なにかと否定的で逆説的て隠れダダイズム的思考の自分がこの世の中でなによりも嫌う(恐れる)ものがマヨネーズです。

あらためて書くことではないですが、暇つぶしにマヨネーズについての本を読んだので敵の弱点を知るべく書きていきます。

発祥は現スペインのメノルカ島というところです。スペインの地中海沿岸東側およそ100kmにバレアレス諸島というのがありマジョルカ、フォルメンテーラ、イビザ、メノルカの4島からなります。この時点でイビザと隣接していることを想像するととても綺麗な島という事が想像つくとともにイビザのイカレタ連中も頭によぎります。正直デブのアメリカ人がつくった食い物(アレは食べ物ではありません)だとおもっていただけに意外でした。

こんな島国から日本に伝わってくるなんてまるでウイルスだ。ウイルスでも島はあまり越えないのに。


すべての発端はフランス人。


18世紀後半にイギリスとフランス7年戦争と呼ばれる殖民地争奪戦争をしていたのですが、戦争開始時の1756年はメノルカ島がイギリスの拠点だったわけです。

そこにルイ15世時代の宰相兼元帥であったリシュリュー公爵率いるフランス軍がきて英国軍を撃破した。

で
こっからはいろんな説があるんですが、一番気にいったのを書きます。
戦争中マヨネーズできたわけではなく、恐ろしいことにこの島にはすでにマヨネーズが存在していたんですね。
戦闘の最中にリシュリュー公爵が立ち寄った料理屋のソースがうまくてフランスにレシピ持ち帰ったのがマヨネーズがこの島をでる理由みたいです。
マヨネーズという名前はメノルカ島のマオンという地方からマオンソース~マオンース~マヨネーズみたいな流れみたいです。こうゆう流れの名称よくありますが大概信じがたいですね。

ここで思うのがリシュリュー公爵が立ち寄った料理屋のソースは以前から存在していたものなのか、リシュリー公爵専用のソースだったのかって事です。どうやら肉料理だったみたいですね。
店のオヤジがその時適当のつくったソース(それこそ残飯をまぜたような)だとしたらおそろしいことです。リシュリー公爵がレシピを持ち帰るほどうまいと言ったのも恐ろしい。akarma公爵なら店のオヤジはどうなっていたことか・・・。
>そもそもオヤジなのか。

リシュリー公爵を検索してみるとマヨネーズとリンクするページがほとんど・・・。かわいそうな男だが憎むべき男でもある。

もう一人憎むべき男がここ日本にもいた。
中島董一郎。
キューピー創業者にしてここ日本にマヨネーズを持ち込んだ恐ろしい男。
農林水産省の海外実習生としてアメリカに滞在しマヨネーズと出会い帰国後、アメリカのマヨより栄養価を高くしようと、卵を倍つかったものがジャパンマヨネーズだ。

マヨネーズは日本食にあわずあまりうれなかったようですが、第2次世界大戦以降日本に各国の食いモンがひろまるようになるとマヨネーズも急速の広まったようです。

こう書いているとマヨネーズの発展と戦争はとなりあっているようにおもいます。
ものすごい悪い物体ですね。よくない。

現在マヨネーズのせいで食べ物を失われている自分は物凄い偏食です。
食べたくてもマヨネーズが添えてあったり、ひっそり挟まっていたり、バターとかマーガリンと見分けがつかなかったり、一時流行ったマヨラーの時代は団塊よろしく火炎ビンをキューピーに投げ込みたいとおもいました。
焼いたマヨネーズは難解です。ピザ、グラタンなどチーズとまざったやつです。
焼くと匂いが減少するので仕方なく箸でつつっくんですが、それがマヨだった時には言いがたいものがあります。
サクッとこげたチーズが破れ奴がでてくるのです。めちゃ~~~。

箸はゴミ箱です。

あとは惣菜パンです。裏の表記をざっとみてマヨネーズがない事を確認してほおばると、黄色の変物がはいっていたりします。
そうカラシです。
あれも嫌い。
マヨネーズが無い事で安心させておき副将カラシの登場。
おそろしいコンボです。甘いパンしか食べなくなったのはそのせいです。

マヨネーズがからんでこれない食べ物。
甘いものと果物。

マヨネーズをなくそう。たちあがろう。



dd 写真はヘンリーカウエル。今聴いてるだけ。

友人 にableton live5をアカデミック版で購入してもらったのが今届いた。ありがとう!

