「模型探偵団」明石小五郎の昭和のプラモデル

「模型探偵団」明石小五郎の昭和のプラモデル

昭和のプラモデルが好きなタダのジジイです、上から目線で書いてます、日本初のプラモデルメーカー、㈱日本プラスチックなど、真実のプラモデルの歴史を書いてます。

さて、久しぶりに今回は木製の自動車模型を作ってみようと取り出したのが、タミヤ模型の「ビュイックスーパー」、

 

 

「マグネットモーターで快走する」と書いてあるものの、そのような能書きはあてにはならない。

 

 

説明図を見ただけで笑ってしまう、

そう、その動力伝達の仕組み、

 

 

直接にモーターのシャフトのピニオンギアとギアボックスのギアとを噛み合わせればいいものを、なんとこれはスプリングジョイントを介している。

 

 

 

スプリングジョイントの曲がり具合によっては全然車輪が回転しない。

 

 

モーターをちょっと斜めに取り付け、板を削って、この状態でなんとかギアボックスが回転した。ただ、電池1本ではパワー不足で回らない、2本で回転する。

 

とりあえずは車体を組んでみよう。

 

 

木工用ボンドにて車体を貼り合わせる、

当時は釘を打ち込んで貼り合わせていたが、これがかなり難しい、釘が斜めになって出てきたり、板が割れたりと、かなり難しい。

 

 

 

ちゃんと部品の寸法などが合っていないので隙間が空いてしまう。

 

 

ボンネットもこんなに空いてしまう。

 

 

そこでその隙間を埋めなければならない。

 

 

これで綺麗に埋まった。

何を使って埋めたかというと、使ったのは粘土。

 

 

「京ねんど」というもの、これは本当にいい粘土。

隙間を埋めるにはパテよりもいい。

 

まだまだ仕上げには時間がかかりそう。      <続く>

千葉支部より、

 

おしまいにもう一つご紹介したいと思います。

静岡教材社 SKのA級3型 戦艦「ローマ」です。縮尺300分の1 74㎝

これも長谷川の「ジャンバール」や田宮の「リッシリュー」と並んで珍艦と

いえるでしょう。

 

 

その貴重品が二つ手に入りました。しかし一つは船体はあるものの部品が不足

というよりは別の船の部品と混ざっていてどれが「ローマ」の物か分からなく

なってしまっています。非常に厄介です。一つ一つずめんにあわせて行く他あ

りません。しかも大型模型なので部品数もかなり多い。面倒な作業になりそう

です。

しかし、ビットリオベネト級戦艦は私の好きな船の一つで「ローマ」と作るの

は楽しみです。早速作りはじめました。

前所有者が少し手をつけていました。特に船体に手が入っていて、艦首の微妙

な個所など一寸問題になりそうです。しかしその他の部品などは手つかずで大

丈夫そうでした。

 

 

作りはじめてみるとかなり難しいことが分かりました。まず、図面が読み

切れていませんでした。どういうことかというと、図面は平面図と側面図、

それに簡単な立体図がありますが部品一つ一つの立体形はそこから自分で

判断して組み立てなければなりません。

 

 

これが意外と難しくてしばしば部品を取り違えて接着してしまい後ではが

して貼り直すことが何度もありました。部品を手作りする場合は合わない

とまた作り直しになります。これに時間がかかりました。

いつものように図面通りに、を心がけて作業を進めました。いくつか金属

部品を使用しましたが、当時はこれが当たり前でした。船体の仕上げや上

部構造物の組み立ても時間はかかりましたが、むずかしいところは特にな

かった気がします。

完成してみると大きいだけあってなかなかの迫力です。自分で作ったとい

う満足感がまた次を作ろうという気持ちになるのかもしれません。

ご覧いただきましてありがとうございました。

 

昨日は、大阪での用事を済ませ、その帰り道で久しぶりにJR六甲道で降りてみた。

六甲道駅で降りるのは10年ぶりだろうか。

 

かつて六甲道界隈は僕のテリトリーであった。

駅前のバス停からバスに乗り神戸大学近くの団地、駅前のビルのウェルブ六甲道2番街、南へ下って新在家、線路沿いに西の方は灘アパート、と4つの団地、住宅などを回っていた。

 

