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中学の頃に衛星放送で偶然やっていた勝新太郎がでている映画をみて、勝新太郎をうるさい親父だなとおもった。

共演していた石原裕次郎を肴に父が酒を飲んでいる様子をおもいだすキッカケがつい最近。

レンタルビデオで座等市、悪名、兵隊やくざのシリーズ3部作を見終えたので、勝主演の短編モノに手を出してみる。


「人斬り」 製作は1969年。

時代は幕末で人斬りとなれば、すぐに岡田以蔵が頭に浮かぶと思います。

岡田以蔵=人斬りという概念を植えつけられていますが、これは司馬遼太郎の小説の功績によるもので、実際は岡田以蔵という男の詳細は闇に埋もれていて不明のようです。

幕末の話は坂本竜馬や勝海舟(西田敏行の勝海舟はいいんです。)を中心に様々語られますが、もう真実と希望がごちゃついていて、物語の時代という印象を受けます。


で


人斬り。


以蔵が勝新太郎、竜馬が石原裕次郎、武市半平太が仲代達也、田中新兵衛がなんと三島由紀夫である。三島由紀夫はどうしてもニヤついてしまう。


竜馬が裕次郎というキャストをみて、衛星放送でみたあの映画であることに確信をもちながらみる。

我が父、幸雄は裕次郎が竜馬であることに、おそらく自らを投影していたことだろう。
幸雄か裕次郎かみたいなところが彼にはあるようだ。
勝新太郎の映画をみるのはもう単純に勝新太郎が人間さらけだすから気持ちよくてみているようなところがある。ないものねだりってやつに近い。
座頭市には、男のなにからなにまで詰まっている。

しかしこの人斬りで演じる以蔵はそうでもない。

表面で生きて内面が煮えたぎらず苦悩して、結局表面で戦ってしまう人間。

この内面で苦悩しながらなにも解決できない純な人柄ががみているモノに感動は与えないけど、フツフツくる。


裕次郎の竜馬ドンはイヤミでしょうがない。ただかっこいいとされるのもわかる気がしたのが彼の凄みだ。なんのことだ。

この映画残念ながら仲代達也がいけない。(原作がよくないのかもしれないが)

武市半平太が冷徹策士の政治家としての面しかでていない。

竜馬が以蔵を託した男がこんな人間身のないわけがなく、気持ちに矛盾が生じる。

たんなる幕末ファン心理にすぎないのだけれど・・・。

結果、中学ノスタルジーと父幸雄の裕次郎熱を思い出す結果となっただけのこの映画。

人を力で切るシーンは相変わらずリアル。

刀は数人切ると血がついて切れなくなってしまう。だから突くのだ!!と中学の社会の藤井先生が力強く我々生徒に教えていた意味はまだわからず。

彼もただの歴史ファンの延長で教師をしていたのだろう。

この人斬りの製作が1969年で三島由紀夫が出演しているのが、ふと気になり彼が自殺した年を見てみると1970年とある。
例の自衛隊駐屯地で天皇陛下万歳と3唱し腹を切った最後である。
田中新兵衛もこの映画では切腹して死ぬ。
まったく関係ないのだけれど、こうゆうところに関係性を見出そうとするのも無意味で無責任でいい。






先週一時も一人の時間が持てず少し疲れているようです。

集合も個人もバランス保たないともたないものだと改めて感じましたよ。

今は一人中古屋で買ってきたアフリカンjazzピアノを聴いてぐったり。

ピアノソロでもビート感がものすごい出ていてこれも人種柄なのだと思いつつも、今の自分には少しきつい。


15日に古い友人が結婚するので祝電を送る。

つまらんもん書いてもしょうがないので200字以内で創造と時間軸について書く。

文字が制限されるととてもじゃないけどもまとまらない。

短くて響く言葉を書く人間には背景がある。

背景がなければ説得力に欠けるため文章が長くなる。

限られた人以外が皆長い文章を書き、人に無視されながら書き続ける。

読み飛ばされたり、流し読みされたり、速読されたり。

読むこともできるし読まないこともできる。

祝電は式中に必ず読まれるため、会場にいる全員に伝えている事になるけれども、読まれる時間帯は皆お酒がまわり好きに楽しんでいる頃だ。

そうゆう状況も踏まえて定石にまずあてはまらない文章ではじめてみる。

この一行が勝負w

音楽の頭のインストとおなじ効果ですね。


文字を煮詰めることは今は技術的?にできないと感じさせられた次第です。

曲もミックステープも文字も少しスマートにして行こうとおもいましたが、20年はかかるのではないかとおもいます。


「自分の身体の中の臓器にMという科学物質が次第に沈着して、これが過敏なセンサーとして働くらしく、こちらの考えることが逐一テレビやラジオ、雑誌で全国に流れている。どうも時計から電波がでているようだ。この化学物質を対外へ流しだす薬を処方してほしい。」

