今日は休日なのに目覚めが早いのは習慣からでしょう。2時に寝て5時に起きてしまい、2度寝は悪という考えを持っている為そのまま起きてた。

それにしても朝は何をするにも不自然すぎる。

音楽を聴くのも、本を読むのも、pcに向かい曲作るも、週末中に作らねばならない(約束した)mixcdも。

朝に似合う趣味をもっていないのだ。

とりあえず朝一でやることがない。(やりたいことは上記のようにたくさんあるが、とてもじゃないのだ。)

これではいかんと、パジャマがわりのアディダスのジャージ(オールドスクールスタイル?)のままランニングにでる。

土曜の朝5時。

どこも走っても誰もいない。

雨あがりでの為か湿度が高く、呼吸の邪魔をする。ただでさえ日々走りこんでいるわけではないので、すぐに疲れてしまう。


歩くか・・・・。


いや、歩いたらいかん。


誰もいないが原因なのか、かなり集中しながら走っているのがわかる。

なんか懐かしいな、なんて思い返してみるとこの集中の感覚は中学の頃のものだ。

サッカーの練習を終え、バーちゃんの家に行き飯を食い、夜中に家に帰る。家間はかなり近いのだが、わざと遠回りして走って帰る。田舎は夜誰もいない。


走るとこに集中しているんではなくて、なにか考えていることに集中しているのだ。

一定のリズムと呼吸法は、瞑想に通ずるものがあるのかもしれない。

ただ走りながら考えていたのは自分の事でもなんでもなくて、坂本龍一のことだ。

教授は最近エコロジーとエロティシズムを結びつけた出版物を考えていると書いていたのを思い出していたのだ。


エコとエロ。


どちらも根底にあるものだというし、野郎に関心を向けさせるのはエロが必要なのだそうだ。

教授のエロは澁澤龍彦エロと似たものになると想像して、くだらない雑誌ができるなーとかかんがえていた。

エロで野郎の関心を・・・・。教授はこの国が相当バカになっていると日々言っているが、このバカに仕方もすごい。

内容は違えど、週刊漫画と発想が同じではないか。(週刊漫画を平気で持ち歩いてる人を見かけるが、よくできると思う。小中高と週刊漫画を読んでいるヤツは性格的バカばっかりだった為か、週刊漫画に嫌悪すら感じるのだ。別に漫画が嫌いなわけじゃなくて、本屋で真っ先に週刊漫画に手が伸びているヤツが嫌いなのだ。週刊漫画の常用という題で長いものが書けるほど嫌いだ。()内があまりにも週刊漫画を嫌うがゆえに長くなっているのでもうやめます。)

週刊漫画層がエコに興味をもったら・・・・・あっ!、そういえば週刊漫画はリサイクルの固まりではないか、悪質な紙で作られ、誰かがそれを買う、学校でまわし読みされて、誰かが帰りの電車に置いてくる、ホームレスが次の日半額でそれを売る。誰かが買う、ゴミにすてる。ホームレスがそれを売る。ホームレスは売れ残った週刊漫画を業者に持っていく、業者はリサイクルし次の週の週刊漫画が悪質な紙で出来上がる。

あいつら週刊漫画に対してはエコなのである。

しかしそもそもあんなものはネット配信でもしとけばいいのだ。


個人的に環境問題にはあまり興味がわかないし、「興味」なんて言っている時点でだいぶ軽くみているのがわかる。結局直接的に降りかかっていることにも気がつけていない。

すべての行動が環境問題につながるシステムの中にいてエコロジーを託されている。

結局オレは何もしていないから、ほっといてくれという具合なのである。


それにしても不思議なものだ。

もともと地球上にあるもののみ(例外も多々あるが)で構成されたシステムや物体が環境破壊につながっているのはいうまでもないのだけれど、そもそもは地球上の中の話。開発や実験、進歩が破壊につながっているのでしょうか?そしたら人間も対したもんだ。地球の内部のみで地球を破壊しているんだから。