これでcubaseともお別れ。相性が悪いとしかおもえないcubase。最初に買ったシーケンスソフトcubase。とくにアップデートもしないままのcubase。

なんだかかわいそうである。

cubaseのなかのファイルを開くと16小節くらいのファイルが45個あった。自分はつくってるとこれくらいで満足したり飽きたり諦めたりする。頭から聞いてみるとまー変なのしか入ってない。二度とこんな音つくれないであろう音が結構あり全体的に収集がついてない。


すべて削除してしまう。


これで一身。

liveでの作業に打ち込める。

ただ本当に曲を作るという意味でliveにはcubaseと決定的な違いがあって、それはループを箱として扱う部分なのだけど、liveの即効性、liveと名前がついた由縁はそこにある。

ただループ(箱)という単位で波形を扱う事はパズルのようなものでそれは方法の一部なんだけど、あたまから順につくるタイプの人間にはあまり理解しがたい。

ある程度ソフトの中の規則があってその中で動く。

「ルールがあるほうが個性が芽生える。」高校の教師の言葉を思い出しノスタルジー。

機材を選んだりソフトを選んだり、楽器を選んだり、自分の音楽に規則を足していき形が固まる。

音楽が想像できない自分みたいなタイプの人間は規則だけが増えていき形が小さくなる。

機材を一つ増やすということが規則を増やすという事に思えてしょうがなくなってきた。(一つの機材を買う事でシステムが一身されシンプルになるのはいいことです)


あっさり行こう。




oo

遅く起きてやる事がない。まるでひと昔前流行った「アレ」な一日になりそうな予感がした今日は久しぶりに音採集へ行く事にした。小さいレコーダーにヘッドホンつけてとりあえず河川敷へ。いつもはただの水の音だが今日はビニールにレコーダーをいれて水の中にいれてみる。おそらく後姿はさみしい。子供嫌いの自分は河川敷で騒ぐ団地出身の子供がうるさいなーなどと思っていると泣き叫びながら近くに歩み寄ってくる子供の声が水中ビニール越しに聞こえる。あまりにも声が大きくなったのでヘッドホンをはずし振り向くと、すぐ横で泣き叫んでいる。

団地妻が怒りながら遠くでタカシ君を呼ぶ。タカシ君は自分のすぐ横で泣いている子供に間違いなかった。

子供が嫌いな自分は子供との接し方も知らない。

どうやらタカシ君はわざと泣いているようだ。どうも泣きかたがうさんくさい。わかったのはそれくらいだ。

寸分もしないうちに団地妻が水辺に下りてきて「すみません」と謝罪しながらタカシ君の頭をもって上に登っていった。ちらっとレコーダーを盗み見た感はあったがどうやらなにかわからない様子だった。

気持ちの問題で河川敷レコーディングは失敗に終わる。

家に帰りレコーダーをPCに接続し聞いてみる。

水の音とタカシ君の鳴き声が結構おもしろいなと思いながら、エデットしてみるも結局タカシ君の鳴き声がジャマになる。子供は嫌いだ。


話はBURN TO SHINE2。みんな大好きTORTOISが出演しているという事でかったdvdの名前。

他にもイアン・マッケイのEVENS、スティーブ・アルビニのSHELLAC等結構大物揃いのわりにamazonで1500円と安かった。ついでに1も購入するも今回は2に軍配。

映像の展開的には好き嫌いはあると思います。音は決してよくない。

レベルの高い素人が好きにやっている感じです。そのかわり被写体になるバンドの生が映し出されています。結果何人かでみたんですが、結局いつもどうりバンドやりたいという話になりました。


