「模型探偵団」明石小五郎の昭和のプラモデル

「模型探偵団」明石小五郎の昭和のプラモデル

昭和のプラモデルが好きなタダのジジイです、上から目線で書いてます、日本初のプラモデルメーカー、㈱日本プラスチックなど、真実のプラモデルの歴史を書いてます。

 

 

今年も会報が送られてきた、

そう、退職者に毎年送られてくる冊子。

 

まず最初に目がいくのが訃報欄、

 

 

20頁あまりの冊子にこの訃報欄が9頁にわたって載っている。

 

1年間で亡くなった退職者が343名、

これが多いのか少ないのか僕としてはよくわからない。

 

この亡くなった方々の中には現役の頃に世話になった方、昇給させていただいた上司の方々、

つまり、僕が恩を受けたにもかかわらずその恩を返すことができなかった方々の名が大勢いらっしゃる。

そう、長い人生の中で人から恩を受けても、その恩を返せる機会というものは非常に少ない。

そのことが非常に残念なことで悔しい思いとなっている。

 

この会報が送られてくるたびにそろそろ順番がきて僕の名も載ってしまうのか、と悲しくなってしまう(笑)。

ただ、今のところまだまだ大丈夫みたい、

この退職後の14年間健康診断さえも受けないので悪いところはない。

そうそう、去年の8月には帯状疱疹にかかって血液検査だけやってもらった、

その結果は特に異常はなし。

 

脚力、握力は自転車で鍛えている、もちろん今でも神戸までの往復40数キロが可能。

もちろん頭も大丈夫、この21年間毎日ブログを書き続けている。

 

ただ、元テロ朝の松井氏の悪口を書かなくなったら、いや書けなくなったら僕はもう終わりになってしまう(爆笑)。

タミヤ模型 木製自動車模型 「ビュイックスーパー」

タミヤ模型の「ビュイックスーパー」はいつ発売されたのか、日本模型新聞で調べてみると、一つだけ広告が載っていた。

 

         「昭和32年12月5日 日本模型新聞)

 

この広告から発売されたのは昭和32年の12月頃、

この広告にはちゃんと現物を組み上げた実物の写真を載せている。

 

実は実際に組み上げたものを広告に載せるものは少なかった。

 

       「昭和32年1月10日 日本教材新聞)

 

この今井商店、渥美産業の広告など実際の組み上げたキットの写真ではない。

おそらく、他の玩具メーカーのブリキ玩具の製品の写真だろう。

 

         「昭和32年1月10日 日本教材新聞)

静岡理工社 セミプラ木製模型 「ナッシュ」を、

この静岡理工社の広告もこのように仕上げることは出来ない、

これも玩具メーカーの製品か何かの写真と思われる。

 

つまりこの頃、玩具業界は模型業界よりも進んでいたということ。

プラスチックの採用にしても玩具業界のほうが早かった。

昭和25年に玩具業界はいち早くプラスチック製の玩具を発売し徐々に金属製から切り替えていった。

模型業界は模型は木製でないといけない、という考えに拘りすぎてプラスチックへの切り替えが遅れてしまった。

特に静岡勢はその考えが強かった。

そう、射出成型、金型製造の技術などはすでに昭和20年代後期までには確立されており、いつでも木製からプラスチックへの転換は可能だったのである。

 

タミヤ模型 木製自動車模型 「ビュイックスーパー」

の続き、
 
 
ピンク色で塗ろうとしたものの、これがまた色のノリが悪い、
結局は色のノリの良いシルバーで塗ってみた。
 
僕は色を塗るのが下手くそ、
まあ、モデラーではないので仕方ない。
 
 
子供が作ったみたいに仕上がった。
そう、これでいい、当時の子供が作ったみたいに仕上げたので。
 
 
電池は屋根を外していれる、
 
説明図通りに作ったら絶対に走らない。
そもそもが、電池1本ではパワー不足で走らない、だから単4電池2本にしている。
そして、スプリングジョイントでの駆動方式、
しかもそのスプリングジョイントが直角に曲がっていてはモーターは回転しない。
それで、スプリングジョイントが真っ直ぐになるようにした。
 
それでは動画をどうぞ。

タミヤ模型 木製自動車模型 「ビュイックスーパー」

の続き、
 
 
スプリングジョイントは真っ直ぐに変更した、
このほうが言うまでもなくスムーズに回転する。
説明図のようにしたらうまく回転しない。
なぜわざわざスプリングジョイントを曲がりくねらせたのか、その理由がよくわからない。
 
電池1本ではパワー不足、2本にしないと走らない。
それで単4電池2本使用とした。
 
 
底に穴を開けてギアボックスのシャフトと一直線に繋ぐ。
そもそもが、このような方式をとらないで普通にモーターのシャフトのピニオンギアとギアボックスのギアを直接噛み合わせれば何の問題も起こらない。
またその方法がパワーロスがない。
 