ほとんどウイルスだな。

人間が住めなくなった地球は微生物が支配するそうです。なんかで読みました。

地球まもるより、火星開発を薦めるほうが人間にはお似合いだとおもうんだけれど。






icc が帰ってきたようです。

はじめからあそこなくすほうがおかしかったのだ。

あるべき方向に物事が進むこともあるようです。後は1年間だけあったラフ・トレードが復活すれば東京にいる意味がふえるのだけども・・・・。

ff

有言実行なんて堅実なタイプではなく、その場の雰囲気にあわせる臨機応変な感覚も持っていない自分は、どっちつかずな自分に悩むでもなく、散乱した方向性がさらに押し進まればいいのだと思っています。


よって前回のカルティエ財団の展示会についての続きなど、あまり書く気がない今があります。

忘れっぽいので物事を伝えるのは、その時か早いほうがリアルなのです。


今日は昨日家にきた友人と買い物にでることに。

ここのところ、中学生の時に世を賑わしていたドメスティクブランドに目がいってなりません。

もともと音楽より服が好きだった自分は、自分で作ったりなんかしていました。

ギャルソンの川久保さんやyoji yamamotoに憧れるその辺にいる服好きの田舎もの学生なわけです。

学校の成績が中の下くらいの成績だった自分は一度服好きの先生がもっているギャルソンのシャツを賭けて約180人中15位になった時があります。これはこのときの自分にとっては脅威の数字なわけで、もちろんそのシャツを手にいれたわけです。(後にわけのわからないカスタムをされてしまったのですが)

しかしそんなもん中学生や高校生が着ても似合わないわけで、四苦八苦しているうちに5~6年経っているわけです。

実家に眠っていたその辺に買っていた服を捨てるという親父の暴動を抑えて取り合えずまとめて送ってもらったりなんかしているうちに、つい服熱がはいってしまい、netで記憶にあるだけのブランドを調べまくり、一点一点みていると、なんていうか忘れていた感覚が思い起こされるという感じになったわけです。

今回のワールドカップの影響もこうゆう形で現れているようで、観ることよりも、「あの時のサッカーがしたいなー」なんていう思いが復活するんです。

サッカーしてた人は皆そうでしょう。その時期と服好きの時期が重なっているので、とても繋がりのいいノスタルジーというわけです。


ところ


で



服というのは、性別が関連してきますね。

メンズ、レディース。(表面的にはありますが事実上ユニセックスなんてもんは存在しません形の問題です。)

やったことはないですが高校1年生くらいの自分ならスカートはいて田舎町をあるくなんて親不孝もできたように思います。(高校生の頃、好きな女性にスカートを作ってあげたこともあります。なんだかメルヘンで気持ち悪いですが、ハードな音楽やグチャグチャな音楽を好んで聴いておる今より男らしい男です。)

それを作っているときに思ったのがレディースのほうが圧倒的に全体やディティールを好き勝手できるんです。

その結果、世のレディースの服は美しく、清楚なわけです。

素材や色にしても同じ事で、中間色ややさしい色を平気で扱えるわけです。

まれにそうゆうメンズもいますが、大概気持ちが悪いものです。(北欧とフランス人男性くらいは許されるかもしれませんが。)


yojiやギャルソンにしても目がいくのはレディースばかりで、メンズサイドはなぜか型があるんです。

これは消費とか観念とかそうゆう問題ではないのだとおもっていましたが、どうもそうゆうことではないようです。

これは単に、いくらいかれたデザイナーでもやってこなかったという事実がありますから、結果的に芸術になりえないということなんでしょう。

ハウスにjazzのっけて、互いの要素を壊しあってるみたいなものなんです。


レディースに嫉妬をし続けなければならないわけです。



で



まー嫉妬しながら服屋を軽くめぐるとやはり欲しい服は存在しないわけです。

どうしてもワードロープとしての服ばかり買ってしまい、あまりおもしろくないわけですね。

コーディネイトうんぬんの前にその服自体に意味がないと興奮しないわけです。(コーディネイトがすべてなわけだけれども・・・。)