人に向ける音楽があります。


自分のつくる音にはそれがないです。とくに何も。

面白がっているだけで。それでいいとおもってますし、発信するものも特にない。


意味を感じる事は重要なんですけどね。


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テーマ分解100記事目。

今日は東京都現代美術館へ。

ポーランド、チェコ、スロヴァキア、ハンガリーの現代美術を、私とサイコ氏とSヤ氏(全員岩手、木村お留守番)3人で見に行きました。

転換期の作法というのは社会主義体制崩壊からEU加盟へのこの土地周辺の歴史的背景に対してのその時期のアートの取り組みという感じです。

作品全般に貧困や、内戦に見られる精神的くらさが溢れている感じがしました。

作品を見る前に説明書きをみてしまう自分に落胆しつつも、感受性に乏しい3人組は必死に説明書きを読みつつ作品ながめるのでした。

数多く作品があったのですが、気になった作家がいまして、ポーランドのAZORROという4人組です。

映像作家といっていいのか作品のメディアは映像なのですが、要は彼らの思考が作品なのです。

「すべてやられてしまった」という映像作品では4人が街の階段に座り込み新しいアートを思考し相談を永遠としているビデオなのですが、例えば「食べ物を使ったアートは?」「もうやられている」といった具合に話が進んでいきます。それだけの映像。すべてのアートがやられてしまっている現状を映像に残し形にした新しい作品。前衛的ではないけど、とても頭のいい作品という感じを受けました。視点の移り変わりの作品といってもいいと思います。

相談している段階までの出来事は世の中の小規模集団(コスモグループ)が日々やっている事で皆答えが出ず思い悩む日々なのですが、また一つやられてしまったという感じを受手に与えさせる衝撃的な作品です。作品自体はシュールレアなのですがw


今回の印象はそれしかありません。再入場できるようなのでまた行こうとおもっています。

時間の関係で常設展をみれなかったこともありますし。

閉店まぎわのショップにフルクサス関連の本があったのも気になりました。

早く行きたい。




今日は我が人生の師、transfigure氏が東京にたまたま来ていたので一緒に恵比寿の東京都写真美術館へ。

文化庁メディア芸術祭。

ガイドブックによると世界44カ国が参加するアート、エンターテイメント、アニメーション、マンガのフェスティバルです。はじめに言ってしますとワールドワイドなイメージは無為に等しく国内の作品が多く目立ちました。結局は日本中心のフェスのように感じましたw

しかしこの企画タダというのがうれしいですね。タダにしてはいいものみれます。

展示、上映などが各ブースで行われており、上映作品をずっとみていたら一日では足りないのではという感じに詰め込まれています。

はじめは3階にあるアート部門から。

入り口ではKhrnos Projectorという大賞作品がお出迎え。

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触るとこんな感じにウヨウヨします。気持ちいいですよ。

こうやって作品に触れられる事が有意義な事を2人で確認w


アート部門ではインスタレーション的な作品が多く楽しめました。

一番きになったのは「UV-Graph」というレーザーをコントロールできる作品。

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こんな感じでつまみをいじるとレーザーがそれ相応の動きをします。とても感覚的でおもしろく操作性を完璧に覚えてしまいたいとおもわせるものでした。単純に音がリンクしても楽しそうですが音と映像のリンクで即効性のあるものは動きと音がそれぞれを束縛してしまう傾向にあるので要相談です。


まーその他いろいろみて2階へ。

入るとそこはネットカフェよろしくディスプレイだらけ、はじめの印象で作品としてディスプレイを抜けれないでいるメディアに悲観。

まー仕方ないというか現代的なんでしょうね。

ここはゲームとアニメのコーナー。芸術からみたアニメやゲームですか、もちろん否定はしないのですがやはり抵抗が・・・。海洋堂はアートか?といわれて素直に受け取れないのは商業主義を感じさせるものだからでしょう。ゲームしかり。

マンガ部門ではいろいろな作品の原画の修正作業に驚きました。修正液やカッティングで荒い漫画家の作業を修正するアシスタントの仕事に少し感動。ホント細かくて誰のこだわりなんだと。アシスタント自身じゃないかなという感じで本人も気がつかないであろう箇所も修正がはいっている。

