「発達障害特性を持つ人は、多くの人には理解できないレベルの葛藤があるのだと

捉えています。」


 

という話をしましたが、


 

診断名がつかなくても、程度の差はあれど、

凹凸障害の傾向や特性の一部分は、実は多くの人が持っていると思っています。


 

その特性が顕著であれば、社会生活で求められることに対応できなくて

苦しいだろうし、

 

ある人は、これが当たり前だと思っているだろうし、

 

ある人は、本人はハッピーで、周りだけが困惑している人もいるでしょう。



 

そんな私も、

育児が始まってから9年・・・

 

あれ?


 

・一つのことをやろうとすると、他のことが頭から抜け落ちてしまって、

 鍋を焦がしたり、洗濯機の中に洗った洗濯を放置していたりと、

 同時並行処理が苦手

 

・「あれしなきゃ」「これしなきゃ」と頭の中がとっ散らかっているだけで、

 何も完了していない

 

・メモしたメモが見つからない

 

・頼まれたことがスッ飛んでしまうから、先にやっておこうとするけど、

 目の前の家事が途切れ途切れでなかなか進まない。

 

・出かける前に忘れていることはないか、やり残しはないかと、

 家の中をうろうろして、気になったことをやってしまう。

 結果、いつも時間ギリギリ・・・行動に無駄が多い


 

あれれれれ〜?

 

なんか、これって、下手くそなんじゃない?

と気づき始めました。

 

今まで、この頭の中の忙しさが当たり前だと思っていました。

 

ちょっと、適当な性格が過ぎるのかと思っていました。


 

「私って、苦手だったんだな〜」


 

 

「みんなが当たり前にこなすもの」と思っていたことが、

「苦手」なのだと認識できました。

 

できないわけじゃないけど、対策した方が

圧倒的に効率的です。

 

 

苦手だと認識したことで、

 

対策が必要だとわかったし、

 

この毎日の苦行を当たり前にこなさなくていいんだと思えて、

家事への気持ちの負担が軽くなりました。

 


 

こんなふうに、

発達障害の特性っぽいものが日常に溢れていることだと思うと、

”障害”という名前が、なんか行き過ぎた感じがしませんか?

 

だから、診断名をつけて、くくらなくてもいいと思います。

特性は知っておくと、自分を理解できて、便利ですね。

 

(ただ、ついた方が気持ちが楽になるというくらい、

辛い状況の方もいらっしゃると思うので、

そこは、状況によると思います。)


 

問題なのは、

 

その頭中の忙しさと

できない自分への自分責め。