という訳で、『月夜の人魚』第9話を投稿します。
今回から、ストーリーも大きく動き出します。
では、スタート!
魔法少女まどか☆マギカ~月夜の人魚~
第9話 これが、本当のあたしなんだ
☆
「うーん……金縁のグリーフシードは、こっちの想定以上に、身体の負担、かかるみたいですねえ。今も痛みます?」
パソコンのモニターに表示されたさやかの魔力データを見ながら、咲夜が尋ねる。
画面には、さやかのソウルジェムから検出された魔力反応や、金縁のグリーフシードを使用した直後の身体データが、いくつものグラフとなって並んでいた。
その中には、素人目には意味の分からない数値も多い。
だが、咲夜はそれらを一つ一つ追いながら、時折キーボードを叩いている。
「今は……そんなに」
「戦闘中は?」
「全然。むしろ、調子いいくらい」
あの後さやかは、胸の痛みのことを報告するために研究室へ戻っていた。
咲夜はすぐにデータを取り始め、こうして問診が始まったのだ。
実際、魔女と戦っている最中には痛みなど感じなかった。
むしろ、金縁のグリーフシードを使った瞬間、それまで感じていた疲労や身体の重さが嘘のように消えた。
身体が軽い。
剣が速い。
今まで届かなかった距離にも、一瞬で手が届く。
あの感覚を思い出すと、さやかの胸の奥に、再び熱いものが込み上げてくる。
「む~ん……。そんじゃ、いったん回収して、調整してみますか。その間、悪いんですけど、今まで通り、普通のグリーフシード使ってもらって……」
その言葉に、さやかの表情が曇る。
胸の奥が、きゅっと締めつけられるような感覚がした。
――普通のグリーフシードに戻ったら、また弱い自分に戻ってしまう。
そんな不安が、さやかの心に影を落とす。
「まだ使う。いや、負担少ないのも欲しいけど……」
「わかりました、やってみましょう」
咲夜が頷いた。
その表情には、研究者としての好奇心が浮かんでいた。
ドアが閉まり、さやかの足音が遠ざかっていく。
無機質な電子音だけが残された室内で、咲夜はキーボードを叩き、古い暗号化ファイルを開く。
画面に映し出されたのは、自身の生い立ちと研究の軌跡が記されたデータベースだった。
咲夜という人間の半生は、常に「世間の枠組み」からはみ出し続けていた。
妾の子として生まれ、十歳くらいの時、彼女は孤児院に預けられた。
事実上、捨てられたようなものである。
だが、そこで彼女は色々な本を読めた。
科学の本も、医学の本も、物理学の本も。
分からないことがあったら調べる。
調べても分からなかったら、また別の本を読む。
そうしているうちに、もっと知りたくなった。
そして――
咲夜は、誰に教えられるでもなく学問の世界へ進んでいった。
飛び級を繰り返し、十代のうちに大学へ進学。
そのまま研究を続け、ついには博士号を取得した。
さらに、彼女の研究成果から生まれたいくつもの技術が特許として認められる。
その特許収入によって、咲夜は研究機関に所属する必要すらなくなった。
自分の研究室を構え、自分の望む研究を、自分の望む方法で続けられるようになった。
だが、その頃からだった。
咲夜の研究対象は、少しずつ変わっていった。
医学。
生物学。
物理学。
そして、人間の理解を超えた現象。
最初は、ただの違和感だった。
説明できない事件。
不可解な失踪。
普通の科学では説明のつかない現象……。
それらを一つ一つ調べていくうちに、咲夜はある共通点に気づき始めた。
そして一つの結論に至った。
普通の人間には認知されていない、人間を遥かに超越した存在がいるのではないか、と。
もちろん、最初から確信していたわけではない。
そんなもの、普通は信じないからだ。
だからこそ、調べた。
仮説を立て、否定し、また調べる。
そうしていくうちに、咲夜の中で一つの確信が形になっていった。
――この世界には、人間の認識できない場所で、人を襲う何かが存在している。
咲夜は、その研究成果を一冊の本にまとめた。
しかし、本名を使うことはなかった。
ペンネームは――月形ルイ。
裏マーケットでごく少数だけ流通させたその「闇本」は、学術界からはオカルトと一蹴される代物だった。
オカルト。
疑似科学。
妄想。
そんな評価ばかりだった。
だが――ただ一人、その本に異常な反応を示した少女がいた。
里見灯花。
マギウスを立ち上げて間もないころの彼女と咲夜が出会ったのは、本当にただの偶然だった。
見滝原の大型書店で、偶然にも『月形ルイ』の本を探していた小さな少女。
「人間を遥かに凌ぐ生命体」の記述に興味を示した灯花に、咲夜が何気なく本を手渡したことから、二人の運命は交錯した。
当初、灯花は咲夜を消そうとしたが、普通の人間ではない灯花に怯えるどころか飄々と接する彼女の態度を気に入り、そこから二人の交流が始まった。
互いに知識を交換し、研究について語り合い――
やがて、その中で咲夜はキュゥべえと出会った。
咲夜は、そうして魔法少女になった。
それから彼女は、普通の魔法少女とは違う道を歩み始める。
魔法少女とは何なのか。
魔女とは何なのか。
この世界の『奇跡』が、どういう仕組みで動いているのか。
魔法を科学で解析し、魔女を研究し、ソウルジェムを調べ……。
やがて――
超魔科学という、彼女だけの学問を生み出していった。
☆
夕暮れの街を、さやかは一人で歩いていた。
さやかの視界は、異様なまでに冴え渡っていた。
路地裏の影、はるか遠くの街灯の下を舞う羽虫の動きまで、恐ろしい精度で認識できる。
今、彼女は魔女を探している。
それだけだった。
いや――本当に、それだけだろうか。
交差点を曲がり、細い路地へ入り、人気のない公園を通り抜ける。
魔女の気配はない。
使い魔の気配すらない。
それでも、さやかは足を止めなかった。
(どこにいる……?)