凄い世界でした。

2階を降りるさいにjazzが流れている作品がありみていると。

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こんな感じ。

様々な人が画面(スクリーン上)にいて一人の人にクローズアップすると意味がわかる。

この画面内を人が入れ替わり立ち代り同じ行動を繰り返し物事がループするのである。(多分意味が伝わらないでしょうね、なんていえばいいんだろう。)

カルマの法則をかわいく表現したなんとも考え深い(単純な)作品でした。


全体を通して若い作品(作者)が目立ちました。同世代やその下の世代。

刺激は受けますよね単純に。



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judee sill ジュディ・シル。1970年代の1stが再発されていたのが目にとまり購入。

もとはヒッピーでコミューン生活をしていた彼女。

60年代後半に起こったベトナム反戦戦争、ヒッピームーブメントが一段落し、ミーイズムと言われる個人へ向かう社会的風潮がアメリカ西海岸にひろまった70年代初頭、シンガーソングライターなる言葉が生まれました。はじめはアコースティクで素朴なサウンドのなか自分自身を投影した日記のような歌詞が共感を得ていた音楽のようです。いまでも続いているタイプのものですね。そのなかでも政治問題を扱うようになったり、環境問題を扱うようになったり、ストレートに音楽と言葉を利用したメッセージの発信者がシンガーソングライターです。鼻歌入力。

そういえば、meismという言葉ですが、自己中心主義と訳されています。エゴイズムとは区別された考え方で一人淡々と物事をとらえ処理するといった傾向を持つとあります。当てはまる人がおおいのではないでしょうか?エゴイストよりも多数存在するように思います。とらえかたと処理の仕方が現代では複雑化、カオス化している分、危険思想の人間にもあてはまるようにおもいます。

ちなみにmeism個人が集団となりweism。矛盾しているようですが、個人思想の集団は全共闘時代から日本でも多数あります。コミューンだって結局そうだったはずです。

意識共有について去年は多数書きましたが、安易で平坦で青臭い答えしか見つかりません。

意識の問題を言葉や文字で表すから、歯がゆい部分が多数でてくるのでしょう。

何冊かの関連本を読んだり、精神分析の本も読みましたが、言ってる事は結局宇宙の真理です。

そこまでは良いんですが、要するに宇宙の心理を理解しえない人間が宇宙の真理を理解した気になっているのが危険なんです。中途半端に関連本を読んでいたら、この心理を自分自身植え付けられていました。

書物に対して、信頼している部分が低脳の自分にはどこかしらあったので、改めたいとおもいます。

自己の存在を疑問に思うには簡単です。答えがありませんから。死ねば分かるとかいってるヤツは死ねばいいです。結局意識の問題にもたっしてないから。

疑問に思うことより(何かに支配されているとおもうより)想像することに意味があります。よって武者小路実篤の理論も今の自分の考えでは否定的に考えます。

考えるより想う。単純な事でした。


judee sillの音楽からのインスピレーションです。

最近までこの人の音楽を知りませんでしたが、数々のミュージシャンがマスターピースにあげるように自分自身初のマスターピースになりえる音楽と感じました。

今まで何十万と曲を聴きましたが、そんな一枚に出会うためにレコード買いまくってるようなところもありますからね。



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先日連休だったので友人と品川でデート。原美術館にさそわれるままに行くと、オラファー・エリアソン 「光の影」展が催されていました。

まー知らないんですが、どうやらベルリン(生まれはアイスランド人の両親のもとデンマークでうまれたようです。)の人気アーティストの一人なのです。

原美術館に行くと上の写真の作品「beauty」がメインにデザインされているポスターがはっている。

ガラスばりの入り口から少し中の様子がうかがえて結構な来館数であることはすぐにわかった。

混んでる美術館はなんか気持ちが半減するのは皆おなじ事だろうなと思いながら、受付へ。

「beauty」の為に増設された暗室へはいると、寒気を一番はじめに感じた。その時は水を使った作品であることや暗闇、静けさが関係して寒気を感じたのだとおもっていたけれど、後から外のプレハブ小屋みたいなノリの建物ということがわかり、普通に寒かっただけだったという事実を知り、自己陶酔半減。