煮え切らない思いを胸に、外を歩くと「この辺のオーディオ屋に前行ったよねー」なんていう友人の挑発である。

今年、車を買ってしまおうと思って貯めている金が下手にあるのでかなり危ない挑発である。

中古ならmcintoshのampが買えてしまうのでは・・・・。という思いを胸に静かなオーディオショップの中に。

音のならない店内を奥に進むとmc252 の中古が現れる・・・。

この青光を見ただけで、気分が高揚してやまないのだ。


と!


店の親父をその様子に気がついたのか目の前にあるJBL4344から生生しいデクスターゴードンが流れる!!

ff

しかもmc252のgeinが振れている。

これは自分が30歳までにしたいオーディオライフを見ている(聴いている)わけなのです。

最近家のJBL4312に飽きてしまっている時のこれである。

本当に心臓の動きが激しくなっている。

オーディオ屋の親父はいつもなにも言わない。それはこちら側がガキの為、冷やかしに見えるからかもしれないが、自分の解釈では、きっとオーディオ屋の親父も若い頃からオーディオファンなわけで、若い層にいい音を聴かせたいという想いがあっての行動なのだ。

うるさいオーディオファンはあまりいないように思う。(ちくちく細かい小さい神経のことはいうが)


その後、興奮を胸になんとかオーディオ屋に背を向ける。

ダメだ、あれは早いうちに買ってしまおう。若いうちに好きなもん買えるのは一人身の強みだということが最近の結婚ブームから見てとれるのだ。(モノに執着する弱みか・・・)


その後いつもどうりレコ屋へ。

物欲の興奮が入り混じり、その力をレコードに発散。


何枚か買ったうちの一つ。坪口昌恭が中心となったMasayasu Tzboguchi trio のアルバム「radio-

acoustique」が今まさに、5回はリピートされている。

坪口昌恭は前にも書いたけど、我が心の師匠、菊池成孔先生の相方?だ。

音楽的に好きなのは、坪口昌恭のほうなのだ。(成ちゃんごめん)


これが、ヤバイ。

judee sill買って依頼、音楽にピンときていなかっただけに、これはかなりうれしい。

ばっちり、今聴きたい音楽にはまってしまって気持ちが悪いし、あっ、あったんだ、こうゆうのって。って感じ。

jazzサンプリングでやろうとしてたことを数倍の感覚でやられてしまった感じで、嫉妬の連続。

脳内グチャグチャなのである。

聴いてみるといいと思う。


なんだか長くなっているのでそろそろやめときます。

今週末は不思議な人とも会えて充実していました。お土産ありがとう。




時間があってので、現代美術館にカルティエ現代美術財団展 を観にいく。

カルティエ財団とは、要は現代美術を収集、依頼作成させたり、本を出版したりしてる芸術の支援団体。

個々の作品の集合だったため、観覧するのはとても体力がいるタイプの展示会だ。

作品それぞれの思想がもちろん変わってくる為、こうゆう展示会はどうしても、深くみることができない。


とりあえず友人がきたので続きは明日にでも。


2ヶ月前くらいから、職場環境が変わり新しく接する人も増えているわけですが、自分の考え方として、あまり人に興味をもたないところがあります。(あまりないのです。)

2ヶ月もいると向こうから話題をふって来るわけです。

いままで積もった生返事と仕事はストイックに取り組む姿勢が、向こうに不信感と疑念感を与えているのは間違いなく、体育会系の上司もインテリな上司も同世代も、割と慎重に話を振ってくるのが見て取れます。

