「模型探偵団」明石小五郎の昭和のプラモデル

「模型探偵団」明石小五郎の昭和のプラモデル

昭和のプラモデルが好きなタダのジジイです、上から目線で書いてます、日本初のプラモデルメーカー、㈱日本プラスチックなど、真実のプラモデルの歴史を書いてます。

岡本模型(旧岡本プラスチック工業所)は昭和44年9月に倒産した、

僅か2年半ほどの短い活動期間であった、

 

                      (昭和44年新年号 日本模型新聞 ㈱ジートッププレス監修済み)

 

これは昭和44年の新年の挨拶文、おそらくこの頃にはすでに相当資金繰りが苦しかったものと思われる、

そうそう、この挨拶文にあるように、昭43年12月末頃に発売された「時限爆弾」はなかなか面白いプラモデルで、火星人さんらが主催していたプラモデル大賞のアイディア賞の候補にも上がったらしい、

 

            (昭和44年新年号 日本模型新聞 ㈱ジートッププレス監修済み)

 

どんな動きで爆発音を出すのか未だに見たこともない、

 

           (昭和44年9月15日 日本模型新聞 ㈱ジートッププレス監修済み)

 

この広告は倒産直前に発売されたプラモデル、「月球儀」は見たことあるが「アポロ」は見たことない、9月中旬に発売となっているが、さて発売されたのだろうか、

 

           (昭和44年10月13日 日本模型新聞 ㈱ジートッププレス監修済み)

 

昭和44年9月倒産、

そういえば今井科学はその2ヶ月前の7月倒産だった、

その今井科学が倒産直前に発行したカタログには発売に間に合わなかった製品が載っていた。

 

当時の少年雑誌などの広告もいい加減というか間違いが多い、

 

 

例えば、この懸賞品は、

 

 

C賞のアトムレーダーピストルは違う、これはアトムコルト3型、

 

イメージ 6

 

この広告もアトムレーダーピストル、となっている、

 

 

アトムレーダーピストルはコレ、

「アトム レーダーピストル」

当選者には正当なアトムレーダーピストルが送られてきたのか、それともこの広告のアトムコルト3型が送られてきたのか気になってしまう、

 

 

これも以前にも紹介したように、ロボット「サンダーボーイ」が違う、

 

 

これは今井科学のサンダーボーイではなく、アメリカ製の「ロボット コマンド」、

 

 

この今井科学のサンダーボーイも違う、

 

 

確かに今井科学のサンダーボーイ、しかし、違う、

何が違うのか、すでに何度も紹介しているのでおわかりだろう、

 

 

それから、出版社が通信販売していた「戦車の本」と「ゼロ戦のすべて」は当時は欲しかった、

 

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読者の方で当時購入された方もいらっしゃることだろう。

「少年」が通信販売で

 

僕らの時代、ゲルマラジオ、ラジコンといえば日乃出電工だった、

そう、圧倒的なシェアを誇っていた、

これは昭和39年のポスター、

 

 

これは、相原模型の61式戦車、

 

イメージ 20

 

 

 

ゴム動力のエスケープ、

 

 

 

しかし昭和40年9月、会社更生法を適用、

そう、この頃はスロットカーが大流行しラジコンの売れ行きが半減したという、

 

        (昭和40年10月11日 日本模型新聞 ㈱ジートッププレス監修済み)

 

その後なんとか再建されたものの、デジタル化の波に乗り切れず消滅してしまった。

今は「テトラ」とかいうメーカーで模型飛行機を販売しているようである。

日本初の戦艦大和のプラモデルは「島野製作所」が発売したことはすでに紹介した、

        戦艦大和プラモの始祖は、

 

ところで、その島野製作所は元々がどんな業種だったのだろうか、

 

プラモデルメーカーはまったくの異業種からの参入が多かった、

その典型的なメーカーが甘納豆屋さんから参入した「中村産業」であった、

また「日本ホビー」も最初は記念切手、コイン、プラモデルの通販業から始まった、

 

島野製作所の詳しいことは不明、いつ頃消滅したのかもわからない、


                 (昭和31年8月10日 日本教材新聞)

 

昭和31年8月の日本教材新聞に電話開通通知の広告に載っていた、

電話が開通したと、 そう、昔は電話回線を引くのが大変だった、何ヶ月も待たされた、

これによると、木工挽物とある、いろいろな木工製品を作っていたのだろう、

今でも東京からみれば結構田舎なので、当時は相当な田舎だったのだろう、

 

この島野製作所についてはほとんど情報がない、日本模型新聞にも記事などはほとんど見当たらない、どんなプラモデルを発売していたのか、いつ頃消滅したのか、

まあ、いくつかのプラモデルを発売した程度だったと思われる、

 

話を変えて、

静岡勢はプラモデルへの参入は東京勢に比べて1年半ほど遅れたことはすでに紹介した、

ただ、プラへの関心は相当早かったようで、セミプラ製品を発売していたメーカーがあった、

 

              (昭和31年11月10日 日本教材新聞)

 

それは「静岡理工社」で、昭和31年11月にはセミプラの車の模型を発売したとある、

この静岡理工社は艦船模型が得意であった、

 

 