ある大学の電気工学課をでた24歳の男がいった。


彼のように科学に深い"信仰"のある人間は科学者にとてもおおいようです。

物神信仰ともいうらしいです。

対象は”物”であればすべてが対象となるでしょう。

アニメファンが3D(もしくは2D,1D)の中で死んでいくようなものでしょうか?


科学を”物”とする考え方から言えば、宗教も音楽も同意義になりえます。(断言はできませんが)


医者は困るでしょうね。医者も医学という物をもとに治療、処方するのであって、科学者の治療というのは、音楽ファンがイランのギザ地区のリズムがやばいんだとトランスフォーマーファンに言っているようなものだ。

要は、話が違うってことで。


「死にゆく人は死のドラマにおける主役ではなくなり、医療担当者による処方の単なる対象と化してしまった。患者はいかに死ぬべきかは知らず、主役である医師の役割は、患者の肉体的生命をいかに延長するかということだけである。」 A・ヘーゲン


患者はいかに死ぬべきか知らない、または知ろうとしない人間が90%ではあるけども、あとの10%は医学とは別のもので処方すべき厄介な出来事なんだとおもった。

医者にジャンルが増えて、電話しても回されてしまう警視庁状態なのも仕方がないのかもしれないですね。


dd

最近話題のジェネリック医薬品。

20を過ぎた頃から肩こりがひどく、いつの間にか身体が少し右肩あがりになっているのです。

自分ではスクラッチしすぎて身体に癖がついたのだとおもっていたんです。まー力が入りすぎてるという裏返しになるんですがね。

左でレコード、右がミキサーでスクラッチすることが利き腕の関係で多くて、やっぱり少し右が常に上がっている状態なんですね。


で


昨日ふとテレビをつけたとき筋肉なんとかをやっていて、選手?が腕立てをしていたので負け時と3分間腕立てをしていたんです。
それはそれで終わったのですが、今日の朝起きるともう肩がこわばっちゃって・・・。

ずっといってみたかった整体にいってみるキッカケになったのです。

電話で予約し、近くの整体に行くとデブの整体師がにやりとお出迎え。
カウンセリングがはじまる。
右肩上がりな事と、肩こりがひどいこと、昨日腕立てをして痛いことは隠しておいた。
医療ベットにうつぶせになる。枕が消毒くさい。
肩を軽くもまれ、そのまま大円筋、広背筋をぐりぐりやられる。筋肉名称というポスターがあり、それを横目にみて確認したので
名称に間違いはない。

ある程度身体をほぐされ整体師が言う。
「背骨が曲がっているのと、そのまわりの筋肉のバランスが少し変わってきているので力が常に入っている状態です。肩こりもそれ」

やはり背骨はまがっている。
整体師:「すこしマッサージしますからまた横になってください」。
俺:「バキバキっとやってまっすぐになったりします?」
整体師:「・・・・今からやりますけどね。力がはいってない油断しているときにやろうとしていたんですよ・・・」

どうやらこの質問はタブーだったらしい。
その後いつ整体師がバキバキっとやるのか気になり筋肉がいつでも緊張できる状態になってしまう。
整体師はこの状態を避けていたわけだ。
マッサージが長い間続き、少し骨の強制のことを忘れていると整体師から深く深呼吸して今日は終わりですと告げられる。
何も気に留めず深く息を吸い込み、ブハーっとやる・・・・!!!!!!