ワールドカップの話、最近の事件、仕事の話。

どれもそこそこ知っていることなので、会話にはなるんですが、一切テンションを上げないのが可愛げがないのでしょう。


で


こないだ大きい仕事で皆で泊まる機会があったのですが、ついにきたのです。

「鈴木君は何が好きなの?」

身近な課長からの質問でした。


周りの視線が集まるのを感じました。確実に。

これはヤバイ。

こうゆうのは苦手なのです。

この心境は社会にでたオタクの心境となんら変わりがない悲惨な事態に今自分がなってしまっていることに気がついたわけです。

しかもなんに対してもしてもオタクではない。


皆が寝る時間を惜しんで取り組んでいるとこ。

株、ダーツ、サッカー、車、子供、酒、風俗、ファッション。

皆、聞いているとそれなりに玄人なのです。


この場でなにを言うかによって今後の身のフリが変わってきます。


ただつい最近書いたコンプレックスはなにもこうゆう時に感じるものではないのです。

少し酒がまわっていたのもあって、そのままを言ってみました。

「音楽と本と芸術です。」


「・・・・・・」

すこし間があいて。

「どんな音楽?」と社員が声をダブらせて聴いて来ます。


やばい。


人間はナゼうまれてきたんですか?よりも遥かに返答に困る質問。

宗教的な質問は、大体固まってきたので聞かれれば答えるのですが、まず聞かれません。

そもそもミュージシャンの名前をあまり覚えず、一つ一つに思い入れのないのに、音楽を愛する自分にとっえは荷が重過ぎる質問です。

共有する気もないので、音楽の話だけは自我丸出しで話さないといけないわけです。

執着が無意味な事はわかっていて、それが音楽の内面にたどり着けない要素なのもわかっているんですが、これだけはまだ捨てきれない執着なのです。

前世からのカルマなもので。

自分の前世は夢で見る限り、まだ場所はわからないのですが、豪雪地帯でなにか鳥を獲る仕事をしていて、レンガの家に一人暮らしをする老人なのです。彼の家にバグパイプがあるところをみるとスコットランドを想像するのですが、どうやらそうではないのではないかというのは、スコットランド民謡を何枚か聴いてみて思うことです。

ようはグッとこないのです。

夢でみる彼が聴いている音楽は陽気なものもあれば、悲しげなものもあります。

なにかわからないのですが。


と、まーそんなことを口に出してもしょうがないので、困っていると。

社員の一人が私のバックからでているヘッドホンをみて「何はいってるの?」と一言。

出てきたのはi pod ではなくcdプレイヤーと厚めのcdフォルダーという事態がまさか非国民的視線にまでになっているとは思いもせず、取り出す。

ここでオーディオ談議。

mp3方式についての話になり、脱線。

この辺は皆技術者なので理解があるが、利便性をとらないほうが非国民という技術者的解釈で終わる。

部長がオーディオファンで道が開けたかに見えたが「jblは嫌いだ」と自らの地位と年齢をちらつかせられながらの発言に押し黙る。


話づれーなー。


で


cdフォルダーの中身である。

仕事場に行きながらの音楽ということなのかはわからないが、自然と勉強のつもりで聴いているcdばかりでてくる。

武満徹、ジョセフ・バード、一柳トシ(変換してもでなかったのでカタカナですいません)、ジャン・ジャック・ペリー、矢野顕子、アートオブノイズ、オスカー・サラ、バド・パウエル、シュトック・ハウゼン、レッド・ガーランド、この辺からは別に勉強もなにもないのですが、東京ザヴィヌルバッハ(これはいつも聴いてる)、jamiroquai(友からのコピー)、subtle、azzurro、カニエウエスト(きいとかないと・・)、フェネス(これも友のコピー)、ドアーズ(これもコピー)、leafcutter john(これはいいですよ。ゆるいアシッドフォークの傑作!!みたいなライナーがお似合い)、calexico など等あとはpostロック中心なフォルダー。