 
白の塗料は色のノリが悪い、何度塗っても綺麗な白にならない。
クリーム色にしてみよう。
                        <続く>

イングランド 「トライアング タイガータンク」

の続き、
 
 
欠落していた砲身を作ってみた。
 
 
色を塗るのが下手くそなので、色合わせが難しい。
 
 
あとはオリジナルのキャタピラがどのような物だったのかが不明、
もちろん、このキャタピラは僕が勝手に想像して作ったものなので、オリジナルはこれとは違った形であるのは間違いないだろう。
 
これは生前整理としてあるお方から託された戦車の一部なので、なんとかオリジナルの形にしてみたいと思っているものの、イギリス製のものなのでオリジナルの画像が見つからない。

さて、久しぶりに今回は木製の自動車模型を作ってみようと取り出したのが、タミヤ模型の「ビュイックスーパー」、

 

 

「マグネットモーターで快走する」と書いてあるものの、そのような能書きはあてにはならない。

 

 

説明図を見ただけで笑ってしまう、

そう、その動力伝達の仕組み、

 

 

直接にモーターのシャフトのピニオンギアとギアボックスのギアとを噛み合わせればいいものを、なんとこれはスプリングジョイントを介している。

 

 

 

スプリングジョイントの曲がり具合によっては全然車輪が回転しない。

 

 

モーターをちょっと斜めに取り付け、板を削って、この状態でなんとかギアボックスが回転した。ただ、電池1本ではパワー不足で回らない、2本で回転する。

 

とりあえずは車体を組んでみよう。

 

 

木工用ボンドにて車体を貼り合わせる、

当時は釘を打ち込んで貼り合わせていたが、これがかなり難しい、釘が斜めになって出てきたり、板が割れたりと、かなり難しい。

 

 

 

ちゃんと部品の寸法などが合っていないので隙間が空いてしまう。

 

 

ボンネットもこんなに空いてしまう。

 

 

そこでその隙間を埋めなければならない。

 

 

これで綺麗に埋まった。

何を使って埋めたかというと、使ったのは粘土。

 

 

「京ねんど」というもの、これは本当にいい粘土。

隙間を埋めるにはパテよりもいい。

 

まだまだ仕上げには時間がかかりそう。      

           <続く>タミヤ模型 木製自動車模型 「ビュイックスーパー」

千葉支部より、

 

おしまいにもう一つご紹介したいと思います。

静岡教材社 SKのA級3型 戦艦「ローマ」です。縮尺300分の1 74㎝

これも長谷川の「ジャンバール」や田宮の「リッシリュー」と並んで珍艦と

いえるでしょう。

 

 

その貴重品が二つ手に入りました。しかし一つは船体はあるものの部品が不足

というよりは別の船の部品と混ざっていてどれが「ローマ」の物か分からなく

なってしまっています。非常に厄介です。一つ一つずめんにあわせて行く他あ

りません。しかも大型模型なので部品数もかなり多い。面倒な作業になりそう

です。

しかし、ビットリオベネト級戦艦は私の好きな船の一つで「ローマ」と作るの

は楽しみです。早速作りはじめました。

前所有者が少し手をつけていました。特に船体に手が入っていて、艦首の微妙

な個所など一寸問題になりそうです。しかしその他の部品などは手つかずで大

丈夫そうでした。

 

 

作りはじめてみるとかなり難しいことが分かりました。まず、図面が読み

切れていませんでした。どういうことかというと、図面は平面図と側面図、

それに簡単な立体図がありますが部品一つ一つの立体形はそこから自分で

判断して組み立てなければなりません。

 

 

これが意外と難しくてしばしば部品を取り違えて接着してしまい後ではが

して貼り直すことが何度もありました。部品を手作りする場合は合わない

とまた作り直しになります。これに時間がかかりました。

いつものように図面通りに、を心がけて作業を進めました。いくつか金属

部品を使用しましたが、当時はこれが当たり前でした。船体の仕上げや上

部構造物の組み立ても時間はかかりましたが、むずかしいところは特にな

かった気がします。

完成してみると大きいだけあってなかなかの迫力です。自分で作ったとい

う満足感がまた次を作ろうという気持ちになるのかもしれません。

ご覧いただきましてありがとうございました。

 

昨日は、大阪での用事を済ませ、その帰り道で久しぶりにJR六甲道で降りてみた。

六甲道駅で降りるのは10年ぶりだろうか。

 