ゴリゴリゴリ・・・・・・。

唖然とした。
息を吐くのにあわせデブがヒザを使い技をかけてきた。

完敗である。

敗北感からくるのか、無事であることからくる安堵感なのか身体がすっきりする。

鏡の前に立たされ身体をみると変な違和感がある。
これが通常のバランスだというが4年も慣れ親しんだあの右肩あがりの身体のほうが自然だ。

筋肉が完全にバランスを取り戻すまでは強い痛みを伴うことがあるということで薬を進められる。

整体師:「痛み止めにジェネリックもありますよ。」

話題のジェネリック医薬品である。
新薬の特許がきれて他メーカーなどによって、同成分、類似効果が得られ、値段が約50%の薬。
高い医療費を個人で見直すのに手っ取りばやい方法が医薬品を選ぶ事ですね。
アメリカ、イギリス、ドイツでは医療保険制度の違いから国民がジェネリック医薬品を選ぶことが多いようです。
40%~50%がそうだと書いてました。

興味があったのでジェネリックについて聞いてみると、そこでは痛み止めのジェネリックしか処方していないという。
採用するにもやはり信頼にかける点と、ジェネリックを処方できる場所というのが国民に信頼されないのではということらしい。

ネットで販売が盛んなことを軽くいうと日本では医師の処方がないと手に入らないはずですよ。といわれる。
まじか・・・。
買おうとしていた睡眠薬はいったい・・・。

ジェネの処方せんを書いてもらい近くの調剤薬局へ。

無事にジェネリック痛み止めをいただく。

普段何がおきてもPLしか飲まない自分にとっては、ジェネ薬品の存在は一般の薬と同じもの。

結論、意識的なもので自分にはPLしか効かないのだ。



アウトサイダーアート / 服部正  

を読み終える。

アール・ブリュットという言葉を知る前はこの本のようにアウトサイダーアートという言葉を自分も使っていた。

アウトサイダーアートと聞いて、どこか「ひっかかり」があったのは「アウトサイダー」という言葉のイメージからでしょう。

そもそもアウトサイダーという言葉をマイナスとは思わないが、一般的には部外者、仲間はずれの人などという意味があり、パッと聞くと差別的な言葉。

一般的というのはとても広い範囲で使われますが、一般的という概念が自分等に植えつけられているからアウトサイドがあるのであって、一般的がなければアウトサイドなんてなかったはずですね。

自ら離れたのか、いつの間にか離れたのか、もう離れていたのか、アウトサイダーは各界で一般から異端的に扱われます。

アウトサイダーアートという言葉をいままでは、正規の芸術教育を受けていない人の芸術ととらえていました。これをセルフトート・アートと呼ぶ人もいます。独学による美術という意味です。

しかしこれはただの共通項でしかなくて、独学という言葉にも誤解が生じてきます。

アウトサイダーアートの作者とされる多くの人達のとってに「独学」という言葉は、なにも参考書をみるとかそうゆうことではなくて、神経の認識だったり、精神と外部の距離感、相互関係など、自分達(オレとか)が意識せずとも「一般化」している部分の「独学」のことです。

そうゆう意味でいえば、「一般的」でないだけでアウトサイダーのなかで独学がなされているに違いありません。(ちなみに「一般」の中でも空の色の認識は世界中違うようです。)


アウトサイダーという言葉はアート界でも部外者、仲間はずれという意味で使われていますが、これは単純に「何にも属していないという属性」という感じですこし矛盾しているようですがそんな感じだとおもっています。

ただ芸術(アート、音楽、文学など)の世界ではアウトサイドであることは名誉なことでもありますね。

部外者が部外者として集合に属している。部外されていない部外者。何とでもいえますね。

音楽も絵も文学もジャンル、属性がありますね。大きな意味で無意味だと言われること多いですね。

自分もそうだったんですが、どうも断言するのは難しくなってきて、ジャンルといわず、属性で括るということには肯定的なんです。

絵をよくみるようになってからでしょうか。


効き方ですよね。どう影響しているのかでくくられる感じです。

アウトサイダーアートやアールブリュット、セルフトート・アート、孤立した芸術、生の創造など、類義、同意義語は数多く存在するようです。

日本に伝わってきたのは1993年。

パラレルビジョン展にて。

その後、資生堂のギンザアートスペースで定期的に紹介されているようです。

ここで扱う芸術が精神病患者、知的障害者、アルツハイマーの老人によるものがほとんどだったことが言葉のイメージと意味の相違を生んだのだといいます。


子供の頃はみんな同じような絵を書きます、「独学」をへて空の青い絵、形のある家の絵、紙にみたままを書いてしまうこと、もののサイズ、色、空間、距離、思想ができあがり教室の後ろに並べられた時、同じようにみえてしまう。同一化できなかった作品は笑いものになる。それを笑う子供を注意する先生がいて、異変に気ずいた子供はトラウマになる。皆と同じ絵を描こうとする・・・。