歩き回ってみると、その灘アパートがすでになくなっている、

昭和30年代に建てられ、6帖ほどの部屋だけで共同便所、共同風呂であり、まさに昭和の独身寮みたいな鉄筋コンクリートのアパートであった。

当時は阪神の独身選手も多く住んでいたようで、当時の古い入居者カードを見ると大物選手の名前も数多くあった。

 

その灘アパート近くに小さな模型店があってすでに閉店していたことを思い出した。

もう絶対にないだろうと思ったが、念のために確かめてみると、

 

 

おお~、まだ店舗はそのまま残っている。

なんと、10年ほど前の閉店状態とまったく同じ状態で残っている。

 

 

10年ほど前に見た時とまったく同じ状態、そのまんま残っている。

もちろん、僕が欲しいようなプラモは残っていない、現行のプラモばかりでスケールもの。

なぜ残っていないと言えるのか、

それはまだ営業中だった時に確認している。

そう、店主に古いプラモは残っているかどうか確かめている。

店主は「古いプラモは取り扱っていないのでない、そういえば一つだけあったなあ、マルサンの神風号が一つだけ」とおっしゃっていた。

 

そういうことなので、どなたか整理してあげて下さい。

 

千葉支部より、

 

次にご紹介いたしますのは青島文化教材社 ABKの「フォレストPシャーマン」

2型です。

 

 

これもめったに出ない貴重品ですが、二つも入手出来ましたので一つ作ること

にしました。

2型、というのが気になりますが、そう、1型もあるのです。これは後程。

いつもの通り資料としての製作なので図面や指示に忠実に作ります。

特に難しいところもないので割と短時間で完成しました。

この頃のキットの木材の材質は良好で節もなく工作は楽でした。設計もなかなか

見事で、出来上がりも立派に見えます。

 

 

では、「フォレストPシャーマン」1型と2型についてですが、

外観からはそれほど大きな違いは無いように思えます。

ただし、1型の方は古いものをレストアしたものなので多少

出来が悪く見えるかもしれませんが。

 

 

 

 

 

 

 

大きく違うのは大きさです。約5㎝違いがあります。

シャーマン1型は31㎝、シャーマン2型は36㎝になります。

価格は1型100円、2型150円でした。

図面や部品を流用して経費を節約するやり方はよくあることですが、

この場合は図面は別々、部品も流用されているようには見えません。

しかも、1型を発売したら好評だったので2型も出したというなら解

るのですが、1型と2型を同時に発売しているようなのです。

どうも1型と2型を発売した理由が分かりません。

同じ手間をかけるなら別の船を出しても良かったのではないかと思え

るのですが。

青島さんに教えていただきたいです。

 

 

 

千葉支部より、

 

次は 長谷川の「オレゴンシティ」をご覧ください。

当時長谷川は最初から大型のモータライズ艦と小型のソリッドモデルを並行して

発売していました。さすがに艦船愛好家の長谷川氏、設計も素晴らしく「エスキ

モー」や「ヴァンガード」などを発売していました。

ソリッドでも「ミッドウェー」、「リバプール」などを発売、米国巡洋艦シリーズ

では

米国重巡洋艦「サレム」 1/500 43.6㎝ 160円

誘導弾発射巡洋艦「ボストン」 1/500 41㎝ 160円

重巡洋艦「トレド」 1/500 41㎝ 160円

重巡洋艦「オレゴンシティ」 1/500 41㎝ 160円

が発売されていましたがあまり話題にはならず今ではほとんど見かけることはあ

りませんでした。

しかし、その貴重な「オレゴンシティ」が二つも手に入ったので、これは作らな

ければ!ということで作成しました。

 

 

 

実際の「オレゴンシティ」について触れてみたいと思います。

「オレゴンシティ」は1946年2月16日に就役しました。第2次大戦には

間に合いませんでしたがほぼ完成状態なので中止にはならなかったのでしょう。

1946年7月には第4艦隊旗艦となりましたが、しかし、1947年12月

15日には退役と短命な艦でした。ちなみに「オレゴンシティ級」の同型艦は

「オールバニ」はミサイル巡洋艦に

「ロチェスター」改装されず

「ノーザンプトン」1961年指揮官CC-1に改装、

 

 

画像最初が「オールバニ」次が「ロチェスター」次が「ノザンプトン」最後が

「オレゴンシティ」です。

(ウィキペディアより)

 