胸の奥に、微かな疼きがある。
昨日から何度か感じている痛み。
けれど、それ以上に強く意識しているものがあった。
身体の奥に残っている、あの感覚。
金縁のグリーフシードを使った時の、圧倒的な力。
疲労が消える。
身体が軽くなる。
剣を振れば、以前の自分では考えられないほどの速度が出る。
あの力を知ってしまった今、もう以前の自分には戻れない。
(もっと……)
さやかは無意識に、鞄の中へ手を伸ばした。
そこには、あの金縁のグリーフシードが入っている。
(もっと強くなれる)
その時だった。
「……おい」
路地の影から、赤い髪が揺れた。
杏子だ。
その隣には、包帯を巻いた瀬利が立っている。
さやかの目が細くなる。
「……へえ」
その口元に、笑みが浮かんだ。
さやかはクスクスと低く笑った。
その笑い声には、かつての快活さなど微塵も残っていない。
ただ相手を見下すような、冷たい歪みが混ざっていた。
「ちょうどいいや」
杏子が眉をひそめる。
「何?」
「今度こそ――」
さやかはソウルジェムを掲げた。
「二人まとめて、叩きのめしてやる」
杏子の表情から、わずかに余裕が消えた。
「なんて濁った目ぇしてやがる……。おい、瀬利。こりゃもう、決着云々言ってる場合じゃねえぞ」
瀬利も、さやかを見つめる。
その瞳に宿っているものが、前回とはまるで違う。
「……らしいな。ちっ、苛立たしいぜ!」
瀬利がソウルジェムを出現させる。
周囲から稲妻が降り注ぎ、瀬利の身体を覆いつくしたかと思うと、一瞬にして彼女の姿は魔法少女へと変わっていた。
彼女が常に持っている竹刀も、稲妻の中で両刃の大剣へと姿を変える。
瀬利と同時に、杏子もまた変身を終え、長槍を構えていた。
「来いよっ!」
さやかが地面を蹴った。
次の瞬間、三人の姿が交錯した。
鋭い金属音が路地裏に響く。
瀬利の剣を、さやかが受け流す。
その隙を狙った杏子の槍を、身体を捻ってかわす。
「なっ……!」
杏子が目を見開く。
速い。
前に戦った時とは、明らかに違う。
「遅い!」
さやかの剣が閃いた。
瀬利が咄嗟に受け止める。
ガギィィィィィィィィィィィィィィィン!
――重い。
「ぐっ……!」
腕が痺れる。
そのまま押し込まれ、瀬利の身体が後退した。
「瀬利!」
杏子が横から槍を突き出す。
しかし、さやかはそれすら紙一重でかわした。
「そんな攻撃……!」
さやかが笑う。
「今のあたしには、当たらないよ!」
剣が振り下ろされる。
杏子が槍の柄で受ける。
ガキィィィンッ!
「くっ……!」
その衝撃に、杏子の身体が吹き飛ばされた。
「杏子!」
「ちっ……!」
杏子は空中で体勢を立て直し、着地する。
瀬利がその横へ並んだ。
「……おい」
「ああ」
二人が顔を見合わせる。
「強すぎねえか、こいつ」
その言葉が聞こえたのか、さやかが笑った。
「これが、本当のあたしなんだ」
ゆっくりと剣を持ち上げる。
その瞳が、異様な光を帯びる。
再び踏み込む。
ギン! ガギィィィィン! ガキィィン!
剣と槍と剣がぶつかり合う。
何度も。
何度も。
そのたびに、さやかの動きは速くなっていった。
「ははっ!」
さやかが笑う。
「凄い……!」
剣を振るう。
「もっと!」
踏み込む。
「もっと速く!」
跳ぶ。
「もっと強く!」
カシィィィィィィィィィィィィィィィlン!
杏子の槍が弾き飛ばされ、近くの地面に突き刺さる。
「なっ――!」
「杏子!」
瀬利が割って入る。
ガシィィィィィン!