美術はまだしも習字なんかひどかったですね。


思い出話。


小学の夏休みの宿題。

「読書感想文を書きなさい。本も内容で印象的なシーンを絵にしなさい」というもの。


画用紙と作文用紙かなんかを渡されて。


自分は宿題の意味を取り違えて取り組んでしまうことが昔から多くて、(専門にはいってもそうだったが・・・)

「読書して印象的なシーンをイメージして絵を描きなさい。」

と自己変換されて宿題に取り組んでいたわけです。

シートン昆虫記を読み、おもしろいと本好きのバーちゃんに言うとバーちゃんはシートン昆虫記、動物記を全館買ってて読ませるわけです。バーちゃんの前で下手に「うまい」とか「おもしろい」とかいうととんでもないことになる。買い物していても理由をつけてカゴのなかに何から何まで入れる。

幼少期のひもじさが生んだ行為だと自分ではいっている・・・。


昆虫記と動物記を適当に読み(本など読まない子供だったので)湧いたイメージは動物、昆虫大戦争だ。

シートン先生の研究は全く関係ない。感想文の存在を忘れ、夏休み終わりまじかに大自然あふれるオヤジの実家で書いた「動物、昆虫大戦争」は盆に集まった親族から賞賛された。

中央に夏という理由だけでピックアップされたクワガタがいてサイズの小さい熊やヤッカル(ヤックル?)、サイ、ウサギ、後はなんか怪しい奴(いろいろ混ざった奴)が囲み、火を噴き、レーザーをだし、ミサイルをつけ、ミニ四区に乗ってたり、従兄弟が書き加えたウォーズマンみたいのがいたりする絵だ。


自身満々に学校に持っていくとどうやら様子がおかしい。皆、絵と感想文をセットで提出している・・・・。

「忘れました~」というしかなかった。

家に帰り、選択肢は2つ、すべてやり直す。絵をみて架空の本の感想文を書く。

もちろん面倒くさがりな自分は絵を見て架空の本の感想文を書くことに。

あまり苦労しなかったとおもう。というか楽観的だったのだろう。

何日かしてみんなの絵は廊下にはりだされていた。

県のコンクールに各クラスから何名かの作品を選出して出そうということらしい。


先生は困りました。先生は美術について何も知らないので、自分のクラスのすべての作品をコンクールに出展したところ。。。。。。


「動物昆虫大戦争」がなんとか賞をとってしまったのです。作者の名前とかどうしたのだろう・・・。記憶にない。


地元河川敷の菜の花を描く、菜の花コンクールでも同じような理由で出展された私のアブラムシの絵が賞をとった。


ああゆうのの審査員っていかれた奴なんだよなと今になって思う。






i

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そのうちでるipodの形らしいです。

これだけ画面大きいのはいいですねー。video playerとして持ちたいですね。

去年くらいから瞑想法の本を読んで色々試しています。無意識共有の本ばかりみていた時に天外伺朗の本を読んだのがキッカケのように思います。(天外さんの無意識の理解は自分が思う(体験する)ものとは変わってきてますが。)

瞑想って言葉は瞑想に興味をなくす理由の一つになりえる(自分がそうであったように)のでメディテーションと呼びます。(以下メデ)

メデはインドの哲学体系「ヴェーダ」(もしくはその思想からきています。)

ヴェーダについて調べてここに書くと以前かいたように思いますが、いまだ調べもしないあたり自分のいい加減さを感じつつ、そこに興味があまりもてない事がわかります。

要は瞑想状態とはなんですか?ぐらいから始まるのだが、ウンチクはどうでもよくてさっさと体験したいと思うのが普通です。

ただ、それならば金払って意識を拡大したり安定させたりする方法(摂取物)がいくらでもあるので、そちらが手っ取りばやいです。


反省して少し瞑想について書きます。

ただいろいろ方法、理解があるので専門書を読んでもらうのが一番いい気がしますが、こうやって人から適当な感じで薦められるほうが身近なものになりえることがありますしね。