「ノーザンプトン」は長谷川から指揮艦の形状で模型化されて発売されました。

長谷川の社長さんは米巡洋艦がお好きだったのでしょうか。

 

千葉支部より、

 

次は 同じくフジミの「オレグ」をご覧いただきます。

昭和30年代初め、フジミでは「趣味のソリッドモデル」シリーズを発売しており、

№1「山城」から順次発売して№6「セバストポール」、№7「オレグ」が最終となります。

 

 

当時各メーカーは外国艦の開発に熱心で、中には聞いたことの無いような船が発売されていました。「オレグ」もその一つでした。調べてみましたが、箱の写真にある「スベルドルフ級」巡洋艦には「オレグ」は有りませんでした。

しかしフジミでは「オレグ」を75㎝スケールモデルとしても発売していました。

「オレグ」の名前が確認できたのは防御巡洋艦だけでした。

 

 

 

スケールモデル「オレグ」 75㎝ 模型界最初のソ連艦 小売700円 卸420円

これが模型カタログ(どこのか失念してしまいました)に掲載されていた画像と説明文です。

フジミでは趣味のソリッドモデル「オレグ」の他に75㎝の「オレグ」を発売していました。

調べてみましたが、英国戴冠式参列艦に「オレグ」は有りませんでした。

1937年ジョージ6世戴冠記念観艦式に時点ではまだキーロフ級やマキシ

ム・ゴルキイ級などは完成していなかったはずです。

 

「趣味のソリッドモデル」シリーズはウォーターラインで大きさも手ごろ、

値段も50円と安かったのでもっと人気が出ても良いのではと思うが、モー

タライズの走る船に押されて消えてしまいました。

「オレグ」は小さくとても作りやすいキットです。丁寧に作っても数時間で

出来上がります。しかもシルエットもなかなかでフジミのセンスの良さが感

じられます。

こういったキットは部品が無くても自作で簡単に作れます。図面さえあれば

作ってみてはいかがでしょうか。

 

 

次回は、「オレゴン・シティ」      

                        <続く>

千葉支部より、

 

次は、フジミの1/1000「赤城」を作りました。

以前に「比叡」を作りましたが、「赤城」はまだ作ったことがありませんでした。

当時ソリッドモデルは売り上げが低調でくりぬき船体にモーターを搭載して走る

模型に人気を奪われていました。そこで対策として低予算でモーター搭載を、と

いうことで生まれたのが「ポケット航空母艦赤城」でした。ネーミングもそうで

すが、あまりに安易な考えで出来たものは笑ってしまうようなものでした。

 

 

しかし、これは冗談でいい加減に作ったものでは決してありません

でした。当時のメーカーにとって開発の失敗はメーカーの消滅さえ

考えられる深刻な事態でした。

当時この小さな船体に収まる極小モーターが開発されており可能で

はあったのですが、実際水に浮かべて走るのか、が大問題でした。

対策としてはモーターや電池を収めるスペースを確保して浮力を付

けるため船体をできるだけ大きくする、船体が小さいのでモーター

を回すとスクリューの回転で船体が傾き転覆してしまう。このため

大きなバルジを2段も付けました。

果たしてこれで無事走ったのかどうか、試したことはありませんの

で結果は不明です。

とりあえず完成したところをご覧ください。なにこれ!というよう

な形をしていますが、メーカーとしては真剣に製品化するために考

え抜いた結果だとみれば、模型の歴史の貴重な資料だともいえると

思います。

 

 

 

 

次回は、「ソ連 重巡オレグ」、      <続く>

千葉支部より、

 

だいぶ陽気も良くなり、昨年在庫整理?をして2個以上あるキットの中から

数点作ってみました。

自分では面白いと思うのですが、木製艦船模型についての関心はいまいち

低くて残念です。しかし、一人でもこれを見て興味を持ってくれればなど

と思いながら作っています。

 

 

まず最初は、TF 富士模型の「オープンカー」です。

これも調べたら6個も手元にあり相当売れなかったのでは、と思ってしま

います。

 

 

部品数も少なく一見簡単そうですが、いざ組んでみると簡単ではありません。

部品一つ一つをつないでゆくと形がゆがんでしまい最初からやり直し、これを

繰り返して少しづつ纏めてゆきます。

また、そのままでは只の木の箱にしか見えませんので、自動車に見えるように

工夫しなければなりません。これが木製模型の面白いところです。

自分なりにイメージしてあちこち削って形を作ってみました。いかがでしょう

か?

