自分という物体 3 人生が二度あれば | もしも~し、お寺ですョ

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妙栄寺 公式ブログ

夜、、、
安らかに眠る。。。

布団に入ると
とても安心感がある。

1日の終わりの達成感。
安堵な気持ちで眠りに着く。

毎日、毎日、、、
だいたい、夢をみます。
大勢の人が、、、
よく登場して来ます、、。

時々、夜中に目が覚めて、
時計を見ると、、午前2時。
あ〜ぁ、まだ、寝れるわ。

トイレに行って、、、
また、眠るーーーーーー。
そしてまた別の夢が始まる。

そのまま、
ずぅ〜〜と、
夢を行ったり来たり、
そのまま、ずっと、
眠り続けいたら、、、

私のお葬式?

とは、ならないだろうか?

それならば、とても、、、
安らかで有り難いんだけど。


お亡くなりになった人は
明らかに、、、
身体の中からの電気のような
エネルギーが消失している。

動かないのは当たり前だけど
寝ていて動かないのとは
これも明らかに異なる。

人間が生きるというのは、
肉体という物体の中に
生命エネルギーが宿り、
そのエネルギーが活動を
続けている間が生きてる?
エネルギーが消失すると
それが「死」であると、、、
確かに、そのように感じます。

そういう意味では、
電気で動く物体と同じで、
病気で亡くなっても、
事故で亡くなっても、
寿命で亡くなっても、
要するに、身体から、
生命エネルギーが
消失したときが「死」‼️

そんじぁ、、、
「私」という存在は、
その物体なのでしょうか?
それともその電気のような
エネルギーでしょうか?


ご遺体に対して、
ご遺族は最後のお別れをする。
昔は、、、
昭和時代のお葬式では、
ご遺体に向かって、、、
縋り付いて泣く家族を
よく拝見しましたけど、、、
この10年の変化で、、、、

ご遺族は、
泣かなくなった‼️


原因と思われる1つは、
病院で病気が発覚して
さんざん治療をして、、、
心配とお金を費やして
家族は、ヘトヘトになった。

苦しむ家族を看るほど
つらいことははない‼️
病気と、闘うだけ闘って、

「お父さん、、、
 もう、いいよ、、、
 もう、頑張らないでいい、
 早く楽にしてあげたい‼️」

これが家族としての
最後の愛情だ。。。

決して、
早く、死んでしまえ!
というような、、、
そんな薄情な話ではない!

頑張った家族に対して
涙ながらに思う切実な見切り。

楽にしてあげたい、、、

分かる方には、
分かる気持ちです。


お葬式でご遺族が、
泣かなくなった原因の
その2つ目、、!

超高齢化時代となり、、、
ご両親が90歳を越える頃
子供さんも60歳を越えて
ご両親の事も心配だが、
自分や伴侶の健康にも
そろそろ不具合が始まる!

同居であれば、、、
明らかに「老老介護」であり
1年、2年は何とかしても、
長い年月となればーーー
介護も疲れ果ててしまう。

やがては、病院や施設で
親の面倒を看てもらう一方、
施設の支払いも大変だ。

その反面、、、
充実した看護生活で、
身体は健康そのものだが
すっかり認知症となって
子供の認識も出来なくなった
そんな両親をみて、、、

息子や娘は、
何を思うだろうか‼️

お、おとう、さん、、?
お、かあ、さん、、?
私が、わかんないの?
私だよ、、、わたし‼️

超高齢者の方は、
家族の存在がわからない。
認識が出来ない親子の再会。
子供さんの心は、、、
すっかり落ち込んでしまう。


そして迎えるお葬式。
昨日まで親子の会話が
出来たならば、、、
ご遺体に縋って泣くだろう。
けれど、、、
長く、施設で、別居をして、
親のいない生活は普通になり
施設での再会のときには

あなた、だれ?

と言われてしまった子供。
切ないどころではない!


人生が二度あれば

井上陽水さんの歌は
とても悲しい気持ちで
聴いていたけれど、、、


人生は二度もいらない‼️


ようやく、楽になれた。
そんな感覚の人生だと、
センチメンタルな思いは
どこかに忘れてしまう。


さて、人間の人生とは
果たして何なのか??
家族の思いは、、、
どうあればいいのか?


自分という人間、、、
身体という物体、、、


そんな時代だから、
AIが台頭し始めたのか?
人生が二度あれば、、、
2回とも空しさで、、、
過ぎてしまうのだろうか。


( ̄∀ ̄)