一見みてわからないフォルダーはどこにでも存在するもので、フーン知らない。みたいな空気もつかの間。

少し変なフォルダーなのです。

現代音楽とjazzのあたりの勉強中のcdにはメモと記事が挟まれているのですから。

とくに武満徹は最近の展示会といい芸術新潮といい、別冊本ができてしまいそうです。


まー音楽が好きなのはわかっていただけて、今までの半生をこれにさいてしまっている為に一般常識に乏しいという事実も理解していただいた様子。


この話をした収穫としては2つ上にロックにめちゃくちゃ詳しい人がいることを発見できたこと。

残念ながら話の話題がプログレになるのは寂しい。


音楽の捕らえ方変えるには自分でやるのが手っ取りばやいんだろうなと思いながら、変な音楽ファイルが今日も保存されていくわけです。





前回の続き。

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追い掛け回したすえタッチできなかった羊。

まったくかわいくないのだ。

農場の一角にあったテント小屋でオリジナルのドレッシングやトマト、レタスなんかを買う。店のオバちゃんはどの野菜もヤバイと自信に満ち溢れているようだが、野菜に関しては田舎育ちの5人の舌はごまかせない。楽しみである。



農場へ出て一路、清里の駅の方面にある手造りハム屋へ。

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雰囲気のある看板であるが、店員のテンションがひどい。

バーさんとジーさん2人。

笑顔もなにもないのは、こちら側の風貌に関係があったとでもいうのだろうか。

ハム大好きの純真な心の客だというのに、見た目で判断されても困る。(しかし人は見た目だ。見た目と違った場合、見る目がないのだと思うのが正解なのである。肉体で精神を覆い隠す事は不可能なのだ。)


5人中、3人が割と局部的なグルメ集団なので(ジャンクフードばかり食う私は含まれない。)ハムやサラミ、ソーセージの選択は任せる。




これで酒、野菜、肉は揃った。



さて時間も夕方に差し迫っていたので今日の宿へ向かう。

実は宿も出発前に決めていなかったのである。

どこか温泉宿を~なんて話してはいたものの、この辺の温泉は結構な値段であるようだ。

勝沼に着いた時に買った宿本に書いてあったキャンプ場にバンガローがあったので、その6人用のバンガローを借りることにした。

6人用で1万円。一人2千円である。これは安い。


キャンプ場へ向かうと友人の車のナビ上に地図さえ現れない場所にある。こうゆう感じがいい。

これで実際に存在しえない集落でもあれば、迷いこんで一騒動・・・てな具合なのだが。


着いてみると綺麗な施設である。

家族連れのみでにぎわっている中に、例の男5人である。

棒立ちでこちらを見られてもこちらが困る。

まったく噂に聞くインド人みたいな連中ばかりだ。

同じ日本人なのにじろじろ警戒する目でこちらを見られても何も起こらない。視線は人にストレスを与える場合があるのを知っての事だろうか。家族連れとはいえ、常識知らずの親に育てられるその辺うろうろしている子供達に同情するのだ。


バンガローの外見は、なかなかのものだ。

中へ入ると広めのロフトがある。後は2段ベット2組とダイニングテーブルとテレビといった具合。シャワー、トイレ、冷蔵庫なんかも付いている。

自分は早々とロフトを占領と思いハシゴを上がると、なにやら黒い固まりがロフトの隅に溜まっている。

蟻の死骸である。

どうやら大量の蟻がこの中にでるらしい。まー生きてる蟻は確認できなかったので、ほっとくことにする。

荷物を置いたら、早速さっそく酒といきたいところだが、汗ばんだ身体とビールがない事実にそうもいかない。

目指すは風呂上りのビールである。

一路、近くにあるという温泉へ(この辺の人の言う「近く」は3kmにあたる。)

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ビールを買い、温泉に付いた頃には夕日でこんな感じ。終日ガスが抜けずあまりいい風景ではない。

