生と死と生死と 4   身体的体感 | もしも~し、お寺ですョ

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妙栄寺 公式ブログ

家族の死ほど
悲しいことはない


恋人の死ほど
つらい出来事はない


自分が病気になる事よりも
子供の死だけは避けたい



生と死


この問題の1番の問題は
身体的体感を失うことだ。



死んでしまうと、、、
ーーー その姿が見れない

可愛いと感じた子供の姿
美しいと求めた恋人の姿
愛しいと思った夫婦の姿



死んでしまうと、、、
ーーー その声が聞こえない

あどけなく、はしゃぐ声
優しく囁く、その人の声
いつも明るく響く笑い声



死んでしまうと、、、
ーーー その香に酔えない

心から愛しいミルクの香
若い頃に漂う恋人の香
泣きながら抱かれた母の香


死んでしまうと、、、
ーーー その声に感動出来ない

激しく誠実に怒った父の台詞
優しく包んでくれた母の言葉
愛しく鳴いた犬猫の甘え声


身体的体感


人間であるときの関係は
この体感というものを通して
人はその相手を感じて
その相手に好嫌を感じる

そして家族という絆の中では
揺るぎなく疑いのない、、、
深い愛情にかられて
自分を犠牲に出来る覚悟や
その人のために生きる決心を

身体的体感によって感知し
そこに精神的決断が降りる‼️


この人のために
この子のために
我が身を捧げる


だから、、、


超越する‼️


子供のためならば、
自分は犠牲になれる!

妻のためならば、
死ぬ事など恐れない!



はじめは、やはり、、、
生物として生きて来たから
身体的体感において、、、
家族を形成するわけです。

つまり、、、恋をして、
好きになって、求めて、
家族の絆が結ばれる。

そこから精神世界が
果てしなく広がる!!!
高く高く、深く深く、
広く広く、拡張して行く。

家族への思いが、、、
身体のもつ限界を
超越してしまうーーー


これが人間として獲得する
大切な宝物ではないのか


有限の身体が超える
無限の精神世界


生と死の先にあるーーー
永遠の精神の世界は
家族として刻まれた、、、
深い慈愛でしか到達出来ない。


私はそのように思う。


そしてこの修行のために
人は人生の荒波を渡る

一生をかけて、
その絆を手繰り寄せる


そんな風に思う


( ̄∀ ̄)