なんでもいいや。


《瞑想法が世の中に反映しないのは、瞑想を進める人間にあることはすぐにわかります。

ここで自分がいうのは、本とhpの話でしかないんですが、とにかく言葉の使い方が悪い。

「健康の~」「愛の~」「願いが~」「~体験」「~めざして」

こんなんばっか。

表面的にみたらあやしいというか、遠ざけるでしょう。

本やhpだからまだしも、リアルに目の前で説明されたら、もういつ入会金の話になるか不安でしょうがないでしょうし。そうゆう日本だからそれなりの方法をとらないと理解が生まれないのに。おそらくこうゆう表現はもっとピュアな国(人種)に通用するもので、そうゆう国もグローバル化で少なくなって・・・。》


いつも上のようなマイナス志向的文面なので、同じことをプラス思考にて・・・。


《瞑想法は世の中いろいろな国に溢れています。各国でそれぞれの方法が試され日々発展していってます。

私が調べるかぎり本やhpの中だけでも、

「健康の~」「愛の~」「願いが~」「~体験」「~めざして」のような表現方法を使われているだけでも、美しく綺麗な感覚であることがわかります。

表面では語れない、心を素直にして接していく。それが瞑想です。

本やhpで興味をもたれた方は、瞑想教室などにいき、専門の先生などの話を直接聴き、体験するのが理解へつながるでしょう。世界中グローバルに理解者が増え続けている瞑想・・・・・》


文章の意味あいが変わってきていますが、どちらでも同じ事をいっています。理解が必要なんです。


メデは簡単にいうと心の深くにある潜在意識を体験する方法とされています。仏教の「禅」と同意化されがちですが、「禅」も「メデ」もお互い同意化できるほど安易なものでないし、たどり着く先は別の所にあると今はおもっています。「禅」の無と「メデ」の無は別物なのです。(?ですが)


ここで自分がいう「メデ」は無とは程遠い、表面的な潜在意識の体験です。

潜在意識というよりは潜在能力(ポテンシャル)の体験とでもいったほうがいいのでしょうか。

おそらくだいぶ初期段階のメデです。


瞑想教室などでは、リラックス、疲労回復、ストレス解消など肉体的な効果を提唱しているところが多いようですが(もちろん効果的です)、自分は「潜在意識の活性化」(ポテンシャル活性化)を目的に取り組んでいます。


軽い瞑想状態にはいったら、想像しまくってやるんです。(妄想ではないです)


で


そうやって軽い瞑想状態にはいるか。


これはホント自己に素直じゃないと取り組めないです。自分は日々自問自答の人間なので、大変でした。

コツがわかればそこまでは簡単。まー「アレ」とおなじですよ。


僕が音楽を使います。

密度が高い、単純なものがいいです。長くて。もちろん自分が落ち着く範囲のもので。

そこで曲にゆだねるわけではなく、まーカウンターがわりです。


背筋が伸びてる状態がいいらしいです。

禅でもメデでも坊さんや僧が座るスタイルがワイルドスタイルです。


が


自分は寝るかダラダラしながらやります。

上(天)下(地)関係さえしっかりしていればいいのです。

ようはリラックスはそこですればいいのです。

肉体なんて、なんて・・・。


後は肉体のツボとマントラ(言葉にださないマントラがはじめは効果的でしょうし、言葉にだしている自分がはずかしくなるので私は心で叫びます。プライマルスクリームです)と呼吸法、移動法イメージくらいで軽い瞑想状態にははいれるとされています。

簡単なのに習う必要があるのは、精神価値の割合が肉体価値よりも高い国なんか(インド)では深く入り込みすぎて帰ってこれないことがあるらしいからです。そのまま植物状態になる人もいるようです。

入り方より戻り方を習うみたいです。

自分でやる場合目覚ましをセットするのがいいでしょう。あんなに現実味に溢れる邪気にみちたもものはありませんからね。

ところで目覚まし時計に恩返ししてますか?毎日約束は起こしてくれるのに叩かれ嫌われ、電池の容量がなくても目覚まし自体の罪になってしまう。

めざましにかわいいデザインだ多いのは目覚ましに携わる人間のせめてもの愛なのではとおもいます。キャラクターものとか。

小学校の頃 ゴマちゃん目覚ましをもっていて、「キューキュー!!」と起こしてくれるんですがこちらが「ベチッ」っとアシベのごとく叩ききると最後に「キュ~」と力なく鳴き止まるんです。

