける、
なんとエスケープはゴム動力となっている、そう、エスケープとクランクはゴムで繋ぎあらかじめゴムを巻いておかなければならない、クランクはゴムを巻くためのもの、僕の大好きなアナログの機械仕掛けとなっている、
サーボの中を見るとモーターのピ二オンギアもプラ製で劣化が気になったが、いまのところまだ大丈夫、
受信機の中を見てもその仕組みは僕がわかるはずがない、ちゃんと作動するかどうかわかるは
ずがない、
とにかく電池を多く使用する、モーター2個の動力用に電池6本、サーボエスケープ用に単3電池4本、受信機用に9V電池1本、それと送信機用に9V1本と合計12本も使用する、
なかなかスムーズに作動しない、受信機R-250が原因かもしれないので交換してみた、
同じくヒノデのR-250受信機でこれは後期に発売されたもの、これに交換したら作動した、
ゴム動力のエスケープの動きが面白い、なんといっても機械仕掛けでカチカチと忙しくカムが回
るその動きが面白い、
受信機用のアンテナ線を取り付けないといけない、そう、受信機のアンテナ線とアンテナロッド用の差し込みネジナットの取り付けである、
後部にアンテナロッドをねじ込むネジを取り付ける、逆転スイッチは砲塔用のスイッチで砲塔回転はラジコンでは出来ないのでこのスイッチで回転させる
右からエスケープのゴムを巻くためのクランク、動力用のスイッチ、砲塔回転用の逆転スイッチとなっている、
アンテナロッドがあるので、砲塔は360度回転させることができない、砲身がぶつかってしまう、
当時の雑誌等にもこの相原の戦車は載っている、
まだ未塗装状態の61式戦車、これは昭和39年の3月号、
これは完全に綺麗に仕上がっている、
ところが発行年月日を良く見ると。
ん、ん、ん、昭和37年11月18日となっている、
僕の頭の中のデータではこの相原の戦車模型は昭和37年11月発売となっている、
この戦車を組み立てて、この雑誌に載せて発行するまでには少なくとも一か月以上はかかるは
ずだが、実際はそれよりも前に発売されていたのか、あるいは、発売前にメーカーの完成品を借
り受けて撮影したものなのか、とにかく今となっては不明である、
この相原の戦車を使って61式戦車の解説がなされている、
そう当時はこれ以上の戦車模型はなかった、だから、ゴジラ映画等の特撮場面でもしばしばこの
戦車模型が使われた、この61式戦車が走っているシーンをよく観ると砲身等が小刻みに振動しているのが面白い、
シングルラジコンなので、信地旋回はできない、方向転換させるには片方のモーターを止めて方向転換させる。