自分という物体 4 破壊という恐ろしい思想 | もしも~し、お寺ですョ

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宗教ではーーー
そして仏教でもーーー

祈 り

という精神的行為が、
とても重要な位置を占める。


自業自得や因縁果報という
揺るぎない法則を説く仏教。

しかし、この中にあっても
人間が、その心の中で、
追い込まれるくらいに欲する
純真な願いについては、、、
「祈り」こそが真実です。


所詮、この世において
自己の力ぐらいでは、
大した事は出来ません!
世界の平和はほど遠い!


人は殺せるよ!


そんな馬鹿な発想で、
テロを起こす者もいるけれど
そんな破壊行為ではなく、
この世の中を平穏にする
そんな難題に対し
力を傾けてみるといい、、!

モスクワの惨劇をみた。
銃を撃ち、爆弾を仕掛けて、
人を殺す行為をする力を
鼓舞する人間たちが、、、
もしも、反対に、
人の精神を向上させるようは
そういう事にエネルギーを
傾けたならば、、、
もうちっと、世の中も、
善くなるだろう〜に、、。

そうなって来ると、、、
人間にとっては「」、
精神」という存在こそが
最も恐ろしいものである。

行為は精神から起こる。
祈りという行為も、、、
殺戮という行為も、、、
この正反対の行動は、
同じ人間の精神活動の
発露として動くものだ。


右手を上げるーーー
左手でグーをつくる、、、
肉体という物体、、、
このメカニックは、、、
頭の中にある装置から発する
指令によって発動している。

その指令系統の中に、
どういう思想を埋め込むか?
これによって人間の行動は
明らかに異なるものとなる。

では、果たして、
その思想というものは
一体どこから来るのだろう?

世界宗教と呼ばれる
欧米の宗教思想と、、、
中東アジア全域の思想と、
インドから中国、、、
そして日本の宗教思想と、、

人を殺せ‼️

という宗教があるのだろうか?
サタンである!
という悪魔認定をすれば、
他の宗教は人を殺すのか?

およそ仏教であり得ない、
そういう発想があるならば
世界平和など、、、
実現するはずがない、、、。

そしておそらく、
お釈迦さまの時代でも、
そのような理不尽な発想が
この世の中に蔓延っていて
悪しき人間という生物の
その脳の中に宿る思想が
世の中を壊して来たわけだ。

オリンピックが開催される。
世界大会として、、、
いろいろなスポーツでの
アスリートが競技を行う。

これも、ある意味では、
脳内指令による「闘い」で
人と人が争い合うという、
その表面の言葉使いは、
とても似ているけれど

命を奪う

という行為は、、、
やはり、生物として、
最も野蛮であり、原始であり
知性が欠落した行為である。

これを止めさせるには、
何が必要なのだろう?
にはだと言うけれど
それが戦争になるんでしょ?

お互いの潰し合いで
お互いの命を奪い合って
何が得られるというのか?


こんな時、、、

宇宙の人がやって来て、、

「馬鹿なことはやめなさい」

と言ってくれるといいのに‼️


あちらの神さまは、
そういう事は言わないのね。



人間という物体の行動は、
ほんの瞬間の心が決める‼️
銃を撃つのか?
握手をするのか?


生物として、、、
ちゃんと考えてほしい。

遠い島国では、、、
そんな思いで聴いている。


人間という物体


( ̄∀ ̄)