ゴマちゃんを通じて目覚ましの潜在意識を子供に伝えたわけですね。


話は戻して方法です。

ある本に書いてあるものを簡略化して書くと


目を閉じ、小さいボールをイメージします。

ボールはへそ下にツボに置いてください。

あとは音にあわせマントラにあわせ、ボールを天に上げます。この時呼吸は深く吐いてください。

吐いている最中のボール周辺のイメージも忘れずに。そらでも大気でも宇宙でも。できるだけこと細かに。

自分の場合、好きな絵の中の話だけですむので楽です。

呼吸を吐ききりイメージの限り「上」にいったら、こんどは吸いながらへそ下のツボに戻します。イメージは逆送。

へそのなかでグルグルイメージするのが好きです。(これは関係ないです)


今度は吐きながら下へ。

ここでも地から地球の中心まで想像します。

インドの古代遺跡に書かれてる絵で地上が象やらなにやらに支えられているものがありますが、こんな想像からきたのではとおもいます。

自分はアリの穴くらいからイメージします。


で 吐ききったらへそ下ツボにもどる。


このくりかえし。


イメージとマントラと音楽と呼吸が一体になる場所を見つけて(妥協して)、繰り返しおこないます。

面倒くさくなってきます。そしたらこっちのもん。(寝ないでください)


意識があるが深い状態にいることがわかります。


そこまでが瞑想。無意識をつくりカルマ(行為)から開放されようとしています。


が しかし


これではねー。


こっから日々思うことを想像してください。(しなくてもいいです。)

リラックスとかぬるいこと言わんで、カルマを増やしましょう。いいほうの。

想像したことをメモに書き後から考えなおしてみる。

ほとんど無駄なことを想像しています。(自分の場合)

ただ、おもしろいですよ。

ちゃっかり身体楽になりますしね。



















地元の古い友人から結婚式(披露宴)の招待状が届く。

音響の仕事で披露宴オペレートなんかもしてて身近なものになっていたものの、いざ自分が呼ばれるのは初めて。

まわりはどんどん結婚していく。(ただ普段つるんでる連中はまだまだなさそうだ・・・みんな他のことで幸せなのだ)

古い友人はお互い意思している感じがあったように思う。

2人とも田舎で育って、ファッションに興味をもって少ない情報を自分達の中で資料化して。田舎の中学生や高校生は異常なほど情報源が少ないから懸命に気になるファッション周辺を散策する。

もともと音楽聴き始めたのもファッション以降なような気がする。

ジェームスラベルとshadowだった頃のunkleのサイエンスフィクションが中2の時出た。ジャケットがフューチュラがデザインしたものだったから買った程度だ。同時にレイジアゲインストマシーンとボブマーリーを買った記憶がある。(田舎のcd屋はこんなもんだ)

この日かったcd全部に衝撃を受けた・・・のかな。後輩のアベマーがプロディジーを買うか買わないかで迷っていたのもこの日だ。

中学で何聴いていいか迷っていた頃(好きな音楽なんてなかった)、古い友人はpunkを聴いてた。

ニルヴァーナに似ているなと思っていた。グランジは好きじゃない。そのくらい。

高校になりインディーズばかり手を出すようになり、まだまだ迷っていた。インディーズはグチャグチャしていて焦点がしぼれる気がしなかったからだ。

まわり(少数だが)はハードコア、ヒップホップ、ハウスなど好きな音楽が固まっていっている時期だ。

自分は相当あせっていたように思う。

高2の時インディーズマガジンにboss the mcのインタビューが載る。hiphopは嫌いだった。ナンパな感じがしていたし、いいhiphopをしらなかったからだ。

bossのインタビューは挑戦的だった。どんなハードコアなバンドのフロントマンよりもストイックでその瞬間は文字でしかなかったけど、恐怖感があった。宗教じみてるともおもった。