ルーム内がプラスチック製とある、

この模型については未だに実物など見たことない。

酒井製作所 積極的にプラスチックを、

今更言うまでもなく、火星人さんが書いた日本模型新聞の記事は正確であった、
それは火星人さん自身がリアルに体験し確かめたことを書いたからであった、
念の為に上記の記事を確かめてみた、
 
               (昭和32年12月10日 日本教材新聞)
 
昭和32年12月10日付けの日本教材新聞の広告に間違いなく載っている、
酒井製作所が12月に発売することになっていたが、耐久テストを大丸デパートで行い、3月3日に発売したと、
この広告で調べると、昭和32年12月上旬に発売されたということになる、
しかし、火星人さんの記事で実際には翌年の3月3日に発売されたという事実が判明する、
プラモデルの発売日時を調べる際には普通は日本模型新聞の広告で調べる、
大体はそれで合っているが、実際には発売がそれより遅れる場合もある、
そう、当時はメーカーはサバ読んで先行予告をするケースが多かった、
それを教えてくれたのも火星人さんであった、
 
さて、その酒井製作所のトロリーバス、
読者の方から教えていただいた、
海外のオークションに出品されていると、
そのトロリーバスも海外にドンドン輸出されていた、
その画像をアップすると、
 
 
資料として欲しいので即購入した。
 
      (昭和34年業者名簿 日本教材新聞発行)

スピード二段切り替えの戦車プラモ の続き、

 

 

コレクターの方、読者の方から教えていただいた、これは大滝の「タイガー1型」のプラモと、

 

 

ああ~、僕としたことが、

新年早々、少しばかりボケていた、気をつけなければ(笑)、

そう、すでに紹介していた、すでにキットを持っていた、

 

 

そう、間違いなく2段切り替えのギアボックス、

 

 

ゴムキャタピラも同じ、

 

 

この砲塔をセットする扇形の穴が三和のタイガータンクとよく似ているので、

 

 

 

そう、この三和の扇形とそっくり、

だから、三和か東京プラモかと思い込みがあった。

 

なお、大滝のタイガータンクには銀メッキのキットもあった、

その画像をコレクターの方からいただいたので紹介してみると、

 

 

スピードは低速も高速もあまり変わらない。

 

 

今までに作ったタイガータンク

コロナの影響でなかなか出かけることもできない、

イベントなども続々と中止、

静岡に行きたくても今のところいつ行けることやら、

 

まあ、家の中でプラモをいじって遊ぶしかない、

 

 

昨日、修復したのがこの戦車プラモ、

 

 

このようなギアボックスは初めて見る、

 

 

右にずらして小さいギアに噛ませると高速用、

 

 

左にずらすと低速用になっている、

 

 

単2電池2本、無事に収まった、

 

 

このキットは今まで見たことない、

 

 

三和模型か東京プラモのタイガータンクだろうが、さて、どちらだろう、

 

 

先込め方式で弾丸をこめ手動で発射できる、

 

 

三和模型のリモコンのタイガータンクと並べてみた、  三和模型 リモコン タイガータンク

 

                       <続く> 大滝製作所の「タイガー1型重戦車」だった、

動画はしばらくお待ちを、

ハマライト化学はプラスチック玩具をプラモデルキット化するのが得意であった、

 

その事例がタミヤ模型の「ベビートラック、ベビーレーサー」や、三和模型、三共模型のピストルプラモであった、そう、すでに用済みの金型の再利用であった、

それを見抜いたのも火星人さんであった、

 

イメージ 4

 

プラ玩具用の金型をプラモデルキット用の金型に利用、

 

実は、マルサンもピストル玩具をプラモデルキット化している、

 

 

このマルサンの「ブラックホーク77」、右が玩具、左がキット、

 

 

 

これもハマライト化学の可能性が高い。

戦後初のSF宇宙物模型は静岡教材社の木製模型の「月光号」、「エンゼル号」であることはすでに紹介した、

日本初のSF宇宙戦車模型

 

          (昭和43年3月25日 日本模型新聞 ㈱ジートッププレス監修済み)

 

静岡教材社ではその後すぐに今度は戦艦のSF物を発売したとある、

それが、「原子力戦艦ストミック」という木製模型であった、

と同時に、「原子力潜水艦タニー号」であった、

 

実は、その模型を千葉支部で所有していたので紹介しよう。

 

 

僕が初めに勤務した大阪ではまだ「トロリーバス」が走っていた、昭和43年の頃である、

だから空を見上げると架線が張り巡らせてあって綺麗な空とは言えなかった、

 

鉄道模型についてはあまり詳しくはないが、酒井製作所という鉄道模型メーカーがあった、

その酒井製作所はプラモデルが現れる以前からプラスチックを積極的に使用していた、

だから、鉄道模型マニアの方々からは玩具っぽいとしてあまり人気がなかったらしい、

 

その酒井製作所から「トロリーバス」の模型が発売されていた、僕はまだ見たことがない、

日本模型新聞の火星人さんの記事によると、昭和33年3月に発売されたらしい、

 

          (昭和43年3月25日 日本模型新聞 ㈱ジートッププレス監修済み)

 

大丸デパートの商品検査室で1日8時間の連続運転を5日間テストして発売されたという、

本体はプラスチック製、

トランス式なので本物と同じように、架線をはりそこから電源をとりモーターを回すものだったようで、かなり本格的な模型だったのだろう。