今井英一さんの休業期間について、 | 「模型探偵団」明石小五郎の昭和のプラモデル

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昭和のプラモデルが好きなタダのジジイです、上から目線で書いてます、日本初のプラモデルメーカー、㈱日本プラスチックなど、真実のプラモデルの歴史を書いてます。

どうでもいいことであるが、一応正確なことを書いておかなければならないので補足説明しておきたい、

今井科学の歴史について、

上記の記事にて紹介しているように、今井英一さんは斎藤さんと別れた後、1年くらい営業を開始していなかったと判断していた。
 
その根拠としては、まず下記の斎藤さんの広告で、
 

イメージ 1

      (昭和28年8月10日 日本模型新聞)

 

そう、斎藤さんの開業広告はあるが、今井英一さんの広告がなかったこと、

 

それから、日本模型新聞にもその後の今井英一さんの広告、記事が一切なかったこと、

そして、斎藤さんと別れた後の今井英一さんの最初の広告が次の広告、

 

        (昭和29年11月10日 日本教材新聞)

 

これが、今井商店としての最初の広告、それまでは広告、記事は一切ない、

もちろん、この広告以降は今井商店の記事、広告は載っている、

それらのことから、1年ほど休業状態だったと判断していた、

 

そして今回、次の資料で、

 

 

昭和30年6月発行の「仕入案内」で、

昭和30年6月の発行なので、その前年の昭和29年のデーターだろう、

 

 

この中に、今井商店がない、

今井さんと別れたフジミ模型社は載っている、

 

これで、今井商店は斎藤さんと別れた後の1年間ほどは営業を開始していなかったと判断して間違いないだろう。

 

◯ こんなことやってても、誰も喜んだり嬉しくなったり、人の役にたったりすることでもな

  い、歴史の研究というのはそんなもの、

  それがどうした、と言われればそれまで、

  まあ、ハッキリ言って僕の自己満足だけの世界だろう、

  おまけに、人に嫌われたりもする、

  何だか悲しくなってしまう(笑)。