次の号でブルーハーブを始めて聴いた。

音楽ではなくbossが語っているだけのトラック。

かなり驚いた。

実家は毎日溜まり場と化していたのでいろんな奴に聴かせた。

反応があったのは2人。

結婚する古い友人と不動産の息子だけだった。

その後hiphopはますます聴かなくなった。

boss聴いてから他のものが聴ける気がしなかったからだ。

同時期に家にターンテーブルが届いた。先輩がくれたやつ。レコードも一緒に何枚かついてきた。

mobb deepとdilated peopleはいまでももっている。当時は針も落とさなかったけど。

ターンテーブルでは毎日へんな音楽が再生されるだけ、スクラッチなんてしない。

古い友人の家にもターンテーブルがあった。

ロンドンナイトが仙台に来た時に3人(古い友人の姉含む)で行ってdjが面白い事に築いた。音楽を選ぶ事、知らない音楽が死ぬほどあること。

仙台まで電車でいって少しずつレコード買うようになった。

その頃すでにファッションより音楽に偏っていたけど、服飾の学校に行った。

憧れた人間がみんな服飾の学校でてたのもあるのかもしれない。安易な時期だ。


東京にきていろんな奴がいた。音楽くわしい奴も結構いた。

負けじとレコード買ってイベントやらせてもらっり何度か自らやったり。

イベントするようになって益々迷った。

皆ジャンルがある。

ただこの時はもうバカバカしくなっていたので、見下していた。(すごく)

ただ方向性を確立させたかっただけで。精神的な。


この頃地元の市長の孫と遊ぶようになる。

小学も一緒。

なのにこの時まで、接点はなかった。

彼は想像していたよりも変態で懸命にテクノを聴いていた。


びっくりした。


一緒に機材買ったり、レコード買ったり。

彼がいなければ4つ打ち聴いてなかったとおもう。(あまり聴かないが・・・)

彼が横で尋常じゃないスピードでレコード買うので負けじと買った。

その頃まわりで音楽聴く人間がすくなくなってたから、いい刺激になった。

ノイズや現代音楽に手を出したのも彼のせいでは・・・。


音楽から離れていく友人に疑問を感じつつ、専門をでる。


当分なにもしなかった。

本ばかり読んだ。


なんだか思い出話になってきた。


半年くらいして某機材屋にはいると、極端な人間が多々存在していた。

機材オタクはもちろん、おとなしいファンキーな人や、楽観的な凄腕dj、神。色々いた。

cubaseを買って自分で作る様になる。

へんなもんしかできない(いまだに)。

方向性っていうものがあるとすれば、自分にはないことがわかった。

散乱だ。


最近市長の孫から届いたソフトでチクチクやっているが、今度はコンピューターに使われてる

感じになってしまった。想像と操作のあいだにソフトがあるんだけど、変換がうまくいかない。

そして面白いものが出来るが迷いが生じる。


こんな毎日をすごして24である。


古い友人は音楽から離れ結婚する。

かたや映像やアートで日々勉強(想像)している友人もいる。


いつも思うのだが、自分はその間にいる感じがする。


ぐちゃぐちゃしてきた。







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本日確定申告最終日。

勉強不足で曖昧な気持ちで税務署に行きなんだかんだ提出。返還されるのか!?

曖昧な思いのまま税務署に程近い、普段行かない駅付近で曖昧な古本屋を発見。

中央線にいた頃と違い、総武線には古本屋が少ない。

遠くもない神保町は専門分野に分かれすぎているので面白くない。(探しているものがあればいいが)。

古本屋とレコード屋は「でたらめ」なほどおもしろい。 でたらめな古本屋はどこもほぼ同じ匂いがする。

図書館の本の匂いとは違うあの匂いである。

もしかしたら古本が好きな店主のオヤジどもの生活習慣が極似なゆえ同じ匂いをかもしだしているのかもしれない。

本屋の名前は忘れたが音楽、美術関連の棚が4つくらいある自分にとっては良質な店だ。

棚のなかではベートーベンもジョンレノンも2pacもジョビンもアートブレイキーもモネもクリムトもなぜか澁澤さんまで一緒だ。

jazzもクラシックもhiphopも抽象もエロティシズムも店主にしたら同じ棚扱いだ。

もう端から端までみるしかない。

これが楽しい。

今日はそこでチョコチョコ集めていた古い美術手帳とユリイカをみつける。

美術手帳はexpo70特集で昭和40年のもの。

ユリイカは宮沢賢治特集で93年のもの(すでにもっているが 程度がいいのと800円というのにやられ手にとってしまう。)

