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http://www.architectural-body.com/ja/products/yoro/


世界各国やばい場所を紹介するシリーズ。

第1回目は養老天命反転地。上記のサイトでみてください。

荒川修作+マドリン・ギンズの作品。

もう開園して10年が経つようです。

なにする場所かって、肉体を再認知させる場所とのことです。

構造上、人間の遠近感や平衡感覚をくるわせる仕組み。

その空間を体験し、感性を解き放つことで死へ向かう人間の宿命を反転させようという試みです。

ちなみに上記はほぼコピーです。


で


荒川修作って誰ってことです。現代芸術家ということですが、僕がこの人を知ったのはダダ関連のなにかの本でした。ネオ・ダダ・オルガナイザーズという集団の特集。この時はどうやら24歳(いまの自分とおなじ)だったみたいです。もうおっさんなんですね。こんなまともなもん作ってるとはおもわなかったわけです。

それに+マドリン・ギンスというパートナー。夫人です。

どうやらもともと詩人のようです。アメリカ人の女、あとはまともな資料がでてきません。

シャイなんでしょうね。

2人も芸術の世界じゃ有名なのでしょうね。iccで展示会やったくらいですから。


荒川修作って人はこの養老天命反転地の内部にもみてとれるように、言葉や記号を使った(利用する)芸術を作っているようです。思考させるってやつですね。抽象ではなく、はっきりと見方、使用法を伝えています。

養老天命反転地もルール(言葉の使い方に不備があるかも)があるようです。


例えば「何度か家を出たりはいったり、その都度違う入り口を通ること」、「どんな角度から眺めるときも、複数の地平線をつかって見るようにすること」等があります。

オノ・ヨーコのグレープフレーツジュースのようですね。

正直苦手なタイプの芸術です。自身の根底にアンチ思考が張り巡らされているので、苦手なのでしょう。コントロールされるのに不安を感じるというのもあります。

養老天命反転地ではコントロールされることにより、宇宙回帰的な要素ももっているようです。

ものにコントロールされるのは自身にコントロールされる自我と同一であるともいえます。

結局自身の感覚でしか瞑想に入れないのと同じことですね。


そういえば、深い瞑想状態を体感することに成功しました。もっとすんなり入れるようになるといいのですが。



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自分は2年前くらいからakarmaという名前を使ったりするようになったのですが、友人にakarmaって何?みたいなことを、最近2回聞かれたのでショックを受けつつかるく説明。


とりあえず、皆さん御存知karma。ヤマハのシンセに同名(読みは違う)のものがあったが、あれは誰かの宿命を背負ったシンセだったのだろうか?内部シンセシスが自らの行為に反映して、なにかの形で返ってくる、karmaの法則的シンセだったのだろうか。恐ろしいシンセが出回ったものだ。紅色だし。誰が買うんだよ。同時期でyamahaならmotif買うだろ。そもそもyamahaを・・・・ごちゃごちゃ・・・・・・・。誤解されたくないので一応、自分はrolandの犬ではない。


karmaの話。


インドのヴェーダ哲学の根底にある思想の一つに"karmaの法則"があります。(中学で習った記憶があるのだが、歴史とかだったのかな・・・。厨房に理解しろっていって理解してる厨房はろくでもないヤツだろう。)

karma=業と略されているのが有名だけれど、これは仏典なんかの仏教よりの解釈。(ヒンドゥーもかな)

サンスクリット語からの直訳では”行為”とか”宿命”ってことになる。だからといってkarmaの法則=宿命の法則ってことでもない。言葉の意味的におかしくはなってくる。

そもそもサンスクリット語はインドの古語。現在は使われることがないそうですが、仏教やヒンドゥーの聖典はサンスクリットで口伝され書き記されたそうです。

あとヴェーダ哲学なんですが、そもそもヴェーダとはなにかと。これはとてもじゃないけど本一冊できてしまいます。知であり、神であり、宇宙であり、世界最古の聖典の名前であり。実は自分自身整理できてないかんじなので触れないでおきます。勝手に調べろ。


karmaの法則=過去(世)においてなした行為は、善業にせよ悪業にせよ、いずれ自分に返ってくるというものですね。過去を(世)と書いたのは理由があって、一般的にいう(あの世)は過去と現在と未来がたたみこまれているため、過去を(世)という固定された表現で表しておかないと不具合が生じてきます。文字で書くとわけわからん。

karmaは個人的解釈では、この世に存在?しますが、例えば死んだジーさんのkarmaが自分に宿ります。これは血とか家族とかそうゆう問題ではなくて、偶然でもなくkarmaさえ共有なのです。だれだ俺は。