温泉も微妙なところである。

さっさと上がりバンガローへ戻る。


さて料理の時間である。

例のグルメ3人がいるので料理はなにもせんでも美味いもんが仕上がる。下手に手を出すほうが喧嘩のもとだ。自分は神経質なので掃除、皿洗いをしていればいいのだ。


さっき買った野菜でサラダを作ったが、オバさん自慢の野菜は結局、我らが岩手の野菜に敵わないのだ。

実家を離れ、対して好きでもない野菜がますます嫌いになったのは、関東の野菜がまずいからだ。

魚にしてもそう。

本当にまずいのである。臭いし、辛いし、触感も違う。別の食いモンである。


人がうまいといってモノを食べているのを見ると、幼少期かなり美味いモンを食っていたのだなと皆一様に感じていた。

そう考えると日本中旅行したところでなかなか美味い素材にはたどり着かないのではないかと思い、これまた寂しいのである。


そんなことを思うのも酒が入るまでの話し。

ビール~ロゼ~白~赤~ウイスキーへと進むうち味覚がイカレてくる。


なんやかんやで24時くらいだろうか、前日徹夜ということもあり、自分はロフトにあがるとすぐに寝てしまう。

皆もそのあとすぐ寝たようである。



で



朝。

腕のあたりにくすぐったさを感じて起きる。(5時)

死んでいたはずの蟻群である。


自分はすでにガリバー状態である。蟻が囲んでいる・・・・・。

人によっては狂気乱舞するのだろうが、自分は虫とか別に平気なのでだ。

たださすがに数が・・・・、パッと見た感じ200匹くらい周りをうろついている。動くにも動けないのである。

寝ながらフッと息を一群に吹きかけたところ、そこを中心に蟻がパニックを起こし集団で部屋の隅へ移動する。

これには全身鳥肌だたった。

へんな夢をみているはずだが、忘れてしまっていた。身体を起こすと、残り蟻がウロウロしている。


このとき下の2段ベットにいる皆のことが気にかかる。

自分と同じような状態になったときパニックを起こしそうなのが2人いるからである。

その日のテンションにも関わってしまう小心ものだ。



どうやら下には蟻はいない様子で、被害者は自分だけである。

夜な夜な蟻になにされたんだろうか。


蟻のことより眠気が優先し2度寝である。


起きるとチェックアウト30分前。

昨日の掃除をするうちチェックアウトの時間になり、蟻小屋ともおさらばである。


この日は甲府市のホウトウ屋さんでホウトウを食うことに。

時間は10時だったのでホウトウ屋はまだやっていない。

行く途中にあったサントリーのワイナリーによる。

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雰囲気を伝えるのにあまりいい写真ではないが、気高い丘の上にある。花と緑が綺麗な見晴らしのいいところである。