2冊を手に取り、店内をうろうろしていると、一人おっさんが入ってくる。

おっさん入ってくるなり店主に書店にしては大きい声でいう。


おっさん:「こないだいってた、万博の美術手帳は?即売会でネタにするからもっていくよ!!」


かなりどきっとした。まさかこれのことではすぐに思った。


店主:「9番の棚ですよ」


おっさん(威厳あり)が、すばやくこちらにくる。

まちがいなく9番の棚は音楽美術エロスが共存するこのおれの目の前に棚だ。

おっさんが横から繁々と棚をみるので、かなり近い。

明らかに自分のテリトリーに入られたので、気分悪くすこしそれる。

おっさんは棚の上からゆっくり指で確認しながら探している。なれている感じだ。 すべて見終わったのかおっさんが言う。


おっさん:「ねーぞー!」

店主:「まだ出てないんであるはずですよ」


古本屋のオヤジが商品管理(記憶)しているのも、おっさんの執着心もどちらもこちらにはフリな状況。

おっさんが店を引くのを待つついでに他の棚を見ることにした。


15分くらいたったろうか。


他の棚でみつけたネイティブアメリカンの思想みたいな本とともに9番の棚にもどってみる。


おっさんは・・・・・・・・・・・・・・いる。


なんなら店主もいる。

店の入り口はがら空き。


何個か選択肢があがった。

・そのまま店をでる。(本を持って)

・美術手帳を店内に隠し後ほどくる

・なにも気にかけずレジにいく。

・買わない。


こんな選択肢が頭をよぎりながらも、なにも悪いことをしているわけではない自分の身体はレジへ。

店主のほうに視線をやると、店主がレジにもどってくる。


店主:「あっ!」


店主、美術手帳にきずき声がでる。


店主:「これ買われます?」

おれ:「・・・買います。」

店主:「これ出品するので申すわけ無いんですが~ウンタラカンタラ」 


おっさんが気がついてこっちにくる。


おっさん:「あったあった。いいネタになるな。結構綺麗だし」


おっさん・・・


ここで本当に本がほしい人や理不尽な人はおっさんや店主と一悶着あるのだろう。

自分の場合、偶然みつけただけの本なのでどうでもよかったのだが、あの偽装罪悪感的15分間だけがおしまれた。


へんなこともあるものですが、個人的に偶然はおそらく人より多いのだと普段の会話から感じとっていきています。

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みんな大好きsound & recording。

あんまりサンレコ買う人すくないのね。別に機材が云々ばっかり書いているわけではないのに。

意外と文化的な雑誌だとおもいます。

テクノロジーを駆使して音楽にしている人達が多々いますね。音楽文化だけではなく積極的に芸術活動も記載しているようですし。物凄いターゲットが小さいのはなぜでしょうね。

例えばエビちゃんを表紙にしたらエビちゃんOLはサンレコを買うのか。

「エビちゃんのDAW波形編集テクニック」とか。

OL総PRO TOOLS時代。休日ランチレコーディング。オフィスにあったマイキング方法。サンプリングセレブ。コスメエンジニアリング。


こんなの。


3月15発売の上の写真のやつはサンレコ普段読まない人もかってみるといいです。

CORNELIUS(音)+TAKAGI MASAKATSU(映像)のDVDが添付しています。


そういえばTAKAGI MASAKATSUが24日にアルバム出すみたい。DEF STARと契約してたのは正直おどろきました。なんせトミーと同じレーベルですからね。

視聴できます。

http://www.sonymusic.co.jp/Music/Arch/DF/takagimasakatsu/index.html

なんだか歌いまくってますね。作品が感情的になってます。

最近感情を抑えた音楽が目立ちますね。まークラブの話ですけど。

無為エモーション。無理してない?


15日にはAPPLE STOREでライブとインタビューもあるようです。あそこ込み合うから嫌いなんですがね。

はじめてTAKAGI MASAKATSUをみたのもあの辺です。まだ施設整備中で六本木ヒルズもアップルストアも無い頃、その辺の展示場で大学生があつまって作品展示したり、本売ったりなんかして、野菜も売ってたな・・・。

まだSILICON(青木考充と)の頃ですね。その頃はすでにICCでのインスタレーションとか終えて名前が知られてきてる頃です。

それにしても空いていました。

どこいっても声かけて来る感じで。聴いてくださいってヘッドホンつけさせられたり。今多分しっかりリリースしてる人もその中にいるんではないかな。レベル高かったですし。


髪をストレートにして気持ちが悪いTAKAGI MASAKATSUですが、パリにいった男は皆長髪になって帰ってきますね。ハンノヨシヒロとかもそうだし。

文化かな。

TAKAGIくんみたいな露出の仕方はすばらしいですね。

コマーシャルからメジャーのPVから美術展やら、ガーデンプレイスのオブジェの音楽やら。世の中浄化してる感じがします。