「模型探偵団」明石小五郎の昭和のプラモデル

「模型探偵団」明石小五郎の昭和のプラモデル

昭和のプラモデルが好きなタダのジジイです、上から目線で書いてます、日本初のプラモデルメーカー、㈱日本プラスチックなど、真実のプラモデルの歴史を書いてます。

ノーチラス号について、もう一度念のために、

 

 

左から日本プラスチックのノーチラス号、発売は昭和32年2月頃、(2月頃としたのは何月何日とは特定できないが2月の時点では発売されていたということ)

 

マルサンのノーチラス号、昭和33年12月、

 

NBK(日本文化教材)ノーチラス号 昭和34年2月、

 

ところが、何がなんでも日本プラスチックを日本初のプラモメーカーにしたくない模型ライターの方はその日本プラスチックのノーチラス号はNBKの後に発売としたいらしい、

 

すでに紹介しているように、特に元某出版社の小林さんは日本プラスチックのノーチラス号はNBKのノーチラス号の後の5月に発売されたとおっしゃっている、

もちろん、ご自分でお調べになられたのではなく、某(某とはしなくても誰かはすぐにわかるが)

その某模型ライターの方が書いたものの受け売りである、

数年前の「タミヤフェア」の時に「模型探偵団」の出展ブースの前を通られた際に、「日本プラスチックのノーチラス号は昭和34年5月に発売と本に書いてありますよ」と馬鹿にしたような言い方をされたので、「ちょっと待って下さい、私は明石小五郎と申しますがもちろんご存知ですよね」、

と言い返すと、「いいえ、知りません」と返ってきたので、

「それならこれから詳しく日本プラスチックのことについて説明しますので、この椅子に座って下さい」と言うと、あわてて逃げていかれた、

まあ、なぜかテロ朝工作員のM様にしろ、小林様にしろ、僕からはすぐに逃げていかれる、

絶対に、なにかやましいことがあるのだろう(笑)。

 

ところで、その昭和34年5月に日本プラスチックのノーチラス号が発売されたという根拠が次の記述の部分だと思われる、

 

 

ここに1959年5月頃と書いてある、誰が書いたのかはあえて言うまい、皆さんがご存知、

なぜ、その著者の方が1959年5月頃としたのか、その根拠としたのが次の広告である、

 

イメージ 3

 

そう、この日本模型新聞で1959年(昭和34年)5月の三ツ星商店の広告に載っている、

 

イメージ 4

 

日プ ノーチラス号 と、ちゃんと間違いなく載っている、

 

昭和32年2月頃に発売された日本プラスチックのノーチラス号がなんで2年後に三ツ星商店の新発売の広告に載っているの?

 

う~ん、素直に考えると謎である、

 

しかし、よくよく考えるとその謎は解ける、

 

つまり結論から先に言うと、この広告のものは日本プラスチックのノーチラス号ではなく、

NBKが2月にそれを再販発売したものである、

 

NBKのノーチラス号は昭和34年2月に発売された、

もちろん今更言うまでもなく、それは日本プラスチックのノーチラス号を箱だけを変えた再販物であった、

そう、箱だけを変えて発売したものでキットの中身、説明図もそのまま入れて発売したのである、

つまり、NBKの当初発売したものには説明図が日本プラスチックのものが入っている、

 

 

そして後に、自社のロゴマークの入った説明図に変えて発売した、

 

 

つまり、三ツ星商店はキットの中に入っている日本プラスチックの説明図を見てただ単に

日本プラスチックの製品だと判断したものと思われる。

 

そしてもう一つの根拠が、僕は持っていないが三ツ星商店の当時のカタログにはNBKの箱絵のものが載っているので、日本模型新聞の広告は日本プラスチックが発売したものではなくそれを再販したNBKのものだということは明らかである。

 

 

レベルのノーチラス号を組み立てたのでマルサンのものと較べてみた、

 

 

 

 

 

気のせいかコピーとはいえ、僅かながらマルサンのほうが出来が良い気がするが。

マルサンのノーチラス号で較べてみると、

 

 

日本初とするには気がひけたのか、「国産成功」と、

 

 

成型色が全然違う、もちろん台座も。

 

もちろん、業界としてもこのマルサンのノーチラス号が発売される以前に、他のメーカーからプラモデルが発売されマルサンが国内初のプラモメーカーでないことは知っていた。

マルサンが初ではないことを、

明石の海も今年は3年ぶりに海開き、

目の前の大蔵海岸は7月16日に海開き、

 

 

今、急ピッチで砂浜が整備されている、

 

 

プラモの宇宙探検車みたい、

 

神戸の須磨海水浴場は人が多く海水も綺麗ではないので、西へ少し足を伸ばして各駅停車の電車で須磨から15分、朝霧駅で下車、駅の前が大蔵海岸なのでぜひ泳ぎに家族連れでどうぞ、

 

今年も猛烈に暑い、「節電ではなく発電を」

 

僕の場合は今のところまだまだ快調、 この暑さにも負けず動き回っている、

動き回るとはいっても自転車で、

一昨日も神戸のメリケンパークまで往復してきた、

もちろん、毎日海岸を自転車で走り回っている、

 

 

お陰様で腕はこのとおり、これも夏が終わると綺麗な白い腕?に戻ってしまう、

 

健康診断も受けろ、受けろとシツコク言われるがもう8年くらい受けていない、

受けないほうが快調な気がする、

そう、へたに受けると病人にされてしまう、この歳になるとどこか悪いところがあるのは当たり前、

必ずどこか要精密検査となってしまう、受けると特に異常なし、

最近は血圧なども測っていない、そうそう体重計にも乗っていない、

いちいち気にしていたら滅入ってしまう、

気にしないせいか、今のところこの暑さにも負けず快調、

死ぬ時はコロッといきたい、

そうなれば喜ぶ方々が大勢いらっしゃる(笑)、

 

