タミヤ模型 チーフテン 自動変速、
スイッチが小さいので指で動かすのは困難、ドライバーの先っちょでスイッチをオン、
それでは、息つき現象のない2段の無断変速の走りをどうぞ。
イメチェンのためにガンダムを作れという、
そう、古い体質の時代遅れの人間なのでガンダムを作れという、
いつまでも古い模型のことばかり言っていても、それは時代遅れの人間の証だと、
そう言われてみれば確かにそうかもしれない、
昨日も言ったように、それは自己満足の世界でしかない、
若い人達にとっては今更古い時代のことなどどうでもいいこと、
今の時代、そして明日からの未来のことしか興味はないだろう、
ただ、僕の場合は先が知れている、あとは死ぬだけ、未来がない、
どうしても過去のことが懐かしい、
だから、古い過去のことに拘り自己満足の世界に浸っているだけのことだろう、
その古い体質というイメージから脱却せよ、と渡されたのがこのガンダムのプラモデル、
まあ今更染み付いた体質から脱却せよ、と言われてもねえ~、
ハッキリ言って、ガンダムのプラモなんかまったく興味がない、
これを作ったからといって、僕のイメージが変わることはないだろう、
そう、僕のイメージが好転することはないだろう(笑)、
しかし、せっかく渡されたので、仕方なく作ってみることにした、
ガンダムのプラモの箱は今回が初めて、今までガンダムの箱さえ開けたことはない、
接着剤は必要ないらしい、
とにかく、数日かけて組み立ててみよう。 <続く>
どうでもいいことであるが、一応正確なことを書いておかなければならないので補足説明しておきたい、
今井科学の歴史について、
(昭和28年8月10日 日本模型新聞)
そう、斎藤さんの開業広告はあるが、今井英一さんの広告がなかったこと、
それから、日本模型新聞にもその後の今井英一さんの広告、記事が一切なかったこと、
そして、斎藤さんと別れた後の今井英一さんの最初の広告が次の広告、
(昭和29年11月10日 日本教材新聞)
これが、今井商店としての最初の広告、それまでは広告、記事は一切ない、
もちろん、この広告以降は今井商店の記事、広告は載っている、
それらのことから、1年ほど休業状態だったと判断していた、
そして今回、次の資料で、
昭和30年6月発行の「仕入案内」で、
昭和30年6月の発行なので、その前年の昭和29年のデーターだろう、
この中に、今井商店がない、
今井さんと別れたフジミ模型社は載っている、
これで、今井商店は斎藤さんと別れた後の1年間ほどは営業を開始していなかったと判断して間違いないだろう。
◯ こんなことやってても、誰も喜んだり嬉しくなったり、人の役にたったりすることでもな
い、歴史の研究というのはそんなもの、
それがどうした、と言われればそれまで、
まあ、ハッキリ言って僕の自己満足だけの世界だろう、
おまけに、人に嫌われたりもする、
何だか悲しくなってしまう(笑)。