ワインのほか、パンやジャム、マイセンの食器なんかも置いてある。

ここで土産を買い。すこしぐったり。

うまいパンを食って、いざ甲府シティーである。


山梨の県庁所在地とはいえ、対した町ではない。


求めていたホウトウ屋もすぐ見つかる。

店にはいりメニューを見るとホウトウよりも天丼が美味そうなので自分は天丼を頼む。

皆の食うホウトウをつっつきながら、天丼でよかったなどと思う。

いや、美味いのだよ・・・・。ただねー。


腹も満たされ、さっさと高速に乗り帰ることに。

ここからは筆記すべきことはないのですが、もう一泊していたら喧嘩になるんだろうなーなどとおもって帰宅していました。

まー楽しくやっていたんですがね。

もともと集団に馴染めない集団なので矛盾があるわけです。

価値観もまったく違うわけで、そもそも価値観すら出来上がっていない状態の、まだまだ未完成な集団ゆえに話や行動に矛盾が生じてくるんでしょう。

馴れ合いで付き合わないためには、ぶつかるのも悪くないんですがね。


ひどいまとめだな。


週末長野に行きtaico clubで踊り明かす予定でしたが、友人の案で山梨に行ってきました。

無計画ならではの出発2時間前の旅先変更。

長野に行きたかった理由はワインと蕎麦だったのですが、山梨にも勝沼という土地があり、そこはワイン畑の町なのです。

もちろんワイナリーも数多く点在しています。


夜な夜な寝ずに男5人車で出発。いつものことです。

山を掻き分け、大型トラックの間を抜ければ早朝には山梨です。


そこはすでに葡萄畑のドマンナカに佇むコンビニエンスストア。

いくら朝の早い田舎でも店舗や施設は朝5時には開いているはずがない。

晴天の中、車内で何時間か仮眠をとる。


すでに徹夜からくる疲れと車の中の窮屈さからか皆一様に苛立つ。いつものことだ。



で



仮眠から覚め始めに行ったのは「葡萄工房ワイングラス館」。

その名のとおりワイングラスやらワインに関連するもんが吹き抜けの雰囲気のある建物に並んでいる。

ヴェネチィアングラスやボヘミアングラスなんかもある。

全体的には雰囲気があり、いい場所なのだが、少しクローズアップしてみると、余計な商品も結構置いている。それにbgmが場にあっていないのも気にかかる。

こうゆう観光地では売らないと食っていけないのもわかるが、雰囲気を大切にしてほしい。

まーなんだかんだで楽しみ。表にあったパン屋のパンを食ったりしながら、いざワイナリーへ。


初日は何件かいったので記憶がばらついているのだがメルシャン勝沼ワイナリーという名前のところに行った。

ワイナリーに一見静かなイメージを膨らませていた自分ですが、行ってみると試飲ごときで酔っ払っている陽気な観光客ががやがやしてうるさい。みんな酔いのせいか声もでかくなっている。行動も散乱になり、後ろなどみていない。

これには残念。

酒に飲まれる人間が酒を買いに来るなといいたい気分。


様々なワイナリーに行き、今夜の晩酌ようでワイン一人1本分ほど確保。他にビールやウイスキーもおれば十分だ。


勝沼を離れ清里へ。

牧場に隣接した施設のレストランで飯を食う。

おそらくレストランから見える家畜が料理として使われた飯は結構うまい。自分はピザをくったわけだがベーコンがヤバイ。


飯を食い力がついたところで羊のいる柵のなかに入り羊に近づくが、一定の距離になると奴らは逃げる。

草を食いながら逃げる。

家族連れの子供なんかがいるファミリーには近づく羊も、自分からは逃げる。

なにもする気がないのに逃げられると頭にくるものだ。こちらもムキになりダッシュで追いかけるも、以外と速い。しかもフェイントまで使いやがる。

結局タッチすることもできず、羊がかわいいなどという迷信もすっかり消えうせ、ジンギスカンを食うことが楽しみになる。


寝るので後半へ続く。


ff

携帯のバッテリーが死んでしまったので機種交換。

vodafoneでの機種ラインナップがひどいもんだったので、他会社に変えることに。

番号など変わってもどうってことない。

2年に1度にか行かない携帯電話ショップめぐりをして、地元でw-zero3発見。


でかい。


ものはでかいに限る。小型化は何にしても愛につながらないのだ。

phsとpdaが合体したこれは、モバイルofficeも搭載。

メディアプレイヤーもついている。

リモートデスクトップをインストールしたことで、自宅のpcにつなぐ。

これだとブラウジングもブロードバンド化されるので、快適になるのだ。

つい機能まではnttのホットスポット(地下鉄とか)で内臓無線runがモニターとして使用できたのだが、6月からは料金がかかるというのでやめておいた。


外にいてレコ屋のサイトにアクセスし視聴できる状況は、今後のレコード人生をおおいにくるわせる事件である。ただどうしても速度は問題が残るようだ。

視聴なんてすぐすませたい性分なのだ。


で


ところでこの記事w-zero3から書いているのです。

これで外にいてもブログが書けるわけです。

週末は長野にいる予定なので、そこから更新してみようとおもっています。


旅行ついでに長野ということでtaico club 行きたいのだが周りがなんというか・・・。


以下コピペ


Line-Up : Rhythm & Sound 45 session with Paul St. Hilaire(aka Basic Channel & Tikiman)
Ken Ishii(70 drums), Pepe Bradock, Monika Kruse(Terminal M), Shinichi Osawa(MONDO GROSSO)
Bonobo(Ninja Tune),DJ Koze(Kompakt/internationalpony), MOODMAN, DJ KLOCK,
Kieran Hebden (Four Tet) & Steve Reid, Nathan Fake(Border Community), Rei Harakami
Afra & The Incredible Beatbox Band, Nudejazz -Kankawa & DJ Kensei-, Sly Mongoose, Tucker
Altz(Flower of life/Bear Funk), Nick the Record(Life Force)
ラインナップ