さやかの剣を受け止める。
だが、
「ぐあっ!」
そのまま吹き飛ばされた。
地面を何度も転がり、瀬利が呻く。
「瀬利!」
「くそっ!」
立ち上がろうとする瀬利。
その前に、さやかが立っていた。
「……弱いなあ」
さやかがぽつりと呟く。
「こんなもんだったっけ?」
さやかのソウルジェムが、ほんのわずかに濁っている。
だが、本人は気づいていない。
「もっと……」
さやかの呼吸が荒くなる。
「もっと、強く……!」
ソウルジェムの濁りが、さらに深くなる。
杏子がそれに気づいた。
「……おい」
さやかは聞いていない。
「まだだ……」
口元が歪む。
「まだ足りない……!」
その瞬間。
ソウルジェムが、どす黒く染まった。
「さやか!」
杏子が叫ぶ。
「え……?」
さやかが自分の腹部を見る。
黒い。
さっきまでとは比べ物にならないほど、ソウルジェムが濁っている。
「なに……これ……?」
その瞬間だった。
シュヴァァァァァァァァァァァァァァァッ!
さやかの身体から、黒い影が噴き出した。
「っ!?」
まるで煙のように。
あるいは、生き物のように。
黒い影がさやかの身体を包み込んでいく。
「な、なんだ……!?」
瀬利が身構える。
杏子も槍を握り直す。
二人の目の前で、さやかの足もとから巨大な異形が姿を現した。
それは鎧を着こんだ上半身に、魚のような下半身……言ってみれば、首のない人魚の騎士、といった怪物だった。
本来なら頭部がある部分に、さやかが乗っている。
が、その瞳は焦点が合っていない。
トランス状態に陥っているようだった。
スッ、と、さやかが剣を握ったままの右腕を上げる。
その途端、彼女の背後に無数の剣が出現したかと思うと、一斉に杏子たちに襲い掛かった。
シュバババババババババババババババッ!
「ちっ! ちいっ!」
「ぐうっ!」
ほとんど剣筋が見えないような速さで瀬利の腕が動き、彼女たちに向かった剣はことごとく弾き落される。
が、それでも全てを捌くには至らない。
剣の何本かが瀬利たちの身体をかすめ、二人は血を流しながらその場にしゃがみ込んだ。
「……なんだってんだよ。何でアイツの身体から、魔女が出てきやがるんだ!?」
瀬利が絶叫に近い声をあげる。
その叫びが届いたか、次の瞬間、「はっ」とさやかの目が正常なものに戻った。
目が覚めた彼女の目に飛び込んできたのは、眼前で血まみれになってうずくまる杏子と瀬利、そして……。
「な……な……」
自分の足もとに存在する、おぞましい存在だった。
「何……これ……」
さやかの顔から血の気が引く。
「嘘……」
目の前に現れた異形を見つめながら、さやかは震える声で呟いた。
「……あたしの中から……魔女が……?」
次の瞬間、
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
その場にさやかの悲鳴とも絶叫ともつかない叫び声が響いていた。
☆
さやかの叫びと共に、彼女の足もとにいた魔女らしき怪物が、まるで影がほどけるように、音もなく消えていった。
同時にさやかの変身も解け、もとの見滝原中の制服姿に戻っていった。
だが、さやかの顔は恐怖に歪んだままだ。
「違う……」
さやかは首を振った。
「こんなの、あたしじゃない……」
しかし、否定しようとすればするほど、先ほどまでの感覚が蘇ってくる。
身体が軽かった。
剣が速かった。
もっと強く。
もっと速く。
もっと――
「……あ……」
さやかの顔が青ざめる。
自分は、あの力を求めていた。
もっと強くなりたいと思っていた。
その願望は、自分の声ではないように思えた。
そして、その感情が頂点に達した瞬間。
そいつは、自分の身体から現れた。
「……うそ……」
さやかは震える手で自分の身体を抱きしめた。
「こんなの……聞いてない……」
「おい、さやか!」
杏子の声が飛んでくる。
「待て! お前の身体から出てきた奴、いったい何なんだ!?」
「知らない!」
さやかは叫び返した。
「あたしだって知らないよ!」
「さやか!」
瀬利も呼びかける。
だが、さやかは二人の方を振り返らなかった。
怖かった。
自分の身体が。
自分の力が。
そして何より――自分自身が。
(……咲夜……)
脳裏に、あの魔導科学者の顔が浮かぶ。
そうだ。あいつが自分のソウルジェムを改造した。
あいつが、あの金縁のグリーフシードを渡したんだ。
だったら――あの魔女のようなバケモノの正体も、きっと知っているはずだ。
「……あいつに……聞かなきゃ……!」
さやかは弾かれたように踵を返し、夜の闇の中へ脱兎のごとく駆け出した。
「おい! 待て、さやか!」
杏子が呼び止める。
だが、傷ついた身体では追いつけない。
「……くそっ!」
遠ざかっていく青い背中を、二人はただ見送るしかなかった。
to be continude...




