某出版社にはもう原稿は書き終えてすでに送ってある、

出版されたら、ホビージャパン、モデルアート、モデル・カーズ等々は慌てふためくかも、

そう、東京の業界も。


僕は17年間、毎日ブログを書き続けてきた、

ちゃんとまとめ上げれば数冊?の本が出来上がるだろう、

そのうち、「間違い、嘘、捏造だらけの模型の歴史」と題して本を出版しよう(笑)。

昨日は日本初のラジコンのことを書いたので、今日はそのラジコンを利用した製品について、

数年前に紹介した製品で「プリンス リレーフラッシュ」というものがあった、

 

 

これは、50年近く前にプリンス電気が発売した「リレーフラッシュ」という製品、

 

 

箱を開けると、ヒノデのボタンうちシングル送信機、受信装置みたいな装置、等々、

つまり、ヒノデの送信機でフラッシュを発光させるもの、

 

 

当時の価格が24,800円、 結構なお値段、

 

 

 

 

受信機の蓋を開けてみると、単3電池1本、9ボルトの電池1本使用、

もちろん、その仕組などは僕の頭ではまったくわからない、

 

 

もちろん、送信機は基本的にヒノデのラジコンボタン打ちシングルのものと共通、

 

 

型式がこれと一緒、

ということは、ひょっとしたらこの送信機でもラジコン戦車が操縦できるかも、

 

 

蓋を開けてみると、パット見ではほとんど同じ、

 

ヒノデの受信機を備えたラジコン戦車はこれで操縦できるのだろうか、

 

ということで、

この送信機でラジコン戦車が操縦できるかどうか試してみたのである、

普通に考えたら操縦できるはずだが、実際に試してみたくなる、

 

そこで用意したのが、同じくヒノデのプラコンセット、

 

 

 

このプラコンセットの青色の送信機の代わりにリレーフラッシュの送信機が使用できるのか、

 

 

おお~、まったく問題なくモーターを自由自在に作動させることができた。


ヒノデの送信機はブリキ戦車のラジコンにも代用できる。

トムコン タンク 野村トーイ

 

 

 

去年の12月に日本初のラジコン製品について紹介した、

三鴻通信工業の「スーパー・テレトロール」は昭和30年6月、

 
ところが最近その三鴻通信のラジコン製品について紹介した本があることに気づいた、
 

 

そう、偶然にもまったく同じ時期の去年の12月号の「ラジコン技術」、

 

 

ここではこの三鴻通信工業のスーパーテレトロールの発売は昭和29年とされている、

 

 

アレッ、僕の昭和30年説は間違っていたのか、

ただ、筆者の方は「思っています」と、

 

そして、その昭和29年発売という根拠というのが、

 

 

1954年にその三鴻通信工業のスーパーテレトロールでラジコン機を飛ばした様子が紹介されているからだと、

日本のラジコンの歴史と 世界の現状 - J-Stage

 
 
筆者の方が入手されたのはこの2機、
 
 
アメリカのオークションで入手されたのだろう、
いくらで落札されたのかはわからないが、僕の場合はヤフオクでたったの3千円、
よほどのマニアの方でないと知らないメーカーの製品なので誰も気がつかなかったのだろう、
 
 
ただ僕の入手したものと比べると、僕のものは日付が入っている、1955-6 と、
そして、シリアル番号が表示してある、
 
 
筆者の方のものは入っていない、 おそらくこれは輸出向けの製品だったのではないかと、
 
 
内部も少し違っている、
 
 
 
受信機はほぼ同じ、
 
 
また筆者の方は、昭和30年2月号の「模型飛行」の広告には載っていると、
僕はその「模型飛行」は持っていないので確認はできないが、その広告というのが発売の広告
なのか、それとも予告広告なのかわからない、
 
いずれにせよ、日本初のラジコン製品であったことは間違いないだろう。
 

今更言うまでもなく、今となっては模型の歴史は表舞台のことしか語られない、

ただ、その表舞台のことなど面白くない、表舞台に現れなかった裏の舞台こそが面白い、興味

がある、

その裏舞台にはどんなことがあったのか、そのようなことは今までもほとんど触れられてはい

ない、まあ、仮にわかっているとしても業界に忖度して表舞台に現れることはない、

 

「模型探偵団」はこれも今更言うまでもなく、誰にも忖度することなく事実を語ってきた、

だから、業界あたりからは嫌われて要注意先としてマークされている、

プロの方々は生活がかかっているので業界と忖度するしかない、それは仕方ないこと、

僕だって生活がかかっていたら忖度するかもしれない、

幸いにも「模型探偵団」は生活がかかっていないので好き勝手に事実を書くことができるので

ある(笑)、

 

今回は千葉支部より、

戦艦大和図面盗用事件について、

 

 

                            <続く>戦艦大和図面盗用事件

 
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ガラクタの箱の中をガサガサと探し物をしていたら、このギア付きのモーターが出てきた、
なにかの模型の部品の残骸だろう、
と思っていたが、実はそうではなかった、
 
そう、れっきとした模型の部品の製品であった、
まあ、こんなことを調べるアホはいない、調べるだけでも大変、
暇な僕だからできること、
 
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                    (昭和32年1月10日 日本教材新聞)
 
この広告に載っている、「ギア付きモーター」、
 
イメージ 3
 
この広告とピッタリのギアボックス付きのモーターだろう、
それにしても、一体なんの模型に使っていたのだろうか、木製戦車模型にはピッタリかも、
そういえば、この頃はこのようなギアボックス付きのものを発売していた、
その1つがNBK(日本文化教材)の「オートパイロット」であった。