 

 

ゴム動力で走る、となっているので輪ゴムを付けて走らせてみました。

後輪を反対廻ししてゴムを巻き手を離すと、猛烈な勢いで車輪が空転して

車は全く動きさえしませんでした。

減速ギアもなく車体も軽く、おまけにタイヤが木製なので滑ってしまい

動かないのが当たり前でした。

当時の子供たちは苦労して作り上げて、走らせてみたらこの結果!

相当にがっかりしたことでしょう。売れなかっただろうことは容易に

想像できます。

 

 

次回は、フジミ模型の1/1000「空母 赤城」、  <続く>

1週間ほど前のこと、

 

夜中にピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、とインターホンが鳴った、

真夜中でぐっすり眠っていた僕はビックリして飛び起きた。

このご時世なので強盗の可能性もある、

誰かさんもビックリして飛び起きていたが、「絶対に応答しないで、絶対にドアも開けたらアカン!!」と言う。

 

この時間なのでインターホンが鳴るなど普通ではない、何がおきているのか僕としてはそれに興味がある。

インターホンのテレビ画面を見ると、玄関ドアの前あたりをお婆さんらしき女性がウロウロとしている。

「これは何かあったにちがいない、なにか困っているのだろう」と察して、ドアを開けて、

「この夜中にどうしたのですか?」と聞くと、

 

おばあさんは、「ここはホテルと繋がっているのですか?」と言う、

僕は、「いいえ、ここはホテルではありませんよ、マンションですよ」と答えた。

 

そこで、「どこから来たのですか?」と聞くと。

「神戸のホテルから歩いてきました、部屋がわからなくなって探し回っています」と、

足元を見るとサンダルみたいな履物、とても神戸から歩いてこれるはずがない。

 

これは認知症だと察した僕は誰かさんにお婆さんと話し相手になってもらい、その間に110番へ連絡した。

 

警察が来るまでの間に、

「そのホテルの部屋番号は何番でしたか?」と聞くと、

「◯◯◯号室」と答えられるので、

「お名前は?」と聞くと、

「◯◯です」とハッキリと答えられた。

 

そこで、ハッと気が付いた、

◯◯◯号室の◯◯さんといえば、うちのマンションの人ということに気が付いた。

そう、うちのマンションのその◯◯◯号室に◯◯という名字の表札があることに、

 

「それでは、そのホテルの◯◯◯号室へ案内しますのでついてきて下さい」と誰かさんも一緒になって連れていった。

連れていくとドアに鍵はかかっていない、

おばあさんは、「ここです、ありがとうございます」と入っていく、

全ての部屋に電気が点いており誰もいない、

 

そこへパトカーで2人の警察官が来たので今までの経緯を話して、あとの対応は警察官に任せることにした。

 

後日いろいろと話を聞くと、そのお婆さんはあちこちとインターホンを鳴らしまわっていたという。しかし、皆は「怖い、気味が悪い、」と出なかったという。

それで結局は僕の部屋のところまで来たのだろう、

結果として無視することなく、対応してよかったと思っている。

 

そうそう、それからそのお婆さんの家族の方は部屋からお婆さんがいなくなったので近所を探し回っていたという。

 

僕らもこの歳になったのでいつ認知症になるかもわからない。

こればかりは防ぎようもない、予防薬などもない。

 

令和6年における行方不明者届受理等の状況 - 警察庁

 

上記の統計のように、認知症による行方不明者も驚くほど多い。

決して他人事ではないことを自覚しなければならない。

 

 

 

 

前回の「ゴジラ-1.0」に続き次回の「ゴジラ-0.0」は11月3日に公開されるという。

 

そこで今話題になっているのが、そこに「二式大艇」が登場するという。

今年は「二式大艇」のプラモが良く売れるかも。

 

「二式大艇」のプラモといえば長谷川製作所だろう、

それまで他のメーカーは「二式大艇」にはあまり興味がなかったようで、長谷川製作所の自信作がその「二式大艇」だった。

 

その発売はいつだったのだろうか、

 

         (昭和41年11月28日 日本模型新聞)

 

      (昭和12月26日 日本模型新聞)

 

発売は昭和41年12月である。

 

          (昭和42年5月1日 日本模型新聞)