かつて六甲道界隈は僕のテリトリーであった。

駅前のバス停からバスに乗り神戸大学近くの団地、駅前のビルのウェルブ六甲道2番街、南へ下って新在家、線路沿いに西の方は灘アパート、と4つの団地、住宅などを回っていた。

 

歩き回ってみると、その灘アパートがすでになくなっている、

昭和30年代に建てられ、6帖ほどの部屋だけで共同便所、共同風呂であり、まさに昭和の独身寮みたいな鉄筋コンクリートのアパートであった。

当時は阪神の独身選手も多く住んでいたようで、当時の古い入居者カードを見ると大物選手の名前も数多くあった。

 

その灘アパート近くに小さな模型店があってすでに閉店していたことを思い出した。

もう絶対にないだろうと思ったが、念のために確かめてみると、

 

 

おお~、まだ店舗はそのまま残っている。

なんと、10年ほど前の閉店状態とまったく同じ状態で残っている。

 

 

10年ほど前に見た時とまったく同じ状態、そのまんま残っている。

もちろん、僕が欲しいようなプラモは残っていない、現行のプラモばかりでスケールもの。

なぜ残っていないと言えるのか、

それはまだ営業中だった時に確認している。

そう、店主に古いプラモは残っているかどうか確かめている。

店主は「古いプラモは取り扱っていないのでない、そういえば一つだけあったなあ、マルサンの神風号が一つだけ」とおっしゃっていた。

 

そういうことなので、どなたか整理してあげて下さい。

 

千葉支部より、

 

次にご紹介いたしますのは青島文化教材社 ABKの「フォレストPシャーマン」

2型です。

 

 

これもめったに出ない貴重品ですが、二つも入手出来ましたので一つ作ること

にしました。

2型、というのが気になりますが、そう、1型もあるのです。これは後程。

いつもの通り資料としての製作なので図面や指示に忠実に作ります。

特に難しいところもないので割と短時間で完成しました。

この頃のキットの木材の材質は良好で節もなく工作は楽でした。設計もなかなか

見事で、出来上がりも立派に見えます。

 

 

では、「フォレストPシャーマン」1型と2型についてですが、

外観からはそれほど大きな違いは無いように思えます。

ただし、1型の方は古いものをレストアしたものなので多少

出来が悪く見えるかもしれませんが。

 

 

 

 

 

 

 

大きく違うのは大きさです。約5㎝違いがあります。

シャーマン1型は31㎝、シャーマン2型は36㎝になります。

価格は1型100円、2型150円でした。

図面や部品を流用して経費を節約するやり方はよくあることですが、

この場合は図面は別々、部品も流用されているようには見えません。

しかも、1型を発売したら好評だったので2型も出したというなら解

るのですが、1型と2型を同時に発売しているようなのです。

どうも1型と2型を発売した理由が分かりません。

同じ手間をかけるなら別の船を出しても良かったのではないかと思え

るのですが。

青島さんに教えていただきたいです。

 

 

 

千葉支部より、

 

次は 長谷川の「オレゴンシティ」をご覧ください。

当時長谷川は最初から大型のモータライズ艦と小型のソリッドモデルを並行して

発売していました。さすがに艦船愛好家の長谷川氏、設計も素晴らしく「エスキ

モー」や「ヴァンガード」などを発売していました。

ソリッドでも「ミッドウェー」、「リバプール」などを発売、米国巡洋艦シリーズ

では

米国重巡洋艦「サレム」 1/500 43.6㎝ 160円

誘導弾発射巡洋艦「ボストン」 1/500 41㎝ 160円

重巡洋艦「トレド」 1/500 41㎝ 160円

重巡洋艦「オレゴンシティ」 1/500 41㎝ 160円

が発売されていましたがあまり話題にはならず今ではほとんど見かけることはあ

りませんでした。

しかし、その貴重な「オレゴンシティ」が二つも手に入ったので、これは作らな

ければ!ということで作成しました。

 

 

 

実際の「オレゴンシティ」について触れてみたいと思います。

「オレゴンシティ」は1946年2月16日に就役しました。第2次大戦には

間に合いませんでしたがほぼ完成状態なので中止にはならなかったのでしょう。

1946年7月には第4艦隊旗艦となりましたが、しかし、1947年12月

15日には退役と短命な艦でした。ちなみに「オレゴンシティ級」の同型艦は

「オールバニ」はミサイル巡洋艦に

「ロチェスター」改装されず

「ノーザンプトン」1961年指揮官CC-1に改装、

 

 

画像最初が「オールバニ」次が「ロチェスター」次が「ノザンプトン」最後が

「オレゴンシティ」です。

(ウィキペディアより)

 

「ノーザンプトン」は長谷川から指揮艦の形状で模型化されて発売されました。

長谷川の社長さんは米巡洋艦がお好きだったのでしょうか。