自分だけを因果応報の法則というのが一般的解釈ですが、そんなに甘いもんじゃありません。あなたのkarmaを生み出しているのは、となりのあ・い・つ・かもしれないってことです。


karmaはこんな感じですね。

本題akarmaです。

karmaの種類の一種とされるものです。

最終的に解脱に導くkarmaのことを指します。解脱とは苦しみ多き輪廻(生まれ変わり)の世界からの脱却の事です。

完全に現世を放棄し、行為に対する欲望を滅した状態で、ある行為がなされる場合それがakarmaとなります。セックスのことではありませんよ。

この欲をもたない行いは僧の世界でも非常に高い段階とされています。悟りへの一歩といったところかな。

悟りに到達するとその人のすべての義務はなくなります。が、karmaだけは残るのです。その場合残ったkarmaはakarmaとして認識されます。このakarmaは、そのkarmaが経験?し終わらば、それ以上新たなkarmaは生じないのです。その結果すべてのkarmaが消滅し、最終の解脱へと導かれるわけです。それ以降に待ち受けるのは、宇宙規模の話になってしまうので、これくらいにします。


ちなみにakarmaの対義をvikarmaと呼びます。

vikarmaは、経験することによって、さらに輪廻にしばられてしまう種類のkarmaの事をさします。

熱心な宗教国以外の国の人間はvikarmaと付き合ってることがおおいでしょうね。残念ながら。

ヴィーダ哲学の思想はこの恐ろしい輪廻から世界を脱却しようというものでもあるようです。

現世にしかみない西洋的感覚に犯せれている日本国では、受け入れなれない思想なのかもしれませんね。

宗教という言葉がマイナスに働いてしまう、この国の感覚は相当イカレテイル。

「宗教だよ。」の一言でかたずけるなと言いたい。

宗教のとらえ方が思想ではなく団体になっているのもおかしい。

「宗教だよ。」の一言と「アキバ系だよ。」の一言に同一的使用感がある。心理に迫らず上っ面なめる教育の影響なのか、マスコミの影響なのか、結局なにも理解してない身近な親や先人の影響なのか。




akarmaでした。





あけましておめでとうございます。

正月休み結局行きたかった香港にはいけず(行かず)、地元岩手に行っていました。

肩こりは解消されるは、鼻のとおりはよくなるは、睡眠時間は少なくても最近みないほど体調がよかったです。

帰った際に友人の床屋に置いてあった雑誌に書いてあったパワースポットなるものは、案外みじかにあったのかもしれません。高校まで普通に過ごしていた場所ですが、贅沢な"気"に満ちた場所なのです。

ところが地元の町は昔から中途半端に開拓されており、とても綺麗な場所とはいえません。店舗は入れ替わり立ち代り、建物だけが老廃。何度もリフォームを繰り返しているため歴史を感じる建物もすくなく、すべてが中途半端です。常に開発は進められるようですが、統一感がなく、一向に町がきれいになる様子はありません。

地元の人の暮らし方を見る限り、町は今のままで十分です。変化を求めるのは、安月給の若者だけで、それを相手にしていても潰れるにきまっているように思う。

チェーン店や大型デパートばかりが滞在しているのが残念な話だ。

町の”気”を失ってほしくないし、若い人には、気がついてほしい。

町もよくするのは、”義”のあるヤクザの仕事でもある。

聞いた話、地元のヤクザは低年齢化しているという。知っている名前何人か聞いた。

町の裏側、根っこが老廃しているのは、このせいもあるのかもしれない。地方はヤクザと密接だ。ある潰れた店のオーナーに偶然あって話していたが、チンピラが集い一般客が逃げていったとの事。一般に手をだす光景もしばしばあったという。