four tetがsteve reidと組んでるのは知らなかったので気にかかりますね。

ken ishiが集客要因になっているのがなんとも・・・。


岩手の友人がなにやらこのフライヤーを配っていたようですが、いくのでしょうか?







どうやら人以上にモノを処分することが好きな僕は、モノへの執着も激しい。

浪費家だと思っていたがどうやらそんなこともないようで、収集しているレコードと本で欲求のことは足りる。単価が安い趣味だ。(しかも収集というより探索に近い趣味なので中古だらけだ。)

なんとなく買ってしまう機材も今年に入りどんどん売られていく。

完全にソフトと録音に移行したため不必要なのだ。機材愛はないようで囲まれたいとも思わない。

モノへの執着が量より質になるのは、いままでの何百万という浪費から得たもので、なぜかレコードを買うペースが落ちたことに不安になっていた日々をバカらしくおもえる最近。

いい音楽はあせらずともタイミングや雰囲気、気分で変わってくるから欲しい時に買えばいいし、別に局部的な音楽が好きなわけでもないから、人に必要とされる音楽は待っていてさえくれる。


必要以上のコンプレックスを抱えて、それを他人のアーカイヴィングで解消しようとし、さらにコンプレックスが高まる。どうやらこれが僕についているカルマのようで、周りをみてもそんなカルマに追われる人間が2人いる。完全に同類のカルマだし、そんなこともあってか必死になって話あうのが友情に結びついているようでもある。

この音楽がヤバイとかこの絵がヤバイとかこの思想がヤバイとかこのセンスがヤバイとか。

いまのところ解決法は自分で想像することに移行することにあるのはわかっているんだけれど、そうゆうわけにもいかない。なんせカルマだ。

嫉妬が進歩につながっているとおもいこんでいるこのコンプレックスは振り払おうとすると、自己の簡易さにきずかされるわけで、そんな恐ろしいことはない。

人によってアーカイヴィング化された情報は本やレコードやデザインに現れるが精神のアーカイヴィング化は今のとこ地上にはない。人との思い出がそれに近いものがあると横尾忠則やスパイクジョーンズが言っていたけど、そうも思えないのは僕には人を除き見る才能がないからだろうか。

一旦、思考された発言ばかりが世にはばかる。

思考されたものは精神とは別のところにあって、要はヒラメキではなく直感の部分を人から感じとれることができれば、それはその人にアーカイヴィング化された精神としてこちら側もとらえることができる。

たださみしいかな、人は直感を疑うことで進歩(進むという表現であっているのか?)を続けている。

科学はヒラメキの産物なのかとおもう。



http://impress.tv/im/article/sgb/

セイゴウびふん屋


http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya.html

千世千冊


本を検索していると、松岡正剛の名前がでてくることに気がついたのは今年の事。

上のhpは正剛さんが本を紹介するページ。

特にびぶん屋の方は動画でみれるのでやさしくみれる。

2004年に完結したという千世千冊は名のとうり一日一冊計千冊の本を紹介したもの。

ダダ関連の本はこのサイトで知ったものが多い。


オブジェマガジン「遊」の編集長だったということをプロフィールでみてビビる。

なんせヤバイ本だ。

ネットが神保町の八木書店あたりで手にはいるので見るべしです。

オブジェマガジンという名前の意味が一見してわかるとおもいます。

ただ、びふん屋の動画を見たときに安易な捉え方をしていたことに気がついたというか、もっといたれてたわけです。


かっこいいなー。