光の角度と水だけで虹のような効果を作っていて、後は見るものの動きの変化で作品も進行していくという感じのもの。水に油が混ざってる説を友人に唱えるもお構いなしにされる。

ここでは結構やばい写真がとれた。


となりの部屋へ。


「円を描く虹」。

部屋のセンターに円形のオブジェがぶら下がりゆっくりと回っているところにスポットライトが当たる。そうする事でカラフルな円やメビウスの輪や楕円、その集合体が壁面に映し出される。というもの。

これはもうトリップ寸前。一定の間隔でものがうごいているわけではないので、終わりがない。永遠と閉館時間まで繰り返される作品。どこかで気がつかないと、やばいことになる。

その部屋には動けなくなった人々が集まり、みなボーとしていた。ちなみにお洒落で気取った女もアホ顔、芸術員気取りの外人2人組もアホ顔、もちろん友人もアホ顔(常時)。

美術館で芸術に触れるとき人は、普段では考えられない行動や思考になりやすい。真剣に作品に取り組むがゆえ作品のまわりを回ったり、おそるおそる触れたり、無意味に意味と問っていたり。はたから見ると総精神病患者(リハビリ)状態だ。芸術には精神で触れているということでもある。


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さらに奥にいくと上のような黄色というかオレンジの部屋がある。入り口に数個のファンがあり、空間を仕切っているように感じた。短周波ライトによってあてられたものは色を失うというか、白黒の世界がそこにある。

暖かい色の空間に居ながら温度のない色をした自分や客の姿がそこにある。服の色も様々に変わり、元の色を思い出すことができない。あれは錯覚の一種になるのだろうか?

向かいの人達をみているのが面白くて、それは多分お互い様なのだろう、やけに目が合う。その人にとって自分が作品として利用されているという感じ。お互いさま。作者の作為なのだろうか、非現実空間でのコミュニケーションは場合によっては効果的だ。非現実を共有しているという事実だけで安心感、安堵感がうまれるのだろうか。とくにコミュニティーは生まれなかったものの、可能性を感じた次第。



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「心神喪失者医療観察法」という法律が日本にはあります。「精神病」者を危険視し、社会から隔離・排除する法律です。

友人に薦められた本に、久しぶりの感銘を受け、(そもそも自分や自分のまわりは感銘など受ける人種ではないのですが、感銘に対して抵抗心を思春期につくり上げてしまったタイプの人間が多いようです。今になって作曲や創作に懸命になるのは、受けてこなかった感銘に対するオマージュともいえ、こうゆうタイプの人間は受けてくるべき感銘のエネルギー量の乏しさに気づいた時、犯罪への道(契機)にもつながるのだと思った。みなさん気をつけましょう。)

「」が長かったのでもう一度。

友人に薦められた本に、久しぶりの感銘を受け、アール・ブリュットに没頭している最近。

言葉の意味は違えど、いままではアウトサイダーアートとして自分が認識していた部類のアートです。

アウトサイダーアートという名称には差別感を感じてはいたが、そもそも日本含む少数の国でしか認知されていない言語のようです。アウトサイダーという単語にうける印象をいいようにとらえる人は、少数の人達です。勝新太郎がジャパニーズアウトサイダーとされる事がおおいですねw 大好きなんですけど。

ただ勝新に用いる意味のアウトサイダーと精神異常者(精神異常という言葉は使いたくないのですが、異常という言葉の意味をマイナスに考えずにこの言葉をとらえてほしいです)に用いられるアウトサイダーでは根本が違ってきてしまいます。

精神異常の発見は肉体的な病気のあとにくるものらしいです。伝染病にかかった人間を隔離するという行為からその施設(場所)から発生(発見)したのが精神異常と呼ばれているようです。もちろん精神異常に定義などないのですが、人間がある程度社会を作り上げてからは異常者とよばれるものは常に存在していたはずです。白土三平は「狂人」という言葉をつかっていたりします。


