「模型探偵団」明石小五郎の昭和のプラモデル

「模型探偵団」明石小五郎の昭和のプラモデル

昭和のプラモデルが好きなタダのジジイです、上から目線で書いてます、日本初のプラモデルメーカー、㈱日本プラスチックなど、真実のプラモデルの歴史を書いてます。

イメチェンのためガンダムを、

の続き、
 
 
さてさて、まったく興味のないガンダムプラモをいやいやながら作ることにした、
 
まず気にいらないのが、この絵だか写真だかよくわからない箱、
昭和の絵師が描いた箱絵を見慣れた僕としては、この箱を見ただけで拒否反応を起こしてしまう、
 
 
うわッ、何という部品の多さだろう、そして小さい、これは後期高齢者の目に優しくない、
なんと、今のプラモは接着剤を使用しないらしい、パッチン、パッチンとはめ込んでいくらしい、このガンダムプラモで初めて知った、
世の中も随分と変わったものだ、
 
 
部品を探し出すのが大変、これらを探して組み上げるのかと思うと、ゾッとする、
 
組み立てる前に、ガンプラというのは最初はいつ発売されたのだろうか、
そんなこと今更言うまでもなく、皆さんご存知だろう、
一応念の為に、
 
         (昭和55年7月2日 日本模型新聞)
 
この7月に発売された「1/144 機動戦士ガンダム」が最初、
もう44年になる、
 
その頃はすでにバンダイはいろいろなキャラクター物を発売しており、おそらく当時はまだ今のように爆発的な人気になるとは予想していなかったのだろう、
特にこのガンダムプラモについては広告なども出してはいない、
 
          (昭和55年7月2日 日本模型新聞)
 
これらの中でも、「宇宙戦艦ヤマト」の人気が特に高かったようである、
 
          (昭和55年7月2日 日本模型新聞)
 
         (昭和55年10月2日 日本模型新聞)
 
          (昭和55年11月1日 日本模型新聞)
 
おそらく、発売から2ヶ月ほど経過してから徐々に人気が出始めたものと思われる。
 
アッ、ガンプラを早く作り始めないと、
 
                    <続く>
 
 
 
 

タミヤ模型 チーフテン 自動変速、

の続き、
 
 
僕の結論として、オリジナルのままでは2段自動変速にするのは難しい、無理と言っていい、
ところが、ちょっと付け加えると2段変速にすることができる、
 
 
そう、リード線をバラしてそれを3ボルト、4.5ボルトの金具に巻きつけるだけ、
このようなことは学がなく頭の悪いアホな人間にしか考えつかないかも(笑)、
一見雑にリード線を巻き付けているが、この画像のように雑に巻き付けて良い、
要は、振り子のアームの金具が3ボルト、4.5ボルトの巻き付けたリード線にちゃんと接触すればいい、
もちろん、振り子はプラプラの状態で、3ボルト、4.5ボルトの金具には接触しないように、
 
これで、巻き付けたリード線の位置やらをうまく調整すると2段無断変速にできる、
そう、普通なら3ボルトから4.5ボルトに切り替わる際に一瞬モーターが止まる、息つき現象が起こる、
ところが、これだと息つき現象が発生しないようにできる、
 
 
そうそうそれから、3.5ボルトと4.5ボルトの金具の差し込み口に薄いセル板などを差し込んで完全に電流を遮断したほうがいい、
そうしないとその2つの金具がショートを起こしてしまう、
動かしていると、電池が凄く熱くなってくるのはそれが原因であった、
 

 

 

 

スイッチが小さいので指で動かすのは困難、ドライバーの先っちょでスイッチをオン、

 

 

それでは、息つき現象のない2段の無断変速の走りをどうぞ。

 

 

イメチェンのためにガンダムを作れという、

 

そう、古い体質の時代遅れの人間なのでガンダムを作れという、

いつまでも古い模型のことばかり言っていても、それは時代遅れの人間の証だと、

そう言われてみれば確かにそうかもしれない、

昨日も言ったように、それは自己満足の世界でしかない、

若い人達にとっては今更古い時代のことなどどうでもいいこと、

今の時代、そして明日からの未来のことしか興味はないだろう、

 

ただ、僕の場合は先が知れている、あとは死ぬだけ、未来がない、

どうしても過去のことが懐かしい、

だから、古い過去のことに拘り自己満足の世界に浸っているだけのことだろう、

 

 

その古い体質というイメージから脱却せよ、と渡されたのがこのガンダムのプラモデル、

まあ今更染み付いた体質から脱却せよ、と言われてもねえ~、

 

ハッキリ言って、ガンダムのプラモなんかまったく興味がない、

これを作ったからといって、僕のイメージが変わることはないだろう、

そう、僕のイメージが好転することはないだろう(笑)、

しかし、せっかく渡されたので、仕方なく作ってみることにした、

 

 

ガンダムのプラモの箱は今回が初めて、今までガンダムの箱さえ開けたことはない、

接着剤は必要ないらしい、

 

とにかく、数日かけて組み立ててみよう。         <続く>

どうでもいいことであるが、一応正確なことを書いておかなければならないので補足説明しておきたい、

今井科学の歴史について、

上記の記事にて紹介しているように、今井英一さんは斎藤さんと別れた後、1年くらい営業を開始していなかったと判断していた。
 
その根拠としては、まず下記の斎藤さんの広告で、
 

イメージ 1

      (昭和28年8月10日 日本模型新聞)

 

そう、斎藤さんの開業広告はあるが、今井英一さんの広告がなかったこと、

 

それから、日本模型新聞にもその後の今井英一さんの広告、記事が一切なかったこと、

そして、斎藤さんと別れた後の今井英一さんの最初の広告が次の広告、

 

        (昭和29年11月10日 日本教材新聞)

 

これが、今井商店としての最初の広告、それまでは広告、記事は一切ない、

もちろん、この広告以降は今井商店の記事、広告は載っている、

それらのことから、1年ほど休業状態だったと判断していた、

 

そして今回、次の資料で、

 

 

昭和30年6月発行の「仕入案内」で、

昭和30年6月の発行なので、その前年の昭和29年のデーターだろう、

 

 

この中に、今井商店がない、

今井さんと別れたフジミ模型社は載っている、

 

これで、今井商店は斎藤さんと別れた後の1年間ほどは営業を開始していなかったと判断して間違いないだろう。

 

◯ こんなことやってても、誰も喜んだり嬉しくなったり、人の役にたったりすることでもな

  い、歴史の研究というのはそんなもの、

  それがどうした、と言われればそれまで、

  まあ、ハッキリ言って僕の自己満足だけの世界だろう、

  おまけに、人に嫌われたりもする、

  何だか悲しくなってしまう(笑)。