雰囲気のいい店だったのに、いまはチンピラが経営するバーとなってしまっていた。

つまらない事だ。

世の中個人経営者が増えているのに、あの町は個人が吸収されていっている。

個性のなかった町が、個性どころかロボット化しているように思える。岩手デトロイト。

蔵を巣にする彼には岩手アンダーグラウンドレジスタンスになってほしいものだ。


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mpc1000がただ黒くなっただけでわない。黒い機材が好きな自分としてはそれだけでも満足なのだが、mpc1000bkはオプションを利用する事で2.5インチの外付けハードディスクに対応という。利便性にすぐれたというか、わかりやすい発想でいいとおもった。

買ってもしょうがないというか、製作方法に影響しそうもないので無駄ではある。


前回触れたように、i pod(その他ハードディスクオーディオ含む)でのアーカイビングについて。

音楽が好きな自分がi podみたいなものを持たない事が自分でも不思議なのだけれど、表面的な理由はいろいろある。

・音質(ポータブルなものに音質は求めていないが、i podを家庭用のオーディオにつないで聴いている人はしんじられない。)

・デザイン(好きになれないだけ、その他のプレイヤーも同じ、ソニーウォークマンのAシリーズは好き)

・重量(軽い)

・価格(高い、レコード30枚は買える)

・流行(アンチであり続ける事)


表面的にこんな感じ。

で

そもそも何につかうものか。ハードディスクとは保存、記録は主な用途であるように、音楽と溜め込む装置である。データに金を払うほど余裕のある生活をしていないので、音楽配信のようなものは一切利用していない。(まーいずれ配信系の仕事に転職しようとおもってるんですが)

データと金が交換されるシステムが疑問なだけで無料で配信されているもの、共有できるものは大賛成である。

データ共有を目的としたシェアウエアに賛否はあるとおもうが、否定する意味がわからん。データビジネスに抵抗しているのが目的ではないとおもうが、シェアウエアの存在は面白い。

というかシェアという事に対してマッキントッシュ社が否定したら、そもそものMACの存在意義に疑問が生じてくる。


話がずれました。


様はいままで聴いてきた曲を一つのモノに収めようととしてるとしている使い方が主な使用方法になるとおもうのだけれど、そんなのは無意味な事だ。

同じように本を棚に溜め込む、漫画も棚に溜め込む、自分に限ってはレコードがそれにあたるのだけれど、同じように見えてデータと物質の違いがある。データに精神はやどるのか?ということ。

いままで聴いてきたものをデータに落とし一つの筐体に溜め込む。

ふーん、すごいね。で?って感じなのである。

危険なのである。アーカイビングがではなく、セルフアーカイビングが音楽の中心になることがである。

目的がセルフアーカイビングになると、ろくな人間が生まれない。安心したいだけ。若いうちは。

音楽のファイリング化は音楽ビジネスの極みみたいなもので、それを受け入れてしまっている現状に納得できないのだ。

記録、保存は確かに便利だけれど、不安が造り出した現象であることは言うまでも無い。

なにが怖いかって不安を外部に記録させることで安心感を得ていることに気がつけないのが怖いのである。

最近のハードディスクオーディオは世界的な日本らしい出来事だ。



N

すごい前に書いた記憶があるが、「LOOKING FOR A THRILL」のDVDの話である。ジョン・マッケンタイヤやサーストン・ムーア、ジムオールク等ようはアーティスト、エンジニアのインタビュー集なわけだ。人選がやばすぎたため、ネットで輸入品をなんとか手にいれたのだが、ここにきてどうやら日本版みたいなもんがでるらしい。映像がつまんなかっただけに英語が理解できない自分にはうれしいことだ。12月22発売ということなので、買いなおしである。


別件


de

池田亮司の新作「dataplex」。

いままでにないビート、メロディ(といっても例のパルス波のよるもの)作品になっていて、驚いた。音楽で驚くのはいつまで経っても心地いいし、これがなくなる日が怖い。i podに自らにアーカイブ的音楽を溜め込んで安心している世の中の風潮が良くない。音楽は写真と違い、アルバムに収めるものではない。写真は時間を止めることができるが、音楽にはできない。流れる。流しておくのがいい。