隔離施設から発見される絵や作品は歓喜にみちたものが多いようです。

外部から隔離されているのは、肉体だけの話とでもいうのでしょうか。そもそも彼らの絵や作品は、彼らにとって絵や作品でないこと。自分自身や社会そのものであるという考えかたもあります。


正直 あまり絵をみていると恐怖感や不安感が自分にめばえるのがわかります。感銘のうちの一つ。

異常者の個性的な人生と作品自体を混沌にするべきではないという言葉が自分を安心させるんだけれど、自分にとっての絵は音楽とおなじでどうやら人そのものにあるようなのです。作品より前に人をみる、作品がよくても人をみて良否が変わってくる。自分はそれでいいとおもっていて、その考えかたに偏りがあるのもわかっています。

笑顔でアール・ブリュットをみるのができないという事ですね。



友達が新婚旅行でいっていた行ったフランス、イタリアから帰ってきました。お土産のブックカバーに最初にいれたのは「ヘンリーダーカー 非現実の王国で」。

かっこいいブックカバーありがとう。

rt

kuniyuki takahashi

フルアルバムが3月に発売。

earth beat聴いてから気になる日本人のひとり。ハウスだね。

koss名義でこないだ二コライ先生なんかと共演してたみたい。

聴いてないからなんともいえないけど、少し期待できるなー。


今、本を読んでる最中で疲れたので気分転換でこうして書いてるだけなので、もうおしまい。

rrr

tortoise and bonnie"prince"billy / the breve and the bold

2006年1月20日 待ちに待った上記の発売日だ。

トータスはともかくボニーって誰だ?って感じなのですが、ウィル・オールダムのことです。

この人はドラックシティーレーベルから、ダティーだったりスペーシーだったり情緒的だったり、やばい曲多数リリースしてます。まー入手困難でしょう。自分自身結構時間かかって金だして集めました。ドラッグシティーからコンピがでてるのでそれで買うのが無難かとおもいます。廃盤かも。

人昔前に少しあった言葉でスローコアというものが存在しましたが、トータス(バストロ時代)と一緒にオールダムもそこにくくられてましたね。まーハードコア上がりです。1980後半から90年のハードコアの連中は結構なところ(宇宙的にね)にいってたんですけど、それぞれが若かったというか怒りに満ちているためか神が降臨しないわけですね。すごく人間的すぎる音楽なんで。

ハードコアあがり(この呼び名が好き)の人は怒りの形を変化させて音楽的になるとき、ある種インナーサイエンス発動的パワーを放つわけです。(無意味)


で

  

このcd、発売元がスリルジョッキーでもドラックシティーでもなくovercoat recoedings(要チェック)なるレーベル。元スリルのスタッフの人がやってるレーベルで、要は顔みしり2組に一緒にやってくれよ!とお願いしてできたアルバム。全曲カバーアルバムってのが勿体無いけど、まーいいや。

有名なところで、ブルーススプリングスティーン、エルトンジョン、ディーヴォなんかのカバー。エンジニアはもちろん我等が、ジョン・マッケンタイヤだ(ジョンがかぶっていたフワフワしてそうな帽子を冬のあいだ探しまくったがレディースで小さいしか見当たらなかった、もうすぐ春だ。うわべ物産展ジャパン)。


で


これ今日発売なわけで、買いに行ったわけだけれども、タワレコもhmvもディスクユニオンもヤマギワソフトもワルシャワもシスコもないわけ。仕方ないのでpostrock専門店的なsome of usに行く頃には店閉まってるわけです。その間にいったcd屋レコ屋にて目をつぶるわけにいかないレコード達に多々出会い、たまに起こるレコード掘りingハイになってしまい、今日は3万円近い金をレコに変換。そして耳に入るのです。(今日は給料日でもある)。


今日は買えなかったわけです。久しぶりにながく聴けるcdに出会える日だったはずが。

うわべ物産展ジャパン。