これに関してはもっとながったらしく次回かこうと思う。


CA

我らが土俵ORIZINのコンピがようやく発売。

何年待たせるのか、2006年1月20日にようやくである。

6人もいて今である。

定評のあるMIXシリーズ DO-HYO MAGAZINも12まできている。11,12がCD-Rでの発売だった事がいまだに残念で仕方ない。TAPEで頼むよ。このままじゃイナフじゃないよね。


別にね、そんなにヤバイ集団ではないんです、このクルーは。DJ WESSUNだけ別格だけれど。WESSUNは世界レベルでDOPEな感覚だと。(日本人は結構DOPEな人はいるけれど、金にならず埋もれてしまう。DOPEだけどイナフじゃないよね。)


で


別にそんなヤバイ集団じゃないけど、ヒイキにするのは、なんていうか応援の域にきているのだ。

ずっと進化してない、一番ヤバかったときのABSTRACTを今でもやっていて深さだけましていってる感じ。

確実にモテナイ。確実にイナフ。

彼らはイナフじゃないんだろうなと思う。空腹のまま深さ無制限で勝負している。


最近国内で音楽が散らばっているように感じる。北でも南でも西で東でもそこそこのレベルの人らがいる。後はいつも言うように地域性が出てくると面白くなる。


世の中イナフになる。




SE ふとロウソクがほしくなりNETで調べているとCANDLE JUNEの名前がある。なんだか自分にとっては懐かしい感覚だ。高校生の時にMODELのARATAがJUNEと対談しているPAGEをなにかでみたのを思い出した。

いつのまにかおおきい動きになっているというか、OPENになったIMAGEを受ける。

当時は閉鎖的で特別な場所や時間、空間でしか表現していなかった人だ。

いまではNETでも買えるし、全国のSELECT SHOPでも取り扱っているようだ。

FUJIROCKへ参加して以来音楽EVENTでのDEMO?を多々試みているようです。

CANDLEの明かり(光とは言わないですね)を暗く感じるか明るく感じるか時と場合によって違ってくると思います。

今日はいい事書いてると実感。

dwe Controller Oneなる楽器がvestaxから近日発売である。

一見ターンテーブル以外の何物でもない。

これでなにができるか。針がピックアップするサウンドを音源として回転スピードと方向を操作する事ができる新しい楽器と表記してある。

whakhakha breaksの音階スケールや、swampのディストーションギタースケールのようなブレイクスでできたことが簡単に出来てしまう。ということなのではないかと思うんだけれど詳細わからず。使い方考えただけでピラミット状に広がってしまい収拾がつかない使い方しか思い浮かばない。

想像できることが楽器であるとすればこれは立派な楽器だとおもった次第。

買いそうだなこれ・・・。


3e1

ブログを書き始めて1年くらい経つようだ。軽く見直すと考えてる事あんま変わらずショックを受ける。

時期が経つごとに、嫌いなものや事が増えていくのを感じる1年。

例えば嫌いな音楽に好きな音楽の質量が単純に追いつかない。これは相当ヤバイ。

ここ数年、大雑把に色々な音楽(音)に耳を通している。

ヘッドホンでしか聴けない音楽も大概聴いた。音楽好きで何十年も音楽聴いてるおっさんとかにしてみれば甘いんだけれど、聴き方はおっさんのソレとは違っているはずだ。

まだすべてが探求で追求には及んでない音楽。

そろそろスタイルが見つかり追求してもいいようなものだが、あきっぽいんだろうな。

音楽そのものより音楽がもたらす効果に興味が移行している。

職種と趣味がら、人前でbgm(もしくはfgm)を流す機会が多く、音楽による無意識の反応の様子がうかがえたりするんだけれど、感覚で空気感が見えるようになってきた。この感覚はすべてが音楽によってなりたっていると仮定したときの感覚でしかないのだけれど、意識層の点と点の中間くらいのポジションであれば、メモリ一つでどうにでもできる。音楽で無意識共有まである程度操れる。とゆうか操られやすい出来事というほうがいい。